「JR ウォーク」で 拝島受付後迷い道&自治医大史跡めぐり

| コメント(0) | トラックバック(0)

 

3月3日(金)。天候は快晴。

八王子の実家へ帰る途中、拝島駅へ(9:39)。一番安い運賃は東京メトロと西武新宿線の乗り継ぎでしたが、今回は乗換回数と時間を考え、JRで行きました。改札口前通路にはステンドグラスの作品。10時受付場所の準備は5分前からで、参加者は並んでい 170303 (2).JPG 170303 (1).JPGません。ちょっと戸惑い、不吉な前兆。受付後、北口へ。マップを見ると日光橋先のコンビニの横から玉川上水遊歩道へとなっています。

ウォーカーの誰かが「わかりにくいコース」という声を聞きましたが、目の前にコンビニがあったのと女性二人が前を歩いていたので付いて行くことに〔結局、コンビニを勘違い〕。

 

170303 (4).JPG玉川上水の川面は、上から眺めると結構き 170303 (3).JPGれいでした。遊歩道には桜並木があり、数本道路上に出ていて、「注意」の表示が。

マップでは国道16号線をくぐることになっていましたが、次の信号は平坦なところに。今回は、実家のある八王子市で戸籍謄本(妻と娘のパスポート申請に必要)を取りに行くことが主目的だったので、最初のポイント日光橋公園までと決めていました。おかしいので引き返すことに。後続のウォーカーもこの道を数人進んでいました。

駅前で地元の人に聞くと、日光橋と思っていたのは平和橋で、向かって左に曲がるのが正解。そういえば進行方向左側に玉川上水があった間違いに気づかず。

 

拝島駅ハイ初開催。最初だけでも案内矢印が必要ですネ。いつでもコー 170303 (6).JPGになると、一日イベントと違い案内人が立っていません。

八高線のホームから、日光橋公園のアーチが見えたので、次回、八王子に来る際、もう一度チャレンジしようと思います。

 

コースは約9km拝島駅 スタート 日光橋公園右ベースサイドストリート右福生アメリカンハウス右くるみふっさ(観光案内所)右下の川緑地せせらぎ遊歩道公園右金堀公園右ほたる公園右富士見公園右多摩川河川敷右明神下公園右熊川神社右石川酒造右拝島駅 ゴール 

============================================

 

4日(土)。実家のある西八王子駅(8:10発)から八王子で大宮行きの直通むさしの号に乗って大宮駅で乗り換え、小金井の一つ先の自治医大駅へ。初めて降りました。天候は風も弱く、冬晴れで4月上旬並みの暖かさ。

今回は「梅花はなやかな下野薬師寺と道の駅しもつけ(約9km)」。

 

コースは;自治医大駅 スタート 三昧場右下野薬師寺跡右薬師寺歴史館右薬師寺八幡宮右雷電神社右道の駅しもつけ右鑑真和上の碑・龍興寺・道鏡塚右祇園原公園右自治医大駅 ゴール 

============================================

170304 (1).JPG自治医大駅前からスタート(9:15)。自治医大は1972(昭和47)年開学。医学部、看護学部。僻地医療、地域医療の充実を目的に、各都道府県の共同の出捐によって作られた学校法人。このため運営には各都道府県の負担金や「全国モーターボート競走施行者協議会」による競艇収益金の寄附金、大学のある栃木県が発行する特別の当せん金付証票(宝くじ、地域医療等振興自治宝くじ、愛称レインボーくじ)の収益金が充てられています。

実際には自治省(現総務省)が設置した大学であり、総務省の自治系職員が大学に出向し事務局を統括し、元総務事務次官が理事長を務めています。 170304 (2).JPG

駅前通りから交番前まで直進。左折すると、前方に建物が立派な自治医大病院が見えて来ます。

 

広い駐車場スペース・病院敷地前を右折して真っ直ぐ。

途中、大きな薬局を左折して、最初のポイント 三昧場〔下野薬師寺の僧侶が身を清めて修行した湿地〕は、薬師寺跡までには大きく遠回りなのと、湿地はあまり興味が無かったので、曲がらず、そのまま県道310号線を直進。

途中、歩道の無い道もあり、路肩を注意して進みます。

約10分ほど歩くと交差点。左折して検討をつけて進むと、「薬師寺歴史館」の案内標識とお寺の幟 170304 (7).JPG 170304 (8).JPGがなびいている道を右折。道の両端はネギ畑などの田園風景が続きます。

 

間もなく左側に「歴史館」が裏から見えて来て、正面にまわって入館。下野薬師寺跡の南西に隣接したガイダンス施設。館内では、発掘調査によって見つかった瓦をはじめとする出土遺物、下野薬師寺に関わる文献史料、復元模型などの展示のほか、映像などによって薬師寺の歴史をわかりやすく解説していました。

 

続いて、順路が逆になりましたが、下野薬師寺跡〔国指定史跡:今から約1300年前(7世紀末)に創建されたと考えられます。正確な創建時期を記した文献は 170304 (9).JPG 170304 (11).JPG残っていませんが、730年ころに国の出先機関「造下野国薬師寺司」が設置され、国家事業として造営が進められました。その後761年には僧の受戒のための戒壇が置かれ、東大寺、筑紫観世音寺と並ぶ三戒壇の一つに数えられました。回廊は復元され、1辺100mの規模で金堂と中門を結んでいました。

薬師寺史跡まつりは、残念ながら明日のみ。近隣は紅梅・白梅が満開。

 

 

その後、左手にある安国寺〔真言宗:室町時代に足利氏が全国に安国寺を建立した際に寺名を安 170304 (12).JPG 170304 (13).JPG 170304 (15).JPG国寺と改称〕を眺めながら、県道146号線を横断すると、前方に875(貞観17)年に創建された薬師寺八幡宮へ。本殿に続く参道が長く、境内には珍しい4福神が祀られていました。

170304 (16).JPG

また鳥居を抜けると左手に雷電神社〔創建年不詳〕。参拝。

 

その後、ガソリンスタンド脇を左折して国道4号線を横断し、道の駅しもつけ〔下 170304 (17).JPG 170304 (18).JPG 170304 (19).JPG野市の新鮮野菜や特産品のショップや飲食店など〕に立ち寄りました。多くの車や観光客でいっぱいでした。右手の塔は子どものらせん式の滑り台になっていました。

 

 

もと来た道を戻って、矢印に沿って進むと、上り坂上に龍興寺〔真言宗: 170304 (22).JPG 170304 (21).JPG 170304 (20).JPG下野薬師寺の別院として建立された〕境内へ。本堂横にシラカシの巨木〔県天然記念物:樹高21m、目通り周囲4m、樹齢約500年といわれる〕があり、鑑真和上の碑(弟子達によって造られた供養塔〕や道鏡塚〔道鏡は770(宝亀元)年下野薬師寺寺別当として左遷され、2年後に亡くなった〕もありました。

 

小学校横の道を間違えましたが、地元の人が道を教えてくれて、郵便局前へ。矢印があって安心しました。すると、後続のウォーカーと一緒に右折。

すぐ左手に龍興寺二月堂古墳と建物170304 (25).JPG。その後、田園地帯を抜けて下野市民農園前を通って広い道路にぶつかると左折して直進。

 

170304 (26).JPG 170304 (27).JPG次の信号で駅前通りに出て右に曲がり一直線。祇園原公園を抜けると、きれいな新興住宅街が続きスタート時の自治医大駅前ロータリーに出てゴール(11:03)。

 

帰りは、習志野の自宅へと戻りました。ちょうど八王子幕張からほぼ100kmで同運賃。田園地帯の中に古代国家成立期の足跡を求めて、貴重なウォークとなりました。

 

 

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://uboatdata.sakura.ne.jp/movable_type/mt-tb.cgi/1722

コメントする

このブログ記事について

このページは、hatochanが2017年3月 6日 07:55に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「ひな飾りはいつまで」です。

次のブログ記事は「いよいよ花粉症対策」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.25