コースは;西日暮里駅 神明都電車庫跡公園六義園フレーベル館 えほんとおもちゃのお店光源寺森鷗外記念館団子坂須藤公園根津神社へび道谷中銀座商店街よみせ通り商店街西日暮里駅
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『一週間のご無沙汰でした』(TV歌番組「ロッテ歌のアルバム」司会の玉置 宏の恒例の挨拶)。やっと体調が戻って来たので駅ハイへ...。
どんよりとした雲が多い中、JR 駅ハイで11月20日(金)本日から始まったいつでもコース西日暮里駅~谷根千~西日暮里駅 「道灌山学園保育福祉専門学校プロデュース 都心の紅葉と昔ながらの谷根千散策(約7.2km)」に参加。
京成本線で日暮里駅まで。JRに乗り換えて西日暮里駅へ。少し早く着いたので、20人ぐらいの列に並んで、駅長挨拶・歩行上の注意後、9時5分前にスタート。
道灌山通りを直進。左側に東大進学で有名な開成学園前を通過。
不忍通り(道灌山下の四つ角)を右折。約1km先の動坂下を通って、最初 のポイントをめざします。駒込稲荷坂前の勤労福祉会館裏の神明都電車庫跡公園へ。
園内には、昭和22~28年製造の山吹色の都電(6000系)と貨物車乙2号が保存されていて、観賞できました。
その後、コースは不忍通りを駒込方面の六義園へ向かいますが、ハトちゃんは11月3日の駒込駅ハイでゆっくり観賞して来たので、いったん動坂下へと戻って、右に曲がって、動 坂を上ることに。
途中、駒込公園や都立駒込病院があり、車や人通りも少ない感じ。
1kmほど歩くと、右手に徳蔵院のバス停があり、左側に学校の建物を確認。マップに書かれた細い道をとにかく進むと、4番目のポイントがある光源寺(右)と駒込学園(左)の横へ。
「光源寺」は、読み方によっては、「光源氏」とも読めますね?何でも境内には奈良の長谷寺の十一面観音像が造立されていましたが、東京大空襲で焼失。その後、平成5年に約6mの像「駒込大観音」が再建されています。
その後は、コースマップどおりに大観音通りを歩いて、森鷗外記念館前へ。モダンな建物で、外壁に大きく「ドクトル・リンタロウ―医学者としての鷗外」という文字が...。外観のみ。
そのまま、急な団子坂を下って左手の細い 路地を進むと、須藤公園〔加賀藩支藩の大聖寺藩の屋敷跡で、後に実業家の須藤家が1933(昭和8)年に東京都に寄付〕へ。敷地は狭いが池があり、赤い橋の先には、社と、裏には高さ約10mの滝も落ちています。
須藤公園の出入口を右に出ると、不忍通りへと。いったん、根津神社へと向かいます。
千駄木2丁目の交差点を右折。社殿裏の鳥居から境内へと。境内には神社や稲荷などが数社あります。
根津神社〔約2千年前に日本武尊により建立されたもので、その後江戸時代には、将軍家の徳川家 に庇護され、6代将軍家宣の産土神として手厚く保護され、現在に至っている。絢爛豪華な社殿等とツツジで有名。境内に、楼門、唐門、透塀、社殿が点在している。特徴的なのは社殿が本殿と拝殿が連なった造りになっている。社殿、唐門及び透塀は重要文化財〕へ。
今年は紅葉が遅く、もう少ししないと見頃になりません。境内は広く、参拝客や七五三詣の家族連れで賑わっていました。 雨がポツポツと落ちて来ました。
参詣後、神社の立派な鳥居があり、隣りに日本医科大学大学院があって、不忍通りへ。
不忍通りを横断して、谷中地区へと足を踏み入れます。
このあたりで目立つのが寺町ということで、江戸時代から続 く寺社仏閣が両脇に次々と続きます。名前が覚えられないほど多数。江戸幕府の政策により、神田付近の寺社が移転し、寺町を形成したとのこと。
途中にへび道と呼ばれるくねくねと曲がっていて、先が少ししか見えない路地を進みます。
へび道を抜けてコースを変えて、直進。
ここから、マップには、西日暮里駅へとなっていましが、ゴール手続きが無いので日暮里駅でゴールすることに。
途中、日暮里駅へ向かう道へ。右に曲がると、谷中銀座商店街。コロッケ30円、バナナ8本で100円など、激安の商店街でしばし買物を... 。両脇が狭いので、自然と商品や値段表示が見え、庶民感覚の店が立ち並んでいます。ウインドーショッピングをしながら、レトロな雰囲気を味わえます。途中、オジン隊の面々が好きな投句箱がありました。
夕やけだんだん〔JR日暮里駅から谷中銀座商店街へ向かう途中にある〕の階段を上って、駅方面へ直進。
駅傍の本行寺〔日蓮宗の寺で「月見寺」と もいわれた〕前を通って、跨線橋の上から電車の通過が眺められます。右側のJR日暮里駅でゴール。隣接する京成本線一本で帰宅。
何度か駅ハイやオジン隊でも似たようなコースを歩いていたので、復調後ということもあり、歩行距離は約6kmと軽めでしたが、谷根千をめぐり秋を感じたウォークとなりました。
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