コース;磯子駅 浜マーケット横浜市電保存館根岸なつかし公園 旧柳下邸根岸八幡神社根岸駅根岸白滝不動尊根岸競馬記念公苑 馬の博物館根岸森林公園山手駅山手公園(テニス発祥記念館)山手イタリア山庭園石川町(元町・中華街)駅
============================================
12月14日(木)、オジン隊で磯子駅ハイ「根岸線を歩こう!磯子駅発 知る人ぞ知る横浜、街と自然巡り(約10km)」に参加。受付は根岸線の磯子駅構内。今回は、車内忘れ物もなく4人全員が揃ってスタート。天候は冬晴れでウォーク日和。
西口から国道16号線(横須賀街道)に出て、根岸駅方面に北上。マンションなどが右側に立っていて、途中、日陰部分を避けて左右を眺めながら、久しぶりに4人で会話がはずみ和気藹々と進みます。
ハトちゃんが行っている千葉健生病院で、千葉県四街道市出身、日本共産党の志位委員長の生トーク集会が行われたことを報告。そこから、先の衆議院総選挙の話になり、「希望の党」惨敗で自民の安倍政権が勝利する結果の分析。
ここで 「兼子新党を作れば?」という声に大笑い。
さらに時事問題になり、富岡八幡宮の姉弟の宮司跡継ぎをめぐる殺人事件。オジン隊で門前仲町を歩いた際、本宮で護摩祈祷を見学した場所。事件発生で「家内安全」とは言えなくなり、正月参賀は激減すると思います。
「磯子」といえば、歌手の美空ひばりの出生地。直進すると、磯子旧道入口へ。最初のポイント、浜マーケットは入口のみ外観。戦後、闇市から発展して来た商店街で 、レトロで懐かしい雰囲気を漂わせています。
遠藤副長情報では、ひばりさんゆかりの魚屋「魚増」があるところかなと思いましたが、違いました。丸山日用品市場に魚増は、あるようです。ひばりさんのお父さんは、通称「屋根なし市場」で、「魚増」を営んでいた(あるいは行商だったという説もある)ようです。
立ち寄らずに直進。間もなく左折して滝頭2丁目の信号まで。その先の横浜市電保存館はパス。信 号を右折して進むと、堀割川に架かる坂下橋を渡ります。突き当たった公園の先を右折して、左手の一段高いところに旧柳下邸〔1919(大正8)年に建てられた近代和風住宅。横浜の有力商人であった柳下氏 〕の見える根岸なつかし公園へ。
公園を横目に見て、小高い山の雑木林の下をまわると、根岸八幡神社〔551(欽明天皇12)年以前
からこの場所で誉田別命(ほむたわけのみこと/応神天皇のことで、八幡神社の祭神)を祀っていた古い神社〕へ。通りに面していますが、境内は喧騒を感じさせないほど静寂。鳥居横に大イチョウ。立派な木が何本も生えていて、落ち着いた雰囲気が漂います。
後ろの山の自然林は、天然記念物指定だと神主が教えてくれました。
神社前の道を出て、坂道を下ると根岸駅。今回の駅ハイは、根岸線の 駅スタンプを押印して歩く創設時の駅リレーハイキング。小生は、本日のスタート駅をずっと根岸線なので根岸駅と思い違い。車内でパンフレットを見て気づき、あわてて集合時刻に間に合いました。隊長から「磯子だけに急ごう」というダジャレが飛び出しました。
改札外で押印後、線路に沿って歩いて行くと、途 中に公園があり、その先を左折して進むと突き当たりに、根岸白滝不動尊〔江戸時代に根岸町の鎮守として祀られた白滝不動尊と荒沢不動尊が安置された仏閣〕。急勾配な石段を登って行くと、汗が噴き出て来ました。
急階段の途中に男坂とまわり道の女坂があり、行きは小生のみ女坂。先輩たちは健脚です。上部に本殿があり参拝。帰りの石段を降りたところで、前を歩いていた女性二人組に遭遇。オジン隊がショートカットしたので抜いたのに、なぜか隊長は「(我々を)足長おじさん」と言って、笑いを誘いました。小生が楽な女坂を教えたにもかかわらず、急な石段を登って行きました。
その後、マップを見ながら歩いて行くと、二股に分かれている分岐点。4人で協議して斜め左の上り坂を進むとコースどおりの滝ノ上交差点に出ました。
左には根岸競馬記念公苑 馬の博物館〔入館料大人100円〕でしたが、 外壁と門を見たのみ。大きな看板が掲げられていました。右折すると、左前方に時計塔のような高い建物を、山根副長が発見〔後で調べてみると、競馬場の管制塔だと判明〕。
また、遠方には根岸森林公園〔1867(慶応3)年に外国人クラブの主催で日本 初の洋式競馬が行われた場所。1943(昭和18)年に戦争のため閉鎖。その後、国有地を無償で借り受けて整備を開始。なだらかな地形を生かし、大きな芝生広場を中心にした森林公園として、1977(昭和52)年に開園。残った場所は中央競馬会によって競馬記念公苑〕。紅葉した木の奥に柵があり、広い森が続いていました。
その後もマップの曲がり角を写真を見ながら進みます。途中、電信柱に「小田歯科」の表示。進んだ道の先に写真の場所がありましたが、ともかく正解。
右に曲がって、急な坂道を下ると、山手駅。スタンプを押印。山手駅か ら長すぎる商店街を歩いて行くと途中にレトロな銭湯。さらに 歩いて「山手駅入口」の信号。この距離で「駅入口」は無いだろうと全員一致。突き当たって左折。交通量の多い道路を進んで、山手公園入口の丘を上るところで保育園児たちと出会って挨拶。保母さんに記念館への道を聞きました。
園内を上がるとテニスコートが数面あります。横浜・山手テニス発祥の地の記念碑と記念館があり、館 内に入館。昔の貴重なラケットが大小飾ってあり、歴史を感じました。寒くなり、葉が落ちて雑木林の紅葉も終わりに近づきました。
ここで、先輩たちが「オジン隊で以前来た」と主張。ハトちゃんのみ、「違う」と。山手本通り沿いにあった「フェリス女学院」も来たと...。帰宅後、ブログを検索。確かに3年前横浜を歩いたときに、外人墓地からこの道を通っていました。横浜をかなり歩いている小生の勘違いで 「ごめんなさい」。
芸能ニュースも話題に。AKB48、乃木坂46、欅坂46の女の子の顔がほとんど一緒で、名前も覚えられません。庶民的なスターが受けている現代。その点、昔のスターはカリスマ性があったと(吉永小百合、浅丘ルリ子など)、オジン隊ならでは。
最後に山手本通りから、山手イタリア山庭園(1991年から公開。1880~1886年までイタリア領事館が置かれ、イタリア山と親しまれたことに由来。ブ ラフ18番館、外交官(旧内田家)の家の二つの洋館)〕では、外国人の暮らしぶりの一端を垣間見ることができました。美しい庭園で記念撮影。横浜ベイブリッジやみなとみらい地区を一望できます。
庭園を出た後、観光客のおばさんが石川町駅への近道を教えてくれました。すぐ左折して階段を下り、さらに大丸谷坂を下りました。石川町駅で ゴール。南口は工事中で北口へまわり、構内で4つ目のスタンプを押して完歩しましたが、インクが薄くてちょっとガッカリ。新しい駅ハイパンフレット(冬号)も1部しかなく、残念。
駅は長くて出入口が幾つかあります。元町・中華街口へまわって 昼食のため、長い歩道橋を渡って、中華街方面へ。中華街の石川 町寄りの「景珍楼」で打ち上げ。新春駅ハイの場所と日時を相談・決定して、解散。
先輩たちは中華街はずれの恵びす温泉に行きましたが、ロッカー入れ替えで休み。中華街に戻り、「中南海本店」で2次会。食べ放題飲み放題コースで、デザートもあって3千円弱。ビール、紹興酒。小皿料理なので何種類も注文し、かなり食べて帰ったそうです。
オジン隊年末の駅ハイはアップダウンがきつく少々歩き疲れました。今回は「横浜・磯子から石川町」を散策。いろいろな楽しみ方ができる街、横浜。 来年も元気で歩き続けたい、ワン!
コメントする