オジン隊「いちごの里ハイク(山武)」(小生3回目)で 奇跡的出遭い

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2月20日(金)、オジン隊駅ハイで、「山武 いちごの里(成東)約11km」 に参加。

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〔コース〕

成東駅→  スタート わが街ご案内処→成東城跡公園→浪切不動院→伊藤左千夫記念公園→歴史民俗資料館→伊藤左千夫生家→ストロベリーロード→月蔵寺→大高醤油→光明寺→ ゴール  わが街ご案内処→成東駅

 

 

2ヵ月ぶりにオジン隊4人が勢ぞろい。先月の川越駅ハイは中止になりましたが、先輩方が強行して雪がずいぶん降っている中を元気に歩いて、小生だけが、2日後、川越に。

 

今回は前月とは一転、風は若干冷たかったんですが天気も良くて、春が近づいて来ているという感じの中を歩きました。成東駅(総武本線、東金線)に9時集合。小生は千葉県内で乗車時間は短いんですが、先輩たちは、かなりの遠出。

150220 (1).JPG駅前の「わが街ご案内処(観光案内所)」で、コースマップをもらいスタート

早速、川越 駅ハイの様子を聞くと、兼子隊長が『雪の中を歩くのは、勇気(ゆーき)がいる』 と、朝一番のジョーク。

 

和気藹々と四方山話をしながら、最初のポイント、成東城跡公園へと向かいます。「イスラム国」に殺害された後藤健二さんが、母校(高校・大学)の出身だということも初めて聞きました。

また、12月に行った「富岡製糸場(世界文化遺産)」駅ハイが、製糸場だけだったら、ただの観光になってしまったけれど、城山のハイクがあったおかげで、駅ハイになったという話と、製糸場は一度見学に行けば事足りてしまうと、全員が納得。『製糸』だけに「生か死か」というジョークは、意味がわかりません。

また、小生の妻が1月末に、バスツアーで富岡製糸場に行った際、カイコの形をしたチョコ、富岡の銘菓「かいこの王国」を買って来なかった話をすると大笑い。

先週の14日(土)に、小生が横浜・本郷台 駅ハイに参加した帰り道が、鎌倉に抜けられたと話すと、鎌倉幕府や頼朝の話になり、遠藤副長から 『京都や江戸は、幕府を開く土地としてはわかりますが、鎌倉は山と谷で囲まれ、あとは海の地形で、東西の中心地から離れていたのに、幕府が開かれて政治の中心地になったのは、ある意味不思議。京都守護職などを置いていたので、統治ができたんでしょう!』 と。

 

中央公民館を右折すると、JA山武 緑の風の建物前を通ります。昨年ゴー 150220 (2).JPGル近くにあり、豚汁サービスがあったことを思い出しました。

 

作田川にかかる城址公園大橋を渡ると、間もなく左手に上がる山道が。今年から期間設定コースになったので、矢印がスタート地点からありましたが、山道に 150220 (4).JPG入る地点に、4、5個あって、『どんだけ~多いのか?』 と。

 

手前の用水路は水が多く、水面の高さが路面とあまり差がないことから、『子どもがここに落ちたら大変な事故になるね』 と。

150220 (7).JPG 150220 (5).JPG

愛宕山への細い道の足元には落葉、道の悪いところを避けて歩きます。城跡公園(桜の名所)はそんなに高くはないのですが、山の上には展望台 や空堀、本丸跡などの他、テニスコートの運動施設も。

晴れていたので、山武市街や九十九里浜の海岸も眺望できました。

 

150220 (12).JPG城跡公園から眺望後は、新興住宅街を抜けて舗装された道路をまわり込んで、成東小学校横を通ります。途中、歩いていた猫を動物好きの山根副長が撫でて愛らしい光景。

 

 

左折し、小さな寺院を過ぎて、前方の石塚山中腹にそびえ立つ浪切不動院長勝寺は、天平年間(729~749年)に行基が難破船の海難除けとして不動尊像を彫ったものを弘法大師が石塚山に移して開眼し、お堂を建立したのが始まり。新上総国三十三観音・第三十二番札所〕へ。

150220 (13).JPG 150220 (14).JPG 朱塗りの本堂は、入母屋造りの瓦葺き、間口三間、奥行四間、欄干・回廊をめぐらした懸崖造りとなっています。創建年代は不明ですが、改修をした際に発見された棟札に1618(元和4)年と記されていたと伝わります。

右手に狭く囲まれた、四国八十八ヵ所巡りを順番に小さな仏像と寺名が書かれた場所があります。

 

急階段を登ることになって、本堂へ向かう途中の観音堂には、ぼけ封じ縁むすびの石がありま150220 (15).JPG 150220 (16).JPGす。朱塗りというよりはに近い本堂から、成東の町や海を一望できて感激!

境内には、昔ここが海だったこ CIMG0270.JPGとを示す奇巌・怪石もあります。寺には、しだれ梅、白梅がありましたが、今年は寒いせいか、ほころんでいた程度で咲いていません。

 

150220 (18).JPG作田川の大橋を渡る際、橋のたもとに伊藤左千夫の歌が刻まれていて、遠方 浪切不動院がすくっと浮かび上がります。

 

国道126号線を渡って、昨年は山武市役所前の駐車場で「いちごの里 さんむS1グランプリいちごスイーツ対決 があって、 150220 (21).JPG 150220 (20).JPGイチゴのスイーツが安価で食べられたことを先輩たちに話すと、残念がると思っていたのに、『それって、ハトちゃんの場合、M1グランプリじゃないの?』と、逆に冷やかされて一同大笑い。市役所前に大きな観光案内板があります。すぐ前方左手に、伊藤左千夫記念公園。小説「野菊の墓」の政夫と民子の像」が立っています。ここで、トイレ休憩。

 

続いて、山武市歴史民俗資料館へ。左千夫記念館も兼ねていて、左千夫の遺品・書籍・文房具など 150220 (28).JPG も展示されています。

資料館に入館。先輩たちは2階に上がって、左千夫関連の写真や資料を見学。小生は、昨年閲覧したので、女性係員と立ち話。

 

手前に、伊藤左千夫の歌碑と、来館記念『野菊の墓』の政夫と民子の顔はめ看板があります。 150220 (27).JPG

また、裏庭に、座敷、奥ノ間、囲炉裏、土間などのある伊藤の生家茶室 真閣』を見学。

 

マルキ苺園の角を左に曲がって少し進み、右折して真っ直ぐ田園風景を歩いて 150220 (29).JPG行くと、やっと境川の耕基橋のたもとに出ました 。橋を渡り、川沿いの道を進みます。黄色い菜の花がわずかに咲いていました。オジン隊で、以前、南流山の荒川土手沿いの黄色く埋まった菜の花を観ているので、何とも寂しい限り。 周囲は、田園風景が続きます。

 

総武本線の踏切を渡り、ほぼ直進すると、国道126号線沿いの通称ストロベリーロードへとぶつかります。

右に曲がって、ストロベリーロードを約1.5km直進 150220 (32).JPG 150220 (31).JPG。カラフルな「いちご園・いちご狩り」の幟や看板・店が続きます 。一坪ほどの販売所や、大きいビニールハウスがある苺園など。その数は、ざっと見ても、30軒を超えます。いちご狩り料金の割引マークの店も。

何件か覗いて見ましたが、駅ハイ推薦の店「順子の苺園」で買おうということに...。

コース折り返し地点近くの「順子の苺園」で、先輩たちは苺や苺のスイーツを買いました。寺院を探しながら、やっと見つけて月蔵寺〔九十九里七福神めぐりの 150220 (34).JPG 150220 (35).JPG寺として知られている。境内に大黒天〕へ。

1973(昭和48)年に新築された本堂の赤茶色の屋根が目立ちます。 

 

その後は、車がほとんど通らない旧街 150220 (36).JPG道をひたすら戻りました。

 

通り沿いにある大高醤油〔1804(文化元)年より、 醤油などの製造・販売〕 は、前職場の退職者の動向や現役就労者の人事の話題に夢中のあまり、通り過ぎてしまいました。 

途中、光明寺〔徳川将軍家の菩提寺である上野寛永寺の 隠居寺として、835(承和 150220 (38).JPG 150220 (42).JPG 150220 (40).JPG2)年建立、七福神の寿老人を祀る〕へ。手前の山門が古刹と勘違いして境内に入りそうになります。境内に入ると本堂があり、菩薩像などが建っています。本堂前にマラソンの碑〔小出監督と高橋尚子選手の足型〕と説明文がありました。

境川にかかる往環橋を渡って、 踏切を渡ると、間もなく成東駅前へ。

観光案内所でゴール手続きをした後、正午を過ぎていたので、スタート時に先輩たちが目をつけていたところで、案内所でも勧められた御食事処「成美」に入店。 150220 (43).JPG

入って間もなく、昼食を注文しようとすると、女性店員さんが 『山根さんでは?』 と、いきなり山根副長の名前を呼びました。

他のメンバーも『何で名前を知っているのだろう?』 と怪訝な顔、顔、顔。山根副長も当初、気づきません。

やっと、思い出して 『順子ちゃん?』 と。

何でも、以前の家の近所の幼馴染の順子ちゃんと、30年以上の奇跡的再会。

山根さんからもメールで、「偶然入った食事処で、30年以上ぶりで、近所の女の子に会うとは思いもよらず本当にビックリ!  別の店に入っていれば会えなかったわけで、こんなこともあるんだなと不思議な感覚でした。彼女も元気そうで良かったです」と。

それも、偶然、入店した藤沢(神奈川)とはずいぶん離れている当地で、出会うとは!

多くの駅ハイの中で選んだ成東で暮らしていたとは、運命というか不思議なことが起こりました。

 

隊長いわく『成東だけに、そうなるとう 思った』 と。DSCN5519.JPG

 

昼食を食べながら、来月の駅ハイを大宮に決定し、最後に店の前で、順子さんと記念撮影

 

みんなで、この日最大の奇跡を車内でも語り合いました。

「順子の苺園」にはじまり、店で、長渕 剛の「順子♪」が流れて、「山根さんの幼馴染の順子さん」と3連発。

 

順子づくしの、オジン隊としても記憶に残る駅ハイとなりました。来月の大宮でも、何か起こりそうな予感が...。

 

 

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このページは、hatochanが2015年2月23日 10:32に書いたブログ記事です。

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