〔コース〕
スタート:神保原駅→①安盛寺→②中山道→③金久保神社→④金窪館跡→⑤陽雲寺→⑥賀美公民館→⑦一里塚→⑧大光寺→⑨神流川古戦場跡碑→⑩ガトーフェスタ ハラ ダ→⑪諏訪神社〔五区〕→⑫明治天皇新町行在所→⑬ひなまつり・もてなし広場→⑭新町公民館→⑮駅前通り→ゴール:新町駅
昨年の7/6(日)駅ハイ「新町の寺社めぐりと七夕まつり」以来で、高崎線「新町」駅へ...。昨日に続き、2/22(日)上野発(7:51)に乗って約1時間半。スタートの「神保原」駅は、初の降車。車窓から見えた、上り1番線ホーム内に七福神の像が鎮座していて珍しいので写真を撮りました。神保原駅は、「七福神が住む駅」と呼ばれているそうです。その分、受付では後ろに並ぶことに。
スタートは9時でしたが、駅前で順次受付。缶バッチとマップをもらってスタート。最高気温も10℃を超えて、群馬特有のからっ風も吹かないウォーク日和。すでに、5分ぐらい前にスタートを開始したようで、前に多くのウォーカーが歩いています。
ひなまつりイベントと、新町の特典も楽しめるため、多くの参加者が集まりました。
駅前から間もなく、
コースマップどおりに、最初のポイント 安盛寺〔曹洞宗;1526(大永6)年開山。1582(天正10) 年の神流川合戦で焼失。1615~24(元和年間)に再興された〕へ。
本堂前に弥勒如来がありました。また、鎌倉時代以降、武家の間で信仰された勝軍地蔵も保管されています。
参拝後、旧中山道に沿って歩いて行きます。道は、さほど広くなく車も多くはありません。いったん、右折して、国道17号線を横断して、直進すると、前方に石神社(せきじんじゃ )が見えて来ます。
石神社〔起源は不詳だが古く、古代信仰の対象であった、自然物の石が御神体〕へ。石神社は案内板にも書いてあるように、日本の総社であるといわれています。
元来た道を戻るときに、後続のウォーカーとすれ違います。旧中山道に出て左折して、新町方面へ。
国道17号線にかかる歩道橋を横断して、再び旧中山道をひたすら直進します。
続いて、金久保神社〔152 5(大永5)年、金窪藩主が鶴ヶ岡八幡宮を城内に勧請したことに始まり、神流川合戦で焼失。1615~24(元和年間)に遷座したといわれる。社号額や石柱には「八幡神社」となっている〕へ。
拝殿の天井絵と彫刻がすばらしい。
このあたりで、ときどき見かける障がい者の若者と付き添いの3人組が、ちょうど前を歩いていて、少し大声で話しながらウォーク。かなり、先頭に近い位置で、3人の歩くスピードは速いんですが、そのあとを、少し遅れながら付いて行きます。
続いて、金窪城(館)跡は、1177~80(治承年間)に築城。1582(天正10)年に、織田信長軍滝 川一益に攻められ落城。神流川に臨む崖上に残る平城で、城址とともに公園が整備されていて、土塁や堀の一部が見られます。石碑と案内板が立っています。まわりに田園風景が続きます。また、マラソンの幟も...。
旧中山道に出て、横断して新町方面に向かうと、間もなく陽雲寺〔曹洞宗;1205(元久2)年の創建といわれる。竜頭が上向き の朝鮮式といわれる銅鐘や旧南城の土塁も見られる〕へ。寺の門柱から境内までが遠く、左手に曲がって広い境内には鐘楼や本殿があり、手前の紅梅がちょうど見頃に。
その先の賀美公民館前で、案内ガイドから公民館でのサービス を言われて、立ち寄りました。地元で「つみっこ」と呼ばれるすいとんが入っているけんちん汁のサービス。
テーブルや椅子も用意されていて、しばし箸をもらってご馳走になります。熱くて汁の中身が多く、お腹が結構いっぱいになります。
小生は、早めに食べて、先を急ぎます。途中。国道17号線に出合う手前右手に、勝場庚申塚、一里塚〔中山道の両側に一里〔約4キロ〕ごとに造られた〕跡の碑があります。これ は、日本橋から23番目の一里塚で、塚と天王社が建立されています。
いったん、横断して大光寺〔臨済宗;1215(建保3)年に創建。その後、1411(応永18)年に現伊勢崎市の泉龍寺白崖宝生禅師より再興された。しかし、1582(天正10)年の 神流川合戦により総門のみ残し焼失した。明治42年2月に高崎線の灰煙を被り全焼したため、本堂等を再建し現在に至っている。なお、栄西禅師直筆の扁額と総門、忠臣直重父子の冥福を祈った不背碑(親子地蔵)、六角のガン部を持った石憧、神流川の渡しの標準と旅の安全を祈った見透灯籠が現存している〕へ。
参詣後、また、元来た道を戻ります。
旧中山道を進んで、村山酒造跡を過ぎて神流川渡場の常夜燈「身透燈籠」のレプリカ(本物は大光 寺にある)を見て、国道17号線の神流川橋を渡ります。
橋の中央部では、人が一人通れる程度の狭い歩行者用道路の左側を大型車や車がビュンビュン飛ばしています。前から来る自転車を避けながらのちょっと不安なウォーク。
川幅は広いんですが、水の流れる川は真ん中の一部分で、河原が合戦場になったほど河川敷が広いのが特徴。
間もなく神流川古戦場跡碑〔1582(天正10)年 に、織田信長の重臣・滝川一益が本能寺の変で仇 をとろうと上京する際、北条氏と激戦した〕前に到着。神流川沿いにはサイクリングロードが続いています。
古戦場跡碑前の国道を横断して、洋風の建物「ガトーフェスタ ハラ ダ」(群馬だけでなく、全国的に有名な洋菓子店)があり、館内で、冷 たい飲み物とラ スク2個入り1袋をいただきました。お菓子の製造過程のビデオ上映もされていて休憩もできます。隣りの建物では洋菓子を販売していて、女性が多く長蛇の列。観光バスが停まっていました。
道の途中に、「新町検問所 」(昔はスピードオーバー、積載量 のチェックなどを行っていたと中村氏 の説明)と書かれた塔が立っていて目を惹きます。奥に新町交番。産業道路に出て、今度は右折北上し、信号を渡って、諏訪神社(五区)〔1708(宝 永5)年に現在地に移築され、石鳥居「明神鳥居」や神社の北裏に 江戸時代前期の石製鳥居が半分埋められた状態で保存されている〕へ。
その先の浄泉寺の樹齢400年ともいわれる、高さ約25m、周囲5.2mの大銀杏(高崎市 天然記念物に指定)を見上げてから、その後、県道中島新町線に出て、一直線に西へ。
十字路を左折し、じょうごを逆さにしたような 形をした東屋がある行在所公園へ。今回はこちらで甘酒サービスとイベントや各種模擬店、新町バザールが出ていて、またスタンプラリーの景品所になっていて、賑わっていました。
また、ゆるキャラの「ぐんまちゃん(県)・しんまちゃん(新町商店連盟)・カリ坊(新町オ リジナルグルメ)」が来ていて、子どもたちや家族連れに愛嬌を振りまいていました。右折すると石畳が続きます。明治天皇新町行在所〔1878(明治11) 年、明治天皇が巡幸の折に、御宿泊のために新設〕の建物内では、ひな人形のひな壇が披露されていました。
駅前通りとの十字路横に群馬銀行があり、その前におつまみのお菓子無 料サービス。遠慮なく数個いただきました。
その後、コースをショートカットして、 駅前通りを南下。右側にきれいだった七夕 飾りの道を思い出して、その先の新町公民館内のひな壇飾りと、新町商工会(本日休み)で、ガラス越しにひな壇を観賞。ひなま つりだ関連場所は、カットせず。
新町駅のゴールは 11時7分で、約11kmを約2時間で歩いたことに...。
改札口で、上り電車が滑り込んで来ました。昨日の二の舞はごめんと思い、駅員に確認して乗りました。
帰りは、高崎線普通電車(11:09発)で座って、浦和で京浜東北線に乗換え、一つ目 南浦和から武蔵野線で西船橋、中央・総武線に乗換えて幕張本郷駅まで。本日もずっと、座れて楽でした。
前日の鴻巣のひなまつりが質・量ともきれいですごかったので、新町はまち中にあるひなまつり(ひな壇)は、だいぶ見劣りがしました。 その分、地元の駅ハイに取り組む姿勢と数々のサービスは、他の駅ハイと比べても、だいぶ得をして来て良かった感がしました。
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