〔コース〕
スタート 京成大久保駅→誉田八幡神社→市民プラザ大久保→東邦大学→三山タワー→二宮神社→ゴール 京成大久保駅
4/24(金)、毎月恒例の市内ウォークは、学生街で歴史のまち大久保を経て、初めて二宮神社を往復するコース。
京成大久保駅南口のロータリー広場に集まったメンバーは、案内の神田先生を含め15名(9:30)。
天気は晴れで、初夏らしい陽気。新年度最初ということもあり、会長である小生が作成した昨年度の「決算報告と会則改定」。それと「会員名簿と連絡網」のチラシを配布。
まず、南北通路になっている階段を下りて上って、桜並木のハミングロードへ。
横断して、千葉興銀の角を右折して、誉田八幡神社(こんだはちま ん・ほんだはちまん)へ。八幡神社の入口は、新しい石鳥居ができて整備されて、参道へと。
境内入口には、「紀元二千六百年記念参道敷石竣工記念碑」が立っていて、栗林忠道中将(大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将)の直筆。
習志野市名木百選のアカガシの古木が社殿脇に聳え立っています。
なお、習志野の由来は習志野演習場から
で演習を総監した明治天皇が後日「習志野原」と命名し、軍の演習場になりました。大久保町は日本騎兵旅団発祥の地、神社のすぐ裏手の公園には、習志野騎兵旅団指令部がありました。
ということで陸軍の関係者たちに篤く信仰されていました。河内国の誉田八幡神社より勧請。
その後、境内を抜けて通りに出ると、3匹のプードルを連れた女性に会い、 犬好きのメンバーが手を差し伸べると、喜んで尻尾を振っていました・
十字路手前の市民プラザ大久保〔2012年1月開所;市民の異世代間、異分野間に わたる文化交流を推進するとともに生涯学習活動、福祉活動、情報交換等の振興を図ることを目的に市民、地元大学、行政が一体となりワークショップを開催し策定し、ギャラリーやスタジオ、交流スペースがある施設〕でトイレ休憩。玄関フロアーに騎兵隊の建物のミニュチュアが展示されています。
その後、日大生産工学部前を通過して、東邦大学キャンパス内へ。
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」で有名な秋山好古にゆかりの地を辿る史跡があります。
先生の案内と解説で、第一騎兵連隊騎兵第13連隊跡の記念碑、また、傍に司馬遼太郎の文学碑が建立され、肉筆の碑を見学しました。遼太郎の独特な筆の タッチが見られて、感激しました。さらに戦前から残る貴重な用具庫も見学。隣りの日大生産工学部内には第 一騎兵連隊騎兵第14連隊跡の碑がありますが、騎兵連隊・旅団司令部の用具庫は両方で使用していましたが、境界を決める際に東邦側に。
東邦大学は、船橋市三山が所在地になっていますが、道路を隔てて習志野市と船橋市との境界、さ らに旧軍用線路跡の路地も先生から教えてもらいました。
続いて、済世会習志野病院〔1941(昭和16)年、千葉県船橋市西船に船橋済生病院の前身である船橋診療所を開設し、以来60年にわたり当地で診療活動を行って来た。 2001(平成13)年に国立習志野病院の経営移譲を受け、千葉県習志野市に移転し、千葉県済生会習志野病院となる〕前へ。
近代的な設備と建物、手前のスペースが広くて立派なイメージ。
済世会病院の先を右折すると、船橋市へ。特別養護老人ホーム三山園前を 通って、10分ほど歩く と、前方に赤い電波塔が見えて来ます。
船橋三山送信所〔高さは約180mで、東京タワーの赤と白のデザインに似ています〕で、日本の電波塔で8番目の高さで、千葉エリアのNHK千葉放送局・チバテレ・bayfmの親局となっています。
昭和世代のハトちゃんには、スカイツリーよりも東京タワーに親しみがあるので、千葉県にこのような電波塔があって良かったと思いました。
三山地区の住宅街と、畑の間を抜けて、やっとバス通りへと。このコースは、先生ぐらいしかわからない、次に歩けない難しいコース。
正面に、二宮神社〔創立は、弘仁年間(810~823年)で、嵯峨天皇の御勅創によるものであると伝 えられている。二宮神社と呼ばれるようになった正確な年代はわかっていない。1302(乾元2)年の鐘に「二 宮社」と 刻まれていることから、鎌倉時代には既に呼ばれていたとわかっている。古来より、近郷23ヶ村の総鎮守となった〕 の森があり、鳥居をくぐり池の脇を通って、拝殿へ。奥の本殿も含めて、建造物や彫刻が立派な古刹で、閑静な雰囲気です。太い 幹の皮に1円玉がたくさん挟まっていました。
なお、大人気の「ふなっしーお守り」がありました。
〔七年祭り―県指定無形民俗文化財〕
今年は、県指定の七年祭りが行われる年で、丑年と未年に行われ、大きく「小祭(湯立祭)」と「大祭」に区分されます。小祭(湯立祭):大祭の期日を卜う祭りで、二宮神社のみ開催。さらに「大祭」は「安産御礼大祭」と「磯出祭」に区分されています。
安産御礼大祭:親族縁者の関係に位置づけられた以下の9社が三山神揃場に勢揃いし、定められた順序によって三山旧道を二宮神社に向かって参向します。石段前の掲示に書かれています。
・二宮神社 <父・夫>(船橋市三山)
・子安神社 <母・妻>(千葉市花見川区畑町)
・子守神社 <子守>(千葉市花見川区幕張町)
・三代王神社 <産婆>(千葉市花見川区武石町)
・菊田神社 <伯父>(習志野市津田沼)
・大原大宮神社 <叔母>(習志野市実籾)
・時平神社 <長男>(八千代市大和田)
・高津比咩神社 <姫君>(八千代市大和田新田)
・八王子神社 <末息子>(船橋市古和釜町)
磯出祭:昼間の安産御礼大祭終了と同時に、以下の4社のみ同夜幕張の海岸で執り行われます。
・二宮神社 <父・夫>(船橋市三山)
・子安神社 <母・妻>(千葉市花見川区畑町)
・子守神社 <子守>(千葉市花見川区幕張町)
・三代王神社 <産婆>(千葉市花見川区武石町)
参詣後は、スーパー「ヤオコー」前へ出て、一応解散・自由に。大部 分のメンバーは、バス通りを右折して、県営住宅横を通り、三山七丁目の三叉路を直進して、東邦大学附属中学・高校の横を通って、大久保商店街から大久保駅方面に戻ります。
商店街の途中には、秋山好古にちなんだ資料、写真、展示品が並ぶ「大久保交流セン ター(通称;お休み処)」もあります。ギャラリーと反対側に、馬の上半身に「秋山好古大将」の顕彰碑(薬師寺隣り)の傍を通過。
日露戦争で勇敢に戦った、戦士たちの記念碑を観ると、明治期における海外列強に対する日本の富国強兵策を垣間見ることができて、明治期のロマンに浸れました。地元に住んでいて、意外と知らないこともあって、歴史・史跡をめぐる良い機会となりました。
最終ゴールは、駅前で11時30分に解散となりました。
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