「ゆうほ21」で 菊田神社~森林公園(旧大沢家住宅)をたずねて

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本日(2/22)金曜は、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の定例習志野市内ウォーク

 

京成津田沼駅に集まったのは、前回の22人に及ばない15人。 案内役の神田先生を先頭に、北風に負けじとスタート。

PICT4537.JPG PICT4534.JPGさて、コースは駅階段を昇降し北口にまわり、線路に沿って最初のポイント、菊田神社へ(9:38)。

すると、カラオケで演歌定番の中川会長が、鳥居のあたりでニッポン放送中継車を見つけ、その前に恰幅の良い女性演歌歌手 紅 晴美 http://kurenai-harumi.jp/ が。これから、神社前で10時20分か image[8].jpgら生放送とのこと。女性メンバーも集まりました。

会長は、一緒に居たかったようですが、これからウォークということで、残念がって本殿前に。

 

やっと、メンバーも戻って、隣の菊田水鳥公園へ。カモをはじめ、多くの水鳥が PICT4551.JPG水辺や、あがって羽根を乾かしている姿に遭遇。また、カワセミを撮ろうと4,5人のカメラマンが三脚を立てて狙っていました。

JR高架下を抜けて、イオンとヨーカドーの分かれ道の5差路に出て、信号待ち。信号を渡り、企業局方面に向かう。

左折し、5中正門前を通過。突き当りを右に曲がります。

信号横断の際、和気藹々と話や景色を眺めている後続のメンバーは、信号が赤に変わってもあわてて渡ってしまい、先生は困った様子。信号は無理に横断しないことと、前の状況をもう少し把握しないといけません。

 

 

PICT4552.JPGそこから、住宅街に入ります。進行方向左側が高台になっていて、家の玄関も階段の上にある状態。途中、赤い洋服を着たかわいい小犬が...。このあたりは、藤崎2丁目15。

先生がいったん、急坂を上ります。坂の途中の家の駐車スペースは、車が飛び出していて、出るときに大変だと言う話に。

 

坂の上に狭いながらも平らなスペース。一段高いところからは樹は茂っているものの、場所を選ぶと、習志野鷺沼台や津田沼や船橋方面を眺望できます(藤崎3丁目5番地)。

 

PICT4555.JPG PICT4556.JPG PICT4557.JPG自治会の看板の先に、愛宕様境内へ(10:11)。小さな鉄の鳥居があり、メンバーはくぐって、前にある祠に。この祠が、笑った人の顔に見えてユニーク。「ナニコレ珍百景」候補という話も?

横と前には、「習志野名木百選」〔現在75本〕の3本のタブノキの巨木が立っています。

 

 

そこから来た道を戻り、藤崎交番前から正福寺〔七福神PICT4560.JPG袋尊観世音菩薩PICT4561.JPGを本尊として奉納。建 立は約400年前に建てられたとい PICT4562.JPGう説〕前へ。道路を挟んで寺院が配置され ていて、本殿は木造で新しく立て直したので白木が美しい。習志野市指定文化財(天然記念物)の大イチョウは、もともと境内にありましたが、市道が建設された現在は道路上に位置。道路の反対側には、観世音菩薩像がすくっと立っています。

 

その後、正福寺先を右手に、両脇を竹林に覆われている、人一人分しか通れない階段を登ります。 PICT4563.JPG 結構、急勾配で足に来ます。

 

 

その上は平らになっていて、畑が広がる田園 PICT4566.JPG PICT4567.JPG地帯。右手前に、「日露戦役(せんえき)記念碑」が。畑の真ん中を通ると、畑に白いものPICT4564.JPGが散在。よく見ると、白い貝殻。このあたりは、藤崎堀込貝塚(縄文後期)とよばれています。中央にこんもりした大きな木があり、石の「富士神社」が祀られています。このあたりの避難場所になっていますが、避難場所というより、皆が集まる目印といったところでしょうか?

 

 

右手から回り込むように進むと、森林公園のこんもりした緑地が見えて来ます。公園へ入園。

PICT4569.JPG PICT4577.JPG入口からすぐ左手の階段上にある旧大沢家住宅に、先生の案内で見学(10:41~58)。ここで、昨春の大雨時に出会った、自宅のシャッター修理で顔なじみのトステムのおじさんとまたもバッタリ。何とも不思議な縁です。

 

観光ガイドの木村さんの説明では、「千葉県指定有形文化財(昭和50年12月12日指定)

 旧大沢家住宅は、1664(寛文4)年に建築された東日本最古級の古民家で、江戸時代に上総国長柄郡宮成村(かずさのくにながらぐんみやなりむら)(現在の千葉県長生郡長生村)の名主をつとめた大沢家 の住居として、1973(昭和48)年まで使用されていました。昭和51年、建築当初の姿に移築復原され、同年11月に開館。
 江戸時代中期までの典型的な房総民家の形式を今に伝えていて、その特徴として、開口部が少なく、「デイ(出居)」の戸口が格子窓と壁だけで構成されていること、差鴨居(が少ないこと、大黒柱〔改築ではずし、新しい木にヒビあり)が使われておらず床の間も無いことなど。建築日は
 (東京スカイツリーにあやかって、いろむし)と覚えるそうです。江戸初期の建物で地盤が固いため、東北大震災でもほとんど影響無し〔一方、本郷公園の旧鴇田家住宅は江戸中期の建物。震災後、液状化で地盤沈下。未だに休館〕。柱は山武杉で67本。梁は太くを使用。屋根の角度は45度でアーチ型で構造上、強度。家の中は薄暗いが、囲炉裏があります。茅葺き屋根は28年で葺き替え(最近は2004年)。1500万円ほどの費用がかかるとのこと。  」

 

DSC09205.JPG PICT4573.JPGゆっくり邸内・外観をはじめ、暗い中を見学。。「ドマ(土間)」では民具を展示し、カマドで火を焚いていました。暖房は効かない感じ。古民家ならではの落ち着いた雰囲気がありました。格子窓も当時では工夫された貴重なものでした。帰り際に水槽で、庭の砂利道に池のが産んで孵った小亀も見せてもらいました。

 

 

には、水鳥にエサをやるおじさんが一人。その前で、小休止。鷺沼台の方に向か PICT4584.JPGって里道を進み PICT4580.JPG PICT4582.JPGます。道の両側に、植木(黄色い蝋梅と、寒さの影響で遅い紅梅・白梅がチラホラ)があり、依然は市内では珍しい田んぼがあったのですが、野っぱら状態に。

 

直進すると、右手に企業局の建物(一部に子どもの絵が描かれている)と大きなガスタンクが見えて来ます。住宅脇の階段を上 ると、1年前まで畑だっ た場所に 住宅が建ち並びます。

新興住宅街で、「レオガーデン津田沼の杜 朝霧の郷」分譲中の大きな看板。 PICT4585.JPG 吼えているライオンのデザインが男性的で目立ちます。

 

鷺沼台郵便局前で解散(11:21)。

京成大久保駅方面と京成津田沼駅方面とに別れて、それぞれに...。

 

旧大沢家住宅は、昨春の大雨時に急いでまわって以来で、10ヵ月ぶり。同じ習志野市でもあまり行かない場所にも足を運べるのが、市内ウォークの良さですね。

 

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このページは、hatochanが2013年2月23日 15:27に書いたブログ記事です。

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