コースは;川崎駅 芭蕉の句碑小土路橋跡川崎・砂子の里資料館田中本陣跡川崎稲荷社六郷の渡し跡京急大師線港町駅「港町十三番地」歌碑川崎大師表参道・仲見世通り川崎大師平間寺中島八幡神社稲毛神社川崎駅
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13日の金曜日。オジン隊は「JR 駅からハイキング」で「旧東海道川崎宿から川崎大師へ。川崎歴史めぐり(約9.5km)」に参加。
天候は雲が多く、歩き始めは肌寒い感じ。ウォーク中は雨には降られませんでした。
改札口前は、多くの乗降客が行き交っています。駅びゅープラザ前で受付開始(10:30)。既に先輩たちは手続きを終わり、待っていてくれました。通常は9時スタートがほとんどですが、本日は10時30分と遅い受付。
小生が『体調が悪いのでショートカットする』 ことを話すと、兼子隊長から、『隊長(体調)じゃ無いから!』 と間髪を入れずにジョーク(笑)。
なお今回は歩きませんが、駅から地下街が広がっていて、飲食店やプディックをはじめ小物店など、横浜の地下街に負けないぐらいのお店がいっぱいあります。駅前広場は駅ビルをはじめ、一大商業都市に様変わり。
途中の雑談中、川崎というと、昔のロッテ本拠地〔1978(昭和53)~1991(平成3)年まで〕「狭い、汚い」といわれた川崎球場のイメージを思い出しました。まだ川崎競輪場、川崎競馬場、それに堀之内のソープランド街などは残っています。
「ギャンブルに縁の無いオジン隊には無用の産物」という結論でした。
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まず階段を下って、東口へ出ます。マップを確認して、京浜急行線に沿っ て通りを直進。時々、京急の赤い電車が高架上を行き交います。
和気藹々と話しながら、市電通りとの交差点(日進町)を横断して左折すると、旧東海道に出ます。ここで、東海道から箱根駅伝の母校の話題に。馴染みの法政二高(神奈川県大会初優勝)が新春の全国高校駅伝に出場。将来の大学駅伝の優勝も夢でないことに話が及びました。
右折して京急の線路際 まで進むと、角に松尾芭蕉の「麦の別れ」と呼ばれる「麦の穂を たよりに つかむ 別れかな」という句碑が建っています。流山駅ハイから始まった隊長や副長たちの投句の方が上手かも? その先に「八丁綴」駅のホームが見えます。
句碑を見た後は、川崎警察署前を通って、旧東海道を引き返します。途中、「ビバース日進町2005(高齢者向け優良賃貸住宅)」玄関前に、芭蕉ポートパークがあり、句と作者と旅姿のシルエットが目に止まりました。
市電通り(日進町)を横断して、旧東海道の川崎宿があった道を進みます。
「旧東海道」と刻まれた石の道標を見ると、電車が無かった頃の江戸時代以前の飛脚や旅人の姿が目に浮かびます。その時代に思いを馳せて、ゆっくりしたスピードで...。 道幅は意外と狭く、車の往来も少なくて歩きやすいのですが、往時の賑やかさは残っていません。
新川通り(県道101号)の砂子交差点に出ると、右手に「いさご通り」の大きい目新しい看板が建っています。「砂子」と書いて、「いさご」とはなかなか読めません。 小土呂橋跡は 、左折してすぐ。そのまま直進するとJR川崎駅へと通じています。橋跡は、1931~33(昭和6~8)年に埋め立てられたため、現在は欄干の親柱だけで、見落としがちです。
横断して、さらに旧東海道を散策。 間もなく左側に「砂子の里資料館(入館無 料)」へ。かつて、川崎宿として賑わった地に建てられ、川崎宿の 模型や浮世絵、資料等を展示。外装はなまこ壁風で江戸町屋の雰囲気を醸し出しています。残念ながら休館。
ハンコ屋の店先に、川崎宿のポスターがありましたが、話は印章の質に及び、象牙が最も良いということに。隊長は象牙のハンコを持っているとのこと。
次に、すぐ先の右側に、2013年10月1日にオープンした「東海道かわさき宿交流館」へ。江戸時 代の川崎宿を伝える歴史文化資料館(入館無料)で、ビデオ紹 介、タッチパネル操作で学べる文化交流施設。名産品も販売。女性受付員からパンフをいただきましたが、先を急いで館内観賞はカット。
余談ですが、1階から3階の展示室までの階段の一段一段に、歌川広重の「東海道五拾三次」の浮世絵が日本橋から京都三条大橋までがプリントされていて、知っている絵と宿が順番に覚えることができるアイデア。ちなみに「川崎宿」は3番目。オープン当初に来館して知っていたのに、本日は忘れてしまい、先輩たちには悪いことをしました(前回の写真を掲載します。ごめんなさい!)。
その後、途中に「カクヤス酒店」があり、小生が『品物は全部、格安なんですかね?」というダジャレを。
左側に目立ちませんが、田中本陣(宿)跡の案内板を確認。さらに直進して、本町交差点を渡り、次 の川崎稲荷社はいったん通り過ぎてしまい戻ります。戻る際には案内板が見えましたが、進行時には無し。わかりづらい。左手の小道を入って左側の白い鉄柵越しに、赤い鳥居と一対の狐が鎮座していました。
多摩川(昔は下流域を 六郷川と呼んでいた)の土手に上 がると、六郷の船渡し跡〔1600(慶長5)年に徳川家康が六郷大橋を架けたが、大洪水で流されて、明治に入るまで船渡しをしていた場所〕の案内板があります。
そこから、橋を渡らずに、手前の舗装道を進みます。左手に幅広い多摩川の流れを眺めながら、間もなく右折。
隊長が多摩川を見て、『「岸辺のアルバム」(八千草 薫、杉浦直樹主演)で、倦怠期を迎えた夫婦の危機と子供たちが、最後に川の決壊・水害により家族が崩壊するTVドラマがあった』 と言ったので、ハトちゃんが『岸部四郎(元タイガースメンバー・タレント)の転落人生(自己破産、闘病、妻の死...)と同じ?』 と話すと、メンバーに馬鹿受け(笑)。
京急線に沿って歩くと、京急港町駅へ。
駅改札口前に、美空ひばりの写真とレコードが描かれている「港町十三番地♪」 歌碑があり、小休止。演歌ファンの遠藤副長は、特に感激。駅員さんに頼んで記念撮影。所属していた日本コロンビアの本社と工場は9番地にあり、13番地は存在しません。歌碑の背景に拡大した航空写真中にありました。
港町駅を過ぎて、久根崎の Y字路手前で、腰痛と坐骨神経痛のハトちゃんはショートカット。先輩たちはコースマップどおりに、川崎大師方面へと別れました。
小生は、一人、大師通りを本町方面へと。 川崎競馬場前を通ると、かなりの広さを感じました。本日はJRAの場外馬券発売も無く、駐車場出入口でガードマンが手持ち無沙汰の様子。
正面に第一京浜(国道15号)が見えて、国道に沿って歩いて間もなく、長い歩道橋を渡り、右側に下ります。その先に鳥居の観える川崎稲毛神社〔江戸時代川崎宿の鎮 守で、通称"山王様"といわれる古社〕境内へ。ちょうど、七五三で参詣に来ている親子連れが。
大きな鳥居をくぐると、小さな赤い鳥居が...。横にある御神木の大銀杏は樹齢約千年ともいわれている古木で、江戸時代には東海道を旅人に「山王様の大銀杏」として知られていたそうです。また、周囲を回りながら願い事をすると、願いが叶うとも言われています。
神社を出て、稲毛公園〔菊花大会開催中〕の公衆便所を過ぎると、悪臭がプゥ ーンと。歩道橋を渡らずに右手方向へ。市役所通りが川崎駅まで続きます。歩行者と自転車道路の色分 けはありますが、あまり守られていません。自転車用道路に歩行者が歩いていたり―。
だんだんと駅に近づくと、商店街や大きなビルも...。デパート「アトレ川崎」の3階から、JR川崎駅の改札口へ。
本日は、歩行距離が短かった(約6km)ので、駅へは12時30分に到着。昼食をとらずに京浜東北線に乗り込み、腰の負担を減らすべく、乗換え1回で、秋葉原から中央・総武線で幕張本郷へ。
今回は、最後まで一緒に歩けませんでしたが、早く治して、また楽しみたいと思います。
川崎の近代的な街づくりの陰に、多摩川や旧東海道の川崎宿の歴史と文化に触れたウォークができた半日になりました。
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〔追記〕 先輩たちが歩いたコースとエピソードを掲載(文;兼子隊長)。
大師線大師駅から入り組んだ川崎大師への道を辿り、両側に並ぶ参道商店街に入ると、
「名物の飴をどうぞ、美味しいですよ」と両側から声が掛かり、山根さんは後で戻って
お土産に買いました。三人の共通の土産は、山門前の住吉の「久寿餅」でしたが、日持ちが
2日と聞いて食べれるかな?と私は少し不安に。
七五三の時期で、着飾った母子が多く華やいだ感じでした。賽銭は20円。私は本堂で
ほうじ茶をいただいてきました。
参拝後は公園を抜け川崎駅まで真っ直ぐに、途中のポイントには寄りませんでした。
遠藤さんが、公園内のシュロの樹か、ソテツの樹か南国の樹木のことを聞いたのですが、
名前が解らずじまい。ウオークの途中にもありましたが、背丈が低く太った形。
駅には13時半に到着。駅ビルの7階の「なごや」という店で、味噌カツ定食とビールを
飲んだのはいいのですが、この時帽子を忘れてしまい、矢向の「志楽の湯」に入っての帰り
に思い出しました。お蔭で川崎駅乗り換えの際に、お店に寄ってみるとレジの後ろに保
管してくれてありました。めでたし、めでたしでした。
最後に、兼子隊長の一句で締めくくり
「七五三 川崎大師 太子堂」
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