「JR ウォーク」で 保土ヶ谷宿の歴史巡り

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コースは;保土ヶ谷駅右宿場そば桑名屋  スタート 普賢山香象院右見光寺右樹源寺右帝釈天と旧元町橋跡右権太坂右境木立場跡右武相国境モニュメント右投げ込み塚の碑右復元した一里塚と松並木・上方見附モニュメント右保土ヶ谷本陣跡右宿場そば桑名屋 ゴール右保土ヶ谷駅

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2月1日(月)、ハトちゃんは月も新しくなって、本日から始まった駅ハイ 旧東海道宿場町保土ヶ谷宿を旅人気分で歴史巡り(約10km)」に参加。

保土ヶ谷駅へは、総武快速・横須賀線で一本なので、乗り換えを気にせずにのんびりムード。

天候は曇りでしたが、駅に着くと駅前は小雨で気温が低くみぞれでも降りそう。折り畳み傘は大丈夫と思い玄関に置いて来たのを後悔。

  160201 (1).JPG

スタートの西口バスロータリーで宿場そば屋がすぐに見つからず通行人に教えてもらいました。矢印でもあればと思います。

駅員さんがいる宿場そば屋前でスタート(9:54)。神奈川県は参加者名簿に手書きで記入。

 

160201 (2).JPG 160201 (3).JPGまず、駅前を横切って、今井川沿いの道を進みます。歩いて行くと、橋と橋との間は、川の高さより2m近く低くなっている所もあり、橋のたもとから下っては上るという波乗り気分に。

 

 

南北橋まで来て西久保町公園を左折し大門通りへ。左折しガソリンスタンドの先160201 (6).JPG 160201 (7).JPGに、最初のポイント普賢山香象院〔高野山真言宗;1583(天正11)年に忠秀法印が開山となり創建〕へ(10:12)。出入口には仏足石があり、本堂まで置石が並んでいます。また、地 蔵堂や大きい釜や弘法大師の石碑と象の置物が右手にありました。江戸時代には最大の寺子屋があったそうです。境内に入って参拝。

 

続いて、マップに書いてある見光寺〔浄土宗;1629(寛永6)年に大誉珂山が開山となり、保土ヶ谷宿 160201 (8).JPGの住人で熱心な浄土宗の信者である茂平夫妻が開基となって創建〕へ(10:15)。本堂は鉄筋コンクリート造りで趣きはありません。境内には、白梅の古木があり、数輪咲いていました。隣りの普賢山香象院の本堂も見えるほどの近さ。

 

その後は、保土ヶ谷駅方面に向かって直進。  160201 (11).JPG

500m先のY字路を右手に。保土ヶ谷宿場通りを進みます。角に旧東海道などの標識が立っています。そのまま直進。こちらは両側に商店街などが並んでいますが、通りが狭く、車に注意しながら進みます。途中、高札場跡の案内碑がありました。

 

 

160201 (15).JPGその後、踏切を渡って、国道1号線を進んで、突き当りを右折。岩崎ガードまで直進。

次の右斜めに入る道が旧東海道になっていて、直進。ところどころに名残りはありますが、車も少なく、寂れて、閑静な町並みが続きます。

 

200mほど行った所に、チェックポイントのスタンプがある樹源寺〔鎌倉時代に建てられた医王寺が焼失後、苅部家によって身延山久遠寺の末寺として開山。大ケヤ 160201 (18).JPG 160201 (16).JPGキに因んで「樹を源とするお寺」と命名された〕へ(10:43)。石段を上がった境内は閑静で美しい庭園があり、ビックリ。残念ながら現在大けやきはありません。しかし、石庭があって、大きな錦鯉が泳いでいる池の先には滝があって、その奥を電車がときおり走っています。

ここで小休止。

 

参拝後、旧街道を進み消防団倉庫の隣りに旧元町橋跡の案内碑は見つけました 160201 (19).JPG 160201 (20).JPGが、帝釈天が見つからず。いったん、歩き始めましたが、気を取り直して戻ると、手前の細い道の右側にお堂があり、帝釈天が確認できました(10:50)。

 

その後、直進すると左手にセブンイレブンがあって、横断歩道あり。コースは横断してその先を右手に入って、権太坂右境木立場跡右武相国境モニュメント右投げ込み塚の碑へ向かうようになっていましたが、寒さと雲行きが怪しくなって来たので、今井川にかかる元町橋を渡って国道1号線の方に出て、約4km 160201 (22).JPG をショートカット。元町ガードから国道をUターンして戻ることに...。

 

歩道は広くて歩きやすいのですが、 国道はダンプも多く交通量が多いので騒音と排気ガスが流れて来て、あまり歩きたくないコース。少し遠回りになりますが、今井川の沿道が静かで歩きやすいお奨めコース。

 

160201 (26).JPG狩場インターの長い歩道橋を過ぎて、途中、右手にそれほど高くない松並木が沿道に続き、復元した一里塚と上方見附モニュメント〔2006〔平成18)年に復元〕もあって、別のウォーキンググループも見学していました(11:03)。

 

 

さらにその先には、脇本陣本陣跡の案内碑などもあり、外観や説明文を読みました(11:13)。本陣は後北条氏の家臣・苅部豊前守康則の 160201 (27).JPG子孫が代々つとめた。本陣以外にも脇本陣など 160201 (28).JPG160201 (29).JPG史跡の集中している場所ですが、遺構といえるものは残念ながら現存していません。また、往時の宿場 の案内図を表す銅版が外壁に貼られていたり。その後、保土ヶ谷橋交差点で左折して駅方面へと。

 

 

踏切を渡ると、川の護岸工事中で、横を通って西口のそば屋へ(11:20)。スタート時、名簿に記載していたのでゴールチェックがあるものと思い、店内へ。

店内では、注文された料理中で、声をかけても店員さんが出て来ません。やっと目があって来ると、「ゴール受付は無く、保土ヶ谷駅での記念スタンプのみ」とのこと。かえって仕事の邪魔をしてしまったようで悪い気分に。

 

マップには、ゴール時のチェックが無いことが記載されておらず、スタート受付時にも言われていなかったので不親切。本日が開始日だったので仕方が無かったのでしょうか?

 

今回は、「旧東海道 保土ヶ谷宿(日本橋から4番目で神奈川宿の次)の一端(約6km)」を巡りました。歩行時間は約1時間半。初めての地でしたが、旧東海道の宿場町ということで、マンホールの蓋は同じ箱根駅伝のランナーのデザイン。年末に歩いた神奈川宿と雰囲気が似ていました。

 

 

 

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このページは、hatochanが2016年2月 2日 08:20に書いたブログ記事です。

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