コースは;我孫子駅 手賀沼公園手賀沼遊歩道親水広場公園水生植物園香取神社鳥の博物館志賀直哉邸跡杉村楚人冠記念公園天神坂小熊家我孫子駅
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習志野「ゆうほ(友歩・遊歩)21」のウォークは、前日、関東地方が梅雨入り(平年に比べ3日遅い)。雨予報の中、船橋西武前に9時30分に集まったメンバーは、神田先生をはじめ13人。いつもより少ない。
本日のコースは、「北の鎌倉・手賀沼周辺を歩く」(約7km)。
6月9日(火)、ハトちゃんは我孫子・手賀沼へは、2011春と秋・2012秋に駅ハイで訪れて以来。
JR「我孫子」駅に10時半過ぎに到着。駅の構内でトイレをすませた後、南口駅前 広場へ。我孫子駅南口周辺の地図と、手賀沼ゆかりの文人たちの記念碑が...。曇り空で、まだ雨は大丈夫。
ロータリーを抜けてゆるやかな下り坂を直進すると、手賀沼公園へ。
園内に入り、150m先の「バーナード・リーチの碑」を見学。その後、公民館や 生涯学習センター、観光案内所がある「アビスタ」の建物内を通って、外に掲示されている、我孫子ゆかりの杉村楚人冠の紹介や古い手賀沼周辺の写真パネルなどを先生が説明。
公園手前まで戻ると、雨がポツポツと降って来て、傘の花が咲きます...。
園内の右側には、平和の記念碑も建っています。沼畔に出ると、遊覧船乗り場が見えて、多くの船が停泊しています。貸しボートやレンタサイクルでの散策も楽しめます。
左折して、遊歩道を手賀大橋方面に向かって、和気藹々と話をして景色を観な がらゆっくりとしたペースで歩いて行きます。途中、ウシガエルの低い鳴き声や時折、姿は見えませんが、ヨシキリと思われる鳴き声も聞こえます。
手賀沼は周囲38kmの東西に細長い沼で、マコモやヨシなどが沼の畔からだいぶ広く繁茂しています。一時、日本で一番水質の汚い烙印を押されましたが、現在では努力の甲斐があり、だいぶ浄化されて来ています。
大橋までの遊歩道は整備が進んでいて、道路にウレタンが入っていて、足に優しい。ところどころ、桜の根っこが盛り上がっている箇所もあります。畔の一部に、まだショベルカーや、クレーンが残っていて護岸工事中。
幅広で長い手賀大橋の手前にある我孫子高校の校庭横をくぐり抜けて、大橋手前の信号を横断。橋を渡った先には 天然温泉「満天の湯」が見えます。
漁業組合の先、営業されていない釣堀の向こうに、建物の上部がドーム型の「水の館」が見えて、だんだん大きく近づいて来ます。
沼のほぼ中央にある展望デッキから見える河童3体の像 が印象的。残念ながら現在は噴水は出ていません。足元に注意して、像と沼を眺望しました。
このあたりから、親水広場公園になっていて、ジャブジ ャブ池、水の広場、ふれあい広場があり、ちょうど 親子連れのハクチョウ(両親、6羽の子)に出会いました。親は思っていた以上に大きくて、近づくと威嚇して来て、みんな驚いていました。
沼はヨシや葦が背丈以上に 伸びた場所もあって、右側の田園地帯の途中に藤棚があります。その先に水生植物園があり、黄や紫の花しょうぶが咲いていましたが、高さが低く一面ではなく、もう少し、手入れをした方が良さそうです。奥に、立派な屋敷が見えました。
観賞後、ここから折り返しのコー スとなり、いったん沼畔遊歩道から、手賀沼周辺案内板を過ぎて、国道356号線に出ます。
車の往来が多いのですが、歩道を進みます。
間もなく先生が立ち止まって、香取神社と水神山古墳の説明のみで、本日はカット。
右手に鳥の博物館 http://www.bird-mus.abiko.chiba.jp/ 。館内は3階の見晴らしデッキから、手賀沼が 眺 望できます。館内では、手賀沼の四季の鳥や自然、鳥の剥製など貴重な資料を展示。
入館せずに、反対側の親水広場公園内「水の館」へ。本日は休館日。
建物内では、プラネタリウムも無料で楽しめます。
建物の前の沼周辺には、東屋があり昼食。トイレもあります。遊歩道に座って食事をしていると、親 子のハクチョウがエサを食べていて、別の場所にいた父親が近づいて来て、メンバーの食事をねだりに。
何もあげないでいると、腹いせなのか?大きな糞をして、さっさと斜面を下りて行きました。母親と7羽の子ハクチョウは寄り添っていて父親は別。『人間社会と同じだね』 と大笑い。
昼食後は、若松交差点に出て、横断して文学の道へと入って行きました。閑静な道沿いに、文人の史跡や別荘などの文化財があります。
ところどころ、石畳がある道ですが、たまに車も通ります。車 に注意して、先生の先導で、まず門の入口に 旧村川別荘の案内が。
竹林の間の石段を上って行くと、敷地内は庭園風で、西洋古代史の大家、村川堅固・堅太郎の離れ屋と朝鮮風な屋根の新館が建っています。
観光ボランティアガイドがいて、説明をしてくれました。『文人たちが、嘉納先生とのゆかりのつながりでこの地に集まって来た』 ことを知りました。ガラス窓からは、手賀沼や富士山も良く観えたとのこと。
御礼の挨拶後、文学の道に戻って先に進むと、道端に湧き水の出たはけの道。前に行ったあ、東京の国分寺を思い出しました。また、白樺派の重鎮、志賀直哉邸跡と、小説『暗夜 行路』などを書いた書斎が、一段高くなっ た平らな場所にあって見学。
すぐ近くの向かい側には、白樺文学館http://www.shirakaba.ne.jp/ がありましたが、外観のみ。白樺 派(大正デモクラシー時代の新文芸活動)が、 手賀沼のほとりで育まれ、発展したことを紹介。雑誌『白樺』原本、復刻本や白樺文人の貴重な原稿、書簡、書、色紙などが展示されています。
その先を右に折れて少し坂を上ると、閑静な場所に位置する杉村楚人冠記念公園。杉村〔本名 広太郎〕氏は、明治末期から昭和前期まで東京朝日新聞で活躍した 幹部ジャーナリスト。「天声人語」の創始者。手賀沼湖畔に集まって来た白樺派文人などへも多大な影響を及ぼした先進的な新聞人。
芝生広場の脇に碑が建っています。
木々や竹林で覆われている天神坂の階段を上がると、公園風になっている天神坂緑地の右手に嘉納治五 郎別荘跡、向かいにあるのが柳宗悦が住んでいた三樹荘跡。案内板があります。ま た、天神坂は狭く短い石段の坂道で 、大正時代に我孫子が「北の鎌倉」といわれた雰囲気を醸し出しています。坂の途中に銘板あり。
駅への戻りは、駅ハイのコースでも歩いた、ひかり幼稚園の脇を通り、大光院前へ。
また、我孫子宿の名主で脇本陣をつとめた小熊家〔1831(天保2)年築の茅葺屋根〕の母屋の外観と 、旧水戸街道の我孫子本陣跡は現在、ベネッセコォポレーション前にありました。
最後に先生からおまけ。イトーヨーカドーの裏手の公園に、山一林組工場跡〔1906(明治39)年、岡谷市に本社のあった山一林組の我孫子支店が開設された。当時は300余名の女子工員が働く東葛地区でも有数の製糸工場だった〕へ。出入口に、繭の形をした石の置物が並んでいました。ここで、世 界遺産の富岡製糸場の貴重さも合わせて教えていただきました。
突き当たりの常磐線の線路に沿って左折して間もなく、朝スタートした我孫子駅南口でゴール。天候が心配だったのと、県内で近かったので、13時40分と、いつもより1時間近く早い解散に。
何とか、雨も本降りにならずに、2年半ぶりに我孫子に来て、新緑の手賀沼湖畔の自然とともに、別荘地としての風光明媚なまち、文学・文化の足跡をたどったウォークでした。
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