コースは;保土ヶ谷駅ビーンズ保土ヶ谷 問屋場跡保土ヶ谷本陣跡復元した一里塚と松並木・上方見附モニュメント帝釈天と旧元町橋跡保土ヶ谷公園横浜ビジネスパーク神明社帷子橋跡モニュメント香象院見光寺旧中橋跡保土ヶ谷駅
============================================
3月23日(木)、オジン隊は駅ハイ 「浮世絵パネル設置記念 旧東海道保土ヶ谷宿 歴史の道散策(約6.5km)」に参加。
保土ヶ谷駅10時に4人全員が集まりました。
駅構内にある歌川広重の「浮世絵パネル 東海道五拾三次」を探し、大 きな額に入った浮世絵を観賞。前月の東神奈川駅ではうっかり忘れてしまったので。
天候は晴れ。先導する兼子隊長のリュックには、中国で買って来た鈴が多くぶら下がっていますが、鈴の鳴り方が静かになっていました。
ひと月ぶりに雑談をしながらマップに沿ってウォーク。
まず、駅前バスロータリー横を抜けて直進。突き当たり左側の花屋 を左折すると、旧東海道。
早速、問屋場跡の案内碑があり、おばさんウォーカー3人組が立ち止まって読んでいました。
脇を抜けて直進すると国道1号線を渡ったところに保土ヶ谷宿本陣跡や脇本陣の案
内碑などもあり、外観や説明文を読みました。本陣は後北条氏の家臣・苅部豊前守康則の 子孫が代々つとめたそうです。通用門だけが残っています。
ここで隊長から「参勤交代などの本陣でかかる費用は、大名が払わずに、旅籠の主人が支払っていた」という豆知識が。
街道周辺には本陣以外にも脇本陣、旅籠などが 集中している場所ですが、現存しているものは少なく「金子荘」のみ遺構として残っていました。隊長の名字と同じ同音。往時の宿場 図を表す銅版が外壁に貼られていました。
その後、国道1号線を進みます。歩道は広くて歩きやすいのですが、 ダンプも多く交通量が多いので騒音と排気ガスが流れて来て、あまり歩きたくないコース。
今井川沿いの仙人橋付近で、左手に外川神社が見えます。それほど高 くない松並木が沿道に続き、復元した一里塚と上方見附モニュメント〔2006〔平成18)年に復元〕がありますが、いかにも造形された感じで、風情はありません。。
茶色の岩崎ガードを渡らずに保土ヶ谷二丁目の信号で横断。というのも、ハトちゃんは歩道橋が苦手。
次の右斜めに入る道が旧東海道になっていて、入口に史跡までの距離案内が立っています。保土ヶ谷は「歴史の道」案内板が豊富。
ところどころに名残りはありますが、車も少なく、寂れて、閑静な町並みが続きます。
200mほど行った所に、昨年までのチェックポイント樹源寺〔鎌倉時代に建てられた医王寺が焼失 後、苅部家によって身延山久遠寺の末寺として開山:日蓮宗〕。大ケヤ キに因んで「樹を源とするお寺」と命名された〕があり立ち寄りました。石段を上がった境内は閑静で美しい庭園に石庭があって、大きな錦鯉が泳いでいる池の先には滝があって、その奥を電車がときおり走っています。。残念ながら現在大けやきはありません。小休止。
参拝後、旧街道を進み消防団倉庫、ゴミ収集場の隣りに旧元町橋跡の案 内碑を見つけ、手前の細い道の右側にお堂があり、帝釈天を確認できました。一人だと見過ごしてしまうほど。帝釈天というと、映画「男はつらいよ」の柴又帝釈天が有名ですが、小じんまり過ぎて苦笑。
ここで、京成線柴又駅の寅さんの銅像の横に「さくら像」が建つ話題に。ウォーク後、25日に除幕式が行われました。また、寅さんの義父、歴代俳優の名演技にも話が及びました。
その後、元町ガードから線路沿いをUターンして戻ることに...。途中、急勾配の坂を一気に登ると汗ビッショリ。対向車も急坂を下りていました。近隣住民の大変さを痛感。
公園、保育園を過ぎて、駐車場の上から、保土ヶ谷市街を眺望。横須賀線の勾配も確認できました。
コースマップに沿って道なりに500m進むと、花見台交番前へ。途中、国有地の看板を見て、連日報道されている森友事件の籠池理事長の証人喚問内容やトランプ大統領の政策、毎回1回は話題になる、昭和の女優。今回は原田知世の可愛さや吉永小百合の清純派路線云々の話題に花が咲きました。
目の前に保土ヶ谷公園。プール横を通って、にぎわい広場。園内は広く、敷地内にはテニス場、親水公園もあって、長い滑り台では子ども連れが遊んでいました。トイレ休憩。遠藤副長は、とくに絶賛していて、地元にはなくうらやましいとのこと。
ゆっくり遊歩道を下って行くと、古い井戸があり、水が出ました。隊長が「リスだ!」と声を発し、皆で見ると、リスが1匹。木を登って木の影に隠れました。まさかリスと遭遇するとは、思っても見ませんでした。自然環境が残っていて四季折々の花木が楽しめる憩いの場所になっています。
わんぱく広場横の出口を抜けて、マップには舗装路とありましたが、歩いて来た道も舗装してあったので必要ないのにと...。出口 にヒガンザクラが一本満開だったのが救いに。
公園の雑木林を左側に見ながら、バス通りへ。通りを左折して歩いて行きましたが、ところどころ歩道がないところがあり、車に注意して進みます。
突き当りが星川町交差点。まっすぐ進めば、相鉄線星川駅で、駅ハイ終了後の天然温泉には最も近道でしたが、「まだそんなに歩いていないこと」や隊長の几帳面な性格?から「保土ヶ谷駅でゴールする」ことになり、結局、徒歩で戻って相鉄線天王町駅から電車に乗ることになりました。
右に曲がって保土ヶ谷小学校(外観が小学校に見えないほど立派)を通ると、左側から大勢のビジ ネスマンがドッと出て来ました。門の表札には「野村総合研究所」とあり、研修が終わって出て来た模様。低迷する経済情勢のように、どちらかといえば明るい雰囲気ではないような感じ。
メンバーは就業時の富士通パソコン研修などを思い出しました。
左前方に、ベリーニの丘を中心にレストランや郵 便局などの商業複合施設が並ぶ横浜ビジネスパークが広がっています。
保土ヶ谷土木事務所の横道を入ると、神明社〔平安時代中期、伊勢神宮の御 領地として寄進され、鎮守として創建。祭神は天照大明神〕へ。千年以上の歴史があり、本殿造りは神明造で神宮と同じ。
清める場所に、珍しい白紙の人形(ひとがた)。流れは無くたまり水でした。人形流しは、知らず知らずの内に犯した罪や、積り積もった心身のけがれを取り除くための儀式。山根副長と遠藤副長が記名して人形を流しました。
隊長から「寺は宗派があり本尊が明確なのに、神社の本尊は極端に言えば何でも良いんだよ」と。そういえば全国に浅間神社や富士神社が多い山岳信仰もあり、を思い出しました。「信仰は自由ですから何でもありですよね」。
次の帷子橋跡モニュメントは天王町駅前広場にありましたが、1本手 前の道を進んでしまい、広場内を探していると、山根副長が地面にくっついていて、通路にもなっている木橋のものを見つけて、メンバーも納得。
最後は、保土ヶ谷駅方向に向かって大門通りを直進。
右手の駐車場先に普賢山香象院〔高野山真言宗;1583(天正11)年に忠秀法 印が開山となり創建〕へ。出入口には仏足石があり、本堂まで置石が並んでい ます。出入口の両脇に大きな釜や弘法大師の石碑と象の置物が右手にありました。江戸時代には宿場町最大の寺子屋があったそうです。境内に入って記念写真と参拝。
すぐ先の見光寺〔浄土宗;1629(寛永6)年に大誉珂山が開山となり、保土ヶ谷宿 の住人で熱心な浄土宗の信者である茂平夫妻が開基となって創建〕へ。参道前の民家の桃色交じりの梅が見事。
本堂は鉄筋コンクリート造りで趣きはありません。隣りの普賢山香象院の本堂も見えるほどの近さ。
反則センター交差点前に旧中橋跡の案内板。街道だった頃、今井川が横切っていてこの地に中橋があったそうです。
駅前を左に曲がると、保土ヶ谷駅。駅前のガストで昼食。正午を過ぎていたので約20分待ち。その間、来月の場所と日時を決定。
昼食は全員ランチ。ビールとワインを飲みながらしばし歓談。
13時をまわって、先輩達は恒例の天然温泉へ今来た道を戻り、小生は電車で帰路に着きました。
今回は「旧東海道 保土ヶ谷宿(日本橋から4番目で神奈川宿 の次)(約6.5km)」を巡りました。歩行時間は約2時間。旧東海道の宿場町ということで、マンホールの蓋は箱根駅伝のランナーのデザイン。前月の神奈川宿に続き、旧東海道の雰囲気を皆で歩いて味わいました。
コメントする