冬晴れの1月24日(土)、「JR 駅からハイキング」で「川と横綱と歴史のまち ぶらり印西めぐり(in 木下)」に参加。新規設定コースで成田線沿線では今年初。自宅から近距離で、京成線「京成成田」 駅で下車。徒歩2分でJR「成田」駅から4つ目。「木下(きおろし)」駅に9時14分に到着し、駅前でスタート受付。スタートは9時20分で、徐々にペースをあげて、前のウォーカーの後を追うように続きます。
印西市名の由来は、印旛沼の西方に位置していることに因む。印旛沼西北部一帯の呼称で、中世、印西条→印西荘とある。 人口約9万1千人の市。印西市と周辺2市に広がる「千葉ニュータウン」があり、市民の約6割がこの地域に住む。市政施行直前には全国で最も人口の多い町となり、印西市文化ホール(市役所隣)前には全国町村人口日本一の記念碑が建てられている。
また、全国の市 対象の「住みよさランキング」(東洋経済)では印西市は総合評価で(2012~14)に3年連続全国1位。
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〔コース〕
スタート 木下駅→吉岡まちかど博物館→木下貝層 ・木下万葉公園→ひょうたん島池公園→上宿古墳→長楽寺→大森鳥見神社→若山牧水歌碑→川の停車場→六軒厳島神社・水神社→中央公民館〔横綱「鳳 谷五郎」化粧まわし特別展示→ゴール きおろし水辺の広場
北口駅前を突き当たり後、右折し、弁天川に出ます。その後、ことぶき会館の先を右折して進むと、目の前に赤い鳥居の干拓稲荷大明神〔1956(昭和31)年11月に完成した「手賀沼排水機構」の 川底の泥の中から出現した一体を祀ったもので、明治23ねんの六軒樋押抜けで埋まったといわれている〕が現れます。道には矢印の白線が書かれていて、矢印、交通案内人も立っていて、地元で初の駅ハイ開催ということで、動員をかけています。その分、ウォーカーにとっては歩きやすい。
続いて、利根川が見える利根川水郷ラインサイクリングロードを直進。冬の日差しを受けて、利根川流域の見晴らしの良い景色を眺めながらウォーク。
いったん右手に下って、信号を右折して駅の方に戻ります。途中に、最初のポイント 吉岡まちかど博物館〔1891(明治5)年に吉岡家が建てた土蔵の中に、木下河岸の資料 や吉岡家に関する資料を展示。個人所有の土蔵を借用・公開〕があり、館内を自由に閲覧できました。
途中、単線の成田線の踏切を横断。その後、直進。
左手にあった木下小学校を過ぎて信号を越えると、木下貝層石碑。左前方に階段があり、案内人の指示で左手へ。少し高くなった場所に、木下貝層〔約10万年前の地層で、「古東京湾」と呼ばれる内海が広がってい てその一部が波や潮の流れによって堆積した砂層となったもので、100種類以上の種類が確認されて国の天然記念物に指定されている〕と呼ばれる貝化石の地層が現れています。地層の反対側からは、まちの景色も見渡せます。
いったん戻って、今度は右 側に進んで、木下万葉公園の階段を上って行きます。階段の両脇に草木や河津桜などが植えられていて、花木に関する「万葉集」の歌が詠まれています。
丘の上の展望広場には銀色の円い屋根の休憩所があり、さらに木下のまち全体と利根川、富士山などの展望が開けます。
階段下のちょっと先に国道356号竹袋交差点。その後、県道64号線を車に注意しながら進みます。
間もなく、「竹袋青年館」の先を左折すると、竹袋稲荷神社〔奈良時代の創建といわれ る古刹。京都伏見神社の祭神の霊を祀ったもの〕へ。
参拝後、神社横から雑木林が並ぶ「 ふれあいの小径」に入ると、ひんやりして森林浴が気持ちよい。
ふれあいの小径を抜けて 、階段を下りると、田園・里山風景の中を歩きます。里山の景色、平地に田んぼや畑が延々と続きます。景色も広々としていて気持ちが良い――。
ひょうたん島池の畔で、駅ハイ仲間のご夫妻と、久しぶりの対面。来ていることは、メールで知っていましたが、昔テレビ放映さ れた人形劇のように、まさか 「ひょっこリひょうたん島」で出会うとは!
池はハスの花が咲く頃がベストでしたが、本日は枯れ茎・葉のみでしたが、見晴らしは抜群。道中一緒に歩くことにして、池のほとりに沿った道から総合福祉センター横を通って、国道へと。左折後、直進。
車量の多い国道沿いには、飲食店や中央自動車学校、左側には、きれいな印西市役所の建物が見えて来ます。
大森交差点先の陸橋手前で左折して、坂を上って行きます。前に3人のウォーカーを目標に付いて行きます。
5分ほどで平らな場所に。左手人家の間に案内人が立っていて、竹林の中にある上宿古墳〔7世紀後半に造営された横穴式石室を持つ方墳〕へ。残念ながら、古墳の形は変形して墳丘はわかりませんが、竹林の奥に看板と「半地下式」石室を確認できました。
その後は、長楽寺〔834~847(承和)年間、慈覚大師により創建;天台宗〕へ。境内はぬかるんでいたところもありましたが、江戸時代に観音堂(1950(昭和25)年焼失後、1985(昭和60)~1999(平成元)年に新築)、鐘楼堂、仁王門を再建。
寺の手前の墓地内には、第24代横綱「鳳 谷五郎」の墓があります。
〔第24代横綱「鳳」(本名・瀧田明)は、印旛郡大森村(現在の印西市大森)出身で、大相撲力士として明治時代から大正時代にかけて活躍。小柄な体格を補う豊富な稽古量でみるみる頭角を現し、1915年に横綱にまで上り詰めた〕
寺は小高い森の中にありとても探しづらい 場所 で、案内人がいたのでわかりました。 本堂はとっても立派で正面右には宗祖伝教大師の像が。境内奥にある、仁王門、 県指定有形文化財に指定された梵鐘はとても立派で大きな鐘楼堂とあいまって古さを目で感じられます。
続いて、通りから見えていた大森鳥見神社〔鳥見(とみ)という珍しい名の神社で、全国で印旛沼北 岸にのみ集中し鎮座している。20社近くあり、印西市だけで6社の鳥見神社がある。創建は崇神五年(紀元前93年)と伝えられている。大和国城上郡鳥見白庭山の鳥見大明神を勧請し祭神には物部氏の祖神を祀っているといわれている。大森鳥見神社は鎮守の森に覆われ、拝殿の両脇にイチョウとカヤの御神木がある。拝殿は大正2年の再建。本殿を囲む玉垣も大正2年に造られ煉瓦というのが珍しい〕へ。
本殿前に、印西市の観光案内、写真や駅ハイ参加者がどこから来たのかのアンケートなどの掲示。
甘酒とサツマイモのサービス。甘酒はちょうど切れてしまいましたが、焚き火前で熱々の安納芋をご馳走になり、体が温まりました。
樹齢500年以上といわれる両巨木が高く聳えていて、荘厳な雰囲気。
参拝してから、神社前を左折して下り坂へ。かなり下ってから、駅方面へ向か うと、中ノ口交差点から弁天大橋へ。
コース右側に太い配管が目立つ先が、弁天川に架かる弁天大橋。マップでは川を左折して、沿道を進むようになっていました(若山牧水の歌碑がある)が、3人で相談して大橋を渡りショートカット。
前方から、すでに「川の停車場」ポイントを歩いた帰りのウォーカーがやって来ます。
幅広の六軒大橋を渡ると、右側に成田線の電車が橋の上を...。左側に、川の停車場にいるウォーカーの様子が見えます。
橋を渡って左折すると間もなく、川の停車場(こたつ舟による、ぶらり川めぐりが30分間隔で運行されていて、乗船を希望する客は1時間半待ち。ちょうど舟が停車場に接岸するところに。
小生たちは、ちょうど甘さが良い甘酒を飲みながら、トイレ休憩、お よび 周囲を見学。
商工会の職員さんの話では、昨日の下見時、強風で川岸は寒くて歩くのが大変だったそうで、本日は風も微風で晴れて、良かったと喜んでいました。
『来年もよろしく』という言葉を交わして、別れました。
甘酒で、だいぶ疲労がとれて、後半の頑張りへと歩き出しました。
元来た道を戻って左折。JRのガード下をくぐって、次のポイント六軒厳島神社・水神社〔印西の開拓に携わった宮島勘右衛門が安芸の宮島から勧請したもの。「弁天様」は厳島神社と水神社の合 祀〕へ。
神社鳥居横に、没後50年を記に建立された横綱 鳳 谷五郎の姿を描いた記念石碑があって、8月に奉納六軒相撲が行われる土俵も残っていました。
お手伝いの女性も、あらためて神社や相撲関連の印西の歴史・文化を再認識したそうです。
六軒水神橋手前を左に進むと、川幅の狭い弁天川には、使われ なくなった舟が残っていました。
もうゴールが近くなって、赤い橋手前の中央公民館に立ち寄って、横綱 鳳関の 化粧まわしの特別展示会場へ。1階右手にあった部屋には、化 粧まわし(だいぶ色あせた、米庄を営む実家にちなみ「米」の文字が描かれていて、配色も現在のものに比べ地味)や関連の写真や資料が並んでいて、多くのウォーカーが関心を示していました。
最後に、きおろし水辺の広場でゴール。豚汁のサービス。軽トラ市が開催されていて他に地元の特産品や野菜、飲食物などが販売されていました。ま た、印西市のゆるキャラ「いんざい君」や我孫子市の「手賀沼のうなきちさん」も来場者と握手や写真撮影 のサービス。
ご夫妻と再会を約して、挨拶して一人「木下」駅へ。
「木下」駅の上り下りの発車時間が平日、休日とも全部一緒なのに気がついた男性ウォーカーに質問されたので、『単線なのでは』と話すと、疑問がスッキリ解消され納得して埼玉・大宮の方に帰って行きました。
「成田」駅まで20分ちょっと。ちょうど、「駅のびゅう」受付が無人だったので、妻の今週末の旅行の相談とパンフをもらいました。帰りも、そこから徒歩で2分ほどの「京成成田」駅から特急、快速を乗り継ぎ、自宅に着いたのが午後2時前。家で田舎でとれたサツマイモでお昼。
印西・木下は、川と横綱と歴史の地で、里山の自然や神社・古刹が残されていて、初めての駅ハイでしたが、駅ハイ関係者や地元の方々のご尽力と協力、人情に触れた駅ハイになりました。ぜひ、来年も開催してほしいものです。
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