昨日に続き、11月2日(日)の駅ハイは、「昭和の雰囲気漂うレトロな街 「石岡」を歩く(約6km)」に参加。
朝方、石岡は雨がだいぶ降って、土浦を過ぎたあたりから濃霧。電車の前方も視界が悪い状態。
石岡は、母の実家があって、ハトちゃんは実家で生まれて、おじいさんが生きていた頃から、大変お世話になりました。小生にとって、思いで深い "第2の故郷"です。大きくなるまで夏休みなど、過ごした馴染みの多い街です。
スタート受付が9時でしたが、早めに駅に着きました(8:16)。駅に降りる と、駅の改装中。しかし、駅前の風景はほとんど変わらず、昔のまま。
〔コース〕
スタート:石岡駅→①国分寺→②イベント広場(商工祭)→③民俗資料館→④常陸國總社宮→⑤看板建築→⑥府中誉→⑦ゴール:石岡駅
昨夜、叔父さん(母の弟)の家に電話して、駅ハイ終了後、寄ることにしました。ただし、路線バスが午前中10時35分発一本のみ。間に合わないと、歩いて1時間ほどかかるので、何としても乗らなければなりません。
受付は、資料の袋の組み合わせで準備中。事情を話すと、受付の男性は親切に、ゴールドカードを自分の携帯にかざして、1番でスタートさせてくれました。人柄の良い茨城県民という感じ。マップとバッチだけもらい、ゴール後、必ず寄るということに。
駅前は、早朝ということでほとんどの店は閉まっていました。御幸通りを直進して、T字路で国道365号線香丸通りへ。右折して、二つ目の信号先に矢印があり、左折。矢印は、その後、道を必ず間違えないようにほとんど付いていました。
右側に常陸国分寺跡〔741(天平13)年、聖武天皇の勅願により、国土安泰・万民息災を祈願して 全国66か所の一つとして建立され、常時30名の僧がいました。1977(昭和52)年の発掘調査により、本堂西側に鐘楼基壇、その後、各伽藍(主要建造物)、金堂跡などの大規模がわかり、中門・金堂・講堂が一直線に並び、中門から金堂にかけて回廊が巡っていたことが分かりました。国指定特別史跡〕へ。
出入口に太い枝が低く生えている桜の木をくぐって入ると、境内奥には塔跡のものと思われる礎石(心礎)がありました。また、出入口近くに、萱葺きの旧千手院山門が古刹を感じさせてくれました。
国分寺跡付近を見た後、弁天 地を左折すると、30回記念「いしおか商工祭」の会場であるイベント広場へ。前日の雨で、出入口に は水溜りができて、芝生が だいぶ濡れていました。
飲食や販売、展示コーナーおよびイベントステージは準備中。帰宅後、知人である旭市在住の江田ご夫妻の話では、10:00~10:50に行われた幼稚園児・保育園児の鼓笛隊演奏が素晴らしかったそうです。
さらっとまわって、広場を出ると右に曲がります。直進して、信号を左折。若宮 八幡宮は右にちょっと入ったところで寄り道。お稲荷様と併設されていましたが、境内は狭く感じました。
狭い道を進んで、市民プール前で清掃中の人を見かけました。
すぐその先を左折すると、石岡小学校前に、陣屋門〔1828(文政11)年火災に遭って焼失した江戸小石川の常陸府中藩邸が再建された際の余材を使って建築された。1969(昭和44)年まで小学校の校門として使用。高麗門形式〕がありました。
次のポイント 郷土資料館の看板を確認したのですが、場所が見つかりません。
小学校の校庭では少年野球の練習中。ちょうど車を止めていたお母さんたちに聞くと、わからず。もう一度、看板を見直すと、小学校敷地内と書いてあり、校庭を入った右手に小さな郷土資料館の建物があり、外観のみ。お母さんたちも 『学校には来ていたのに、郷土資料館だとわからなかった』 と。
ハトちゃんが、マップを持って歩いていたので、『今日は、何かのイベント? どこから来たの?』 と聞かれて『JRの駅からハイキングで千葉から来ました』 終了後、母の実家の地名を言うと、『親戚がいるので良く知ってんど!』と、懐かしい茨城弁で答えてくれました。
その後、道を進むと、石岡小学校の南に常陸國總社宮〔大宝令に制定された神祇官に相当するも ので、祭祀を掌り国内の諸社を総官した神社で常陸国の総社として崇敬される神社。9月の例大祭では見物に訪れる観光客は毎年40万人を数え、「関東三大祭」で有名〕へ。
東向きに、参道入口の鳥居が立っています。鳥居をくぐって、参道を進むと、突き当たりで左折。手水舎があり、正面に随神門が。
随神門をくぐると境内になってい て、社務所の前に、幾つかの境内社が並び、境内手前に拝殿、後方に本殿があります。拝殿の横にも、十二末社や石碑などが並んでいます。
また、神楽殿に白い獅子頭が一対、置かれていました。拝
殿の前には、御神木の大樟があります。
社伝によれば、聖武天皇の天平年間勅令により、常陸国では、現在の石岡小学校辺りに国府〔府中城跡〕があり、近くに神社が造営されました。
その後、マップに沿って左折し、筑波銀行前で、女性の史跡ボランティアさんから、チラシと看板建築の店とビューポイントを教えてもらい、右に曲がって中町通りを進みます。
――看板建築は、老朽化により急速に減っているそうです。看板建築とは、関東大震災後、商店などに用いられた建築様式で、建築史家藤森照信が命名したもの。 典型的なものは木造2階建ての店舗兼住宅で、建物前面を平坦として(軒を前面に出さない)モルタルや銅板で仕上げて装飾をつけます。ちょうど看板のような平坦な壁を利用して、自由なデザインが試みられたため、看板建築と命名されました。建築物の造作に商店の「看板」を作りつけたものではなく、また、看板建築の平面は看板・広告スペースとして用いられるものではありません。
石岡大火(1929年)の後に建てられた建物で、まず右手に看 板建築の「すがや化粧品店」。その先にまち蔵「藍」〔江戸時代末期に建てられた木造2階建ての商家建築、染物屋「丁子屋」を活用した観光スポット。各種展示や特産品の販売、喫茶スペースあり〕へ。
そこから道路反対側の福島屋砂糖店・久松商店・十七屋履物店など、昭和レトロを感じさせる懐かしい看板建築の代表的な建物 が立ち並び、国の登録有形文化財〔1996(平成8)年の文化財保護法の一部改正でスタート〕に、中町通りを中心に12件18棟が登録されています。
また、コンビニ手前にいた女性交通整理員の案内で細い道に入ります。
間もなく石岡が酒の醸造で有名になった「府中誉」酒蔵へ。筑波山 からの豊かな水を利用して酒造りは、「関東の灘」とも呼ばれています。
帰りは、金丸寿通りを石岡駅方面へ。駅前でゴールして、濡れ ティッシュやチラシの入った獅子頭のデザイン袋をいただきました。ウォークの途中からはどんどん晴れて来ました。
まだバスの時刻まで時間があったので、観光案内所でたずねて推奨された「高野菓子店」の釣鐘最中を買いに...。
久しぶりに田舎に来たことと行き先を話すと、母の勤めた農協下志筑店(現在のJA)の上司の娘さんが店の女将さんでした。話してみると、奇遇なことがあるんですね。
バスは15分前にターミナルに到着。珍しい若い女性の運転手さんで、石岡の最近の様子を聞くと、『駅前は過疎化が進み、シャッター通りになって来て、街も国道6号線から外れているので、デパートやスーパーが無く、発展しません。レトロな雰囲気の観光などを工夫して、まちの活性化が必要ですね』 と...。結局、乗客は2名のみ。ほとんど、乗用車で行き来している現状です。
約10年ぶりの帰省だったので、途中からは道路が整備されていてビックリ。
バス停を降りて、運転手さんに挨拶。叔父さん宅への道は、子どもの頃、良く遊んだ道で、懐かしさが甦りました。
ほぼ10年ぶりだったので、叔父さん宅の敷地 内に洋風な建物が立っていて、右手の作業場では、息子のお嫁さんが千代田女性部の皆さんと一緒に志筑名産「なすの辛子漬」の詰め込み作業でおおわらわ。お土産として、三ついただきました。
小生は、84歳になった叔父さんと居間で、久しぶりの四方山話に浸りまし た。腰が曲がって、遠出ができないとのことだったのですが、会うことができ、顔色も良くて、元気そうでした。
かすみがうら市の戦没者遺族会の副会長を務めるいとこ(小さい頃から、兄さんのような存在)も、水戸から戻って来て、一緒に談笑。昼食をご馳走になり、約3時間 半、楽しいひとときを過ごしました。
帰りは、石岡駅まで車で送っていただきました。途中、車窓から赤色の獅子頭のモニュメントが目にとまりました。
今回は、慣れ親しんだ石岡のまちの歴史・文化再発見と、叔父さん他皆さんと久しぶりに会えて、貴重な時間を過ごしました。
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