9月15日(木)、厳しい残暑の中、実花公民館主催の第5回リフレッシュウォーク「葛飾から法華経寺」を総勢29名で歩きました。
京成「西船」駅に9時30分に集合。神田先生から本日のウォークコースとマップについて説明があり、軽いストレッチ後、熱中症に気をつけながらスタート。北口へ移動後、線路に沿って縦隊で進みます。
この地が「葛飾」という地で、歴史ある名前の由来を先生から教えてもらい、意味のある名前だったのですが、1937(昭和12)年船橋市誕生で、「葛飾」から「西船」へと改名。駅名も変更。
最初に訪ねたのは、宝成寺(9:36)。ここが、日本の城で国宝3城の一つ、犬山城城主 成瀬氏(栗 原藩)の菩提寺として創建された曹洞宗の寺。境内右手奥の立派な墓も見学。
「湯ーとぴあ(天然温泉)」がこんなところに。その先に、葛羅の井戸(9:46)。古くからある井戸が雑草に埋もれていたのを、永井荷風(小説家)が見つけて話題に。横に船橋名木十選の大ケヤキが聳えています。しばし、目を留めていると、井戸の持ち主の女性がアルバムの写真(井戸の拡大写真)をご 親切に見せてくれました。
井戸から左折し、坂を上り広い道路に。そこを直進して細くなった道をたどると若宮神社。5分ほど休憩。そこから少し行くと、いよいよ法華経寺奥の院(10:12)。標識があり、本堂脇に土岐常忍(のちに日常上人)の石の立像が...。土岐常忍は日蓮と出会って熱心な信者となり、法華堂を建て、後に法華寺と改め、後に中山の本妙寺と合体して法華経寺となり、法華寺を奥の院と称した。
ちょうどそこにいた寺の方が、特別に境内奥の荒行(水ごり)で使用する、滝の水を少々流してくれたので、滝の流れを見ることができました。ところどころ、大震災の影響で崩れている箇所も。
中山法華経寺(10:25)の境内は広くて、本院、荒行堂(先生の案内で、入口から「行堂清規」板などを覗 く)、五重塔(国重要文化財)〔関東では池上本門寺と双肩〕赤色で歴史を感じる建造物、また、小学生が境内の建物を写生に来て いて、至るところで遭遇。
大仏、祖師堂(国重文)、法華堂(国重文)、四足門(国重文)などをゆっくり観賞しました。どれも貴重な建築物であらためて法華経寺の歴史 的価値を痛感しました。こんなにも県内の寺院がすごいことに驚かされました。
昭和の始めに建てられた聖教殿は、頑丈そうな建物で国宝の「立正安国論」、「観心本尊鈔」など、日蓮関連の貴重な資料が保管されています。
龍王池、本行院脇を通って、細い坂道を登っていくと、木下街道へ。その右手に洋風で八角形の塔の建物。20世紀を代表する日本画の、東山魁夷記念館(11:32)が。駐車場横には、東山氏の奥 さんが90歳のご高齢で今でもお住まいとのこと。ここ、市川に大半の生涯を暮らしていました。
記念館は2005(平成17)年11月オープン。もうすぐ6年になります。常設展の他、四季折々の作品展も開催。今回は秋の作品群が。記念館にあらかじめ連絡してあったようで、入館すると、冷房が効いていて外の暑さはうそのよう。2班に分かれて、学芸員から画伯の生涯、画風、作品紹介など、短い時間でしたが「人間・東山魁夷」を堪能することができました。
青系統(東山ブルーといわれている)の配色、ドイツ留学、北欧スケッチなどの洋風感覚(倒影の構図)、京洛四季、唐招提寺との解逅・障壁画→中国高山でのスケッチなど、90歳で亡くなるまで「人間・東山魁夷の芸術」追求は、やまなかったのです。
また、坂を下っていくと、竜王池に。スケッチをしていた小学生に出会い帰校するところでした。
五重塔前から京成、JRの駅方向に参道を歩いて行くと、立派な山門(仁王門・赤門)(11:54)が 見えてきました。さらにお店屋さんが立ち並んで、駅への進行方向左側に中山文化村の一つで地域活動の場の清華園(11:56)が。江戸時代からここに住み、明治期から文房具・書店「清華堂」をやっていた建物を、平成4年に石井はな氏から寄贈されて、お休み処と、観光マップなど が置かれていました。
総門(黒門)前で、ちょうど12時に。次回の予定を聞いて解散となりました。ハトちゃんは、行きと同 じく、JR「下総中山」駅から帰宅の途に着きました。
お寺見学で歴史を感じ、美術館で芸術に触れられた、時代を超えたウォーキング(歩行距離8km)となりました。
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