午後雨の予報だった12月6日(火)、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で「鎌倉文学館から長谷寺・極楽寺(約7km)」秋の散策に行って来ました。曇り空の下、集まったのは、先生を含む15名(初参加2名)。
JR「船橋」発9時33分の横須賀線久里浜行に乗って「鎌倉」駅に11時に到着。このサークルでは、日光についでの遠出となりました。4人がけのボックスシートは、話が弾みます。
「鎌倉」駅に着いて、早速、トイレということになりましたが、観光地ということもあり、東口の女子トイレは渋滞。西口は空いていたのですが、すでに並んでしまったので、待つことに。ちょうど、紅葉シーズンで都内からも手軽に来れて、歴史・文化のある観光地なので、人の往来も多い。
雨が降って来るとのことで、先を急ぐことに。先生の案内で、市役所通り(11:16)をすぐに左折。由比ヶ浜方面に向かい、今小路通りを南下。御成小学校前では、古い校舎に趣きを感じ、鎌倉の町・店をあちこちと眺めて直進。途中、由比ヶ浜大通りとの交差点で、赤い頭巾を被った六地蔵(11:27)は横断後、説明を聞いて、眺めるのみ。そこから細い路地に入り、江ノ島電鉄(江ノ
電の方が馴染みあり)の線路を横断。「和田塚」駅の側に和田一族の墓があり、俗に
和田塚と呼ばれていて、明治25年、新道を開くために塚の一部を掘ったところ、おびただしい人骨が出て来ました。和田合戦の時のものであろうということで「和田一族戦没地の碑」が立てられたそうです。江ノ電の風情ある電車の車体と、家の敷地側を通る光景は、今では湘南でぐらいしか観られない。昭和世代のハトちゃんには、懐かしさが込み上げて来ます。
最初のスポット「鎌倉彫工芸館」〔鎌倉彫は。鎌倉時代、中国の宋から陳和卿が伝えた紅花緑葉
(堆朱の一種)を真似て仏師が仏具を製作し始めたとされ、木地に模様を薄肉彫刻した素地に直接黒漆を塗り、その上に朱、青、黄など色漆を塗り重ねて磨き仕上げる。箸や茶托などの日用品やアクセサリーを展示・販売;入場無料〕(11:32)では、鎌倉彫の作品をギャラリー。材料は、主にやわらかい桂が多いとのこと。
工芸館を出て、江ノ電をまたぐように由比ヶ浜大通りに。横に甘味処があり、女性陣は、寄りたかったようでした?
江ノ電そばに、高浜虚子庵跡があります。文学・歴史マニアでなければ、見落としてしまうほどの場所。その後、江ノ電をはさみ右に左に。何度か踏切で何種類の車体を傍観。横断歩道を渡ったところの「たい焼き」屋さんは見るだけで素通り。
しばらく歩くと、上り坂の先の鎌倉文学館(11:57)へ。入口からトンネルを抜けて建物まで結構歩
きます。鎌倉文学館は、旧前田公爵家の別邸。鎌倉ゆかりの文学者の作品や資料を展示。ちょうど、特別展は芥川龍之介と久米正雄を開催;二人の交友を多彩な資料で紹介されていて、ゆっくりと館内を観て回って、文学史を堪能。
その後、開放的な広い庭で、昼食タイム。なぜか、ベンチが両脇にあり、あとは芝生で数人ずつで飲食。
昼食休憩後、芝生下のバラ園〔秋のバラ各種と薄紫色の皇帝ダリアなど〕から、洋風建築の文学館をバラ園下から仰ぎ見る眺望がすばらしい。また、雑木林でリスの姿を見かけ
ました。
路地を抜けて、次のポイントに向かう頃、ぽつぽつと雨のしずくが...。急いで、甘縄神明神社〔710(和銅3)年に創建され、鎌倉最古の神社といわれ
る。境内に、万葉集の碑あり〕(13:04)を参拝。急峻な45の階段の上り下りは、傘を持っているせいもあり、バランスが取りづらい。
次に、観光バスや観光客で賑わう、高徳院(鎌倉大仏)に向かう頃には、本降りに。高徳院の境内前方に、殿跡があり、基礎になった平らな
石だけが残っていました。鎌倉大仏〔高さ11.31mの阿弥陀如来像(国宝)。ほぼ造像当初の姿を保っていて、750余年前は、金箔で殿内に安置されていたが、地震と津波で倒壊。1369(応安2)年の倒壊以後に大仏殿が再建された形跡は見出されていない〕は、東大寺の奈良の大仏と対比されて有名。雨の中を、観光客とともに拝観。大仏の胎内見学も20円でできました。
その後、傘を差しながら、光則寺〔日蓮上人の弟子、日朗聖人が創建。「立正安国論」の石碑と、土牢が残っていて、宮沢賢治の文学碑も参道入口付近にある〕
(13:52)を見学。
次に、本日のビューポイントでもある「長谷寺」〔736年の創建とされる鎌倉有数の古刹で、「長谷観音」の通称で親しまれる金色の十一面観世音菩薩は総高 9.18mで木彫仏では日本最大級〕(14:09)へ。観音山の裾野から中腹にかけて境内があり、順路に従って、弁天窟内に入り、まず洞窟内の弁財天や十六童士を見学。窟内には、頭を下げて進む低くて狭い場所も続きます。
さらに、花木に囲まれた境内の階段を登って、本堂で「長谷観音」に参拝。観音の大きさときらびや
かさに圧倒され、厳粛な気分になりました。その他、阿
弥陀堂、地蔵堂、鐘楼なども貴重な建造物。久米正雄のブロンズ像も。また、見晴台からの眺望(鎌倉八景の一つ)は、由比ヶ浜の町並みや海が見え、かすかに三浦半島が。好天ならばと、残念しきり。
長谷寺で感動した後、「長谷」駅前の道を海岸の方に進むと三叉路に突き当たります。 この交差点を右に曲がり極楽寺坂方面に向かうと、右に「面掛行列」の祭りで有名な御霊神社(ごりょうじんじゃ)〔鎌倉権五郎影政を祀り、「権五郎さま」とよばれている。樹齢350年、高さ
20mのタブノキ(市の天然記念物)〕(14:34)があります。
通りに出たところに暖簾の書体が逆の「力餅家」(14:39)でお土産を買う仲間も。更に道を西に進むと、極楽寺切通しののぼり口に虚空蔵堂〔丑年、寅年生まれの守り本尊といわれる〕が一段と高いところに鎮座しています。 そのお堂の手前の道の脇に井戸が「星月の井」〔昔、この付近は、木が多く
昼でも暗いほどだったので、星月谷と言いましが、その後、星月夜に変化。井戸の名前は、多分ここから来たもの。井戸の中に、昼間でも星の影が見えたので、この名前が付いていたが、近所の者が誤って包丁を落としてからは、星影がみえなくなったという話も伝わる〕(14:44)。ここで、後続の仲間を待ちました。先生から、虚空蔵堂の話を聞き、石段を登り参拝する人も。
行く予定の成就院はパス。切通しを上って、赤い桜橋(14:54)の上からは江ノ電「極楽寺」駅が見渡せます。そして、最後のスポットである「極楽寺」〔鎌倉唯一の真言律宗。開山は忍性、開基は北条重時。1259年創建。
49の支院からなる大寺院であったが、その後台風や地震など天災や戦火で多くを消失し、本堂、大師堂のみが残る〕(15:00)へ。小さな茅葺きの山門や境内の様子から素朴で質素な印象を受けました。
やっと、ゴールの「極楽寺」駅(15:03)へ。電車を待つ間に、次回の佐倉ウォークと忘年会、今年最後の市内ウォークの打ち合わせを。江ノ電に乗ると、冷え切った身体に温かみが増し、少々、瞼が閉じる仲間も。ゆっくり走り、家並みが甍のように過ぎて行く様子でレトロ気分に。
終点の「鎌倉」駅で、鎌倉ハムや鳩サブレなどのお土産を短時間で済ませ、横須賀線にあわてて飛び乗り、2名が見当たらず。しかし、途中で同じ列車に乗っていたことがわかり、一安心。
雨にはたたられましたが、鎌倉の文化・歴史を感じる1ページをみんなで紐解いた深秋の一日となりました。鎌倉は、「北鎌倉」など、まだまだ見所も沢山あるので、できれば来年も一度ウォークしたいと思います。