12月の市外ウォークが悪天候予想で中止になって以来となる新春の「ゆうほ(友歩・遊歩)」サークルウォーク。快晴で遠出をするには持って来いの天気。2011年12月6日(火)「鎌倉文学館から長谷寺・極楽寺(約7km)」についで2回目となる鎌倉。
今回のコースは、「鎌倉・日蓮布教の道を歩き鶴岡八幡宮初詣(約7km)」。船橋西武前に集まったのは、先生を含む14名。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
JR「船橋」9時41分発の横須賀線茅ヶ崎行に乗って「逗子」駅に11時過ぎに 到着。先頭車両だった ので全員が座れて、それぞれに話が弾みます。
駅に着いて、早速、スタート。横須賀線を横断して、早々に「歩く前の腹ごしらえ」とばかり、先生が予約した「鎌倉パスタ」という店へ。
店内のインテリアはシャレていて、掘りごたつ式の場所に陣取り、生パスタを使用しているメニューは豊富で、選ぶのに一苦労して注文。コース途中に、まとまった人数で昼食できる場所が無いそうです。昼食後、トイレも少ないことから、トイレを済ませて出発。
横須賀線に沿った県道を歩いて行き、久木のバス停先を右折し 、岩殿 寺〔坂東三十三観音菩薩霊場の二番札所。曹洞宗の寺院、通称、
岩殿観音〕へ。奥の院前にろうばいが咲いていました。
参拝後、いったん県道に戻って、鎌倉方面へ進みます。法性寺のバス 停留所手前の坂を上って行き ます。途中に、鉄門があり、さらに上がると法性寺〔日蓮が住んでいた松葉ヶ谷の草庵が暴徒に焼き討ちされた際、白い猿に導かれて避難したと伝わる〕へ。祖師堂や日朗堂、本殿が建っていて参拝。日蓮が身を潜めたといわれる岩窟を覗きました。
横から上がる階段、急坂を登って行きます。寺の 奥の院があります。ここからさらに、雑木林の中をひたすら先生の先導に付いて行きます。たまに木漏れ日が漏れて来ます。たまに、知っている木々が目に付き、解説をしてくれる女性会員。
だいぶ登って、ウォークというよりハイクというイメージ。
さすがに暑くなって来たと思ったところが、名越切通しへ。鎌倉幕府が鎌倉を守るために築いたとさ れる七つの切通しの一つで、現存の切通しでは、最も風情を残しているといわれる。その地点が高さのピーク。
苔むした大きな岩肌と、山道を下りながら、往時に思いを馳せながら、歩いて行きます。幸い、雨が降っていなかったので 、道もスムーズに歩けました。
その後、切通しを抜けて名越トンネル脇を上から抜けるように歩いて行くと、途中の雑木林で「キィー、キィー」の鳴き声。リスが木々の間を飛び移っていました。やっと県道が見えて来ました。アロエの大きく赤い花を観賞。
しばらく歩くと、大町5丁目の先を跨線橋を横断して右折すると、細い道の片隅に「日蓮の乞水〔鎌倉五名水の一つ〕」の碑と井戸。言い伝えでは、日蓮が杖を突き刺すと水が沸いて出たとのこと。井戸 は蓋していましたが、はずして中を覗いたり。
続いて、長勝寺〔日蓮聖人のために、石井長勝が小庵を建てて、その名前から 「石井山」長勝寺と名づけられた〕の境内へ。本堂前に、立派な日蓮聖人の辻説法像があり、鐘楼の裏手から墓地への途中に、「赤木圭一郎の胸像」があり、会員の女性から『本物より太っている?」と批判の声。墓は階段を上がるとあるそうです。
また、横須賀線を反対側に横断して、間もなく手前に安国論寺〔日蓮聖人が「立正安国論」を書いた り、道場とした岩窟 がある〕へ。本殿横のひさしにツララがぶら下がっていました。すでに、上りで疲れた会長と2、3名を除いて、他の参加者は境内を散策。元経団連会長 土光家の墓を墓参。山道を歩くと、庫裡、熊王殿、御法窟、荼毘所などがあって、富士見台からは、材木座海岸や海も観えて、すばらしい景色に感激。
寺の敷地内はアップダウンがあったものの、拝観料の100円は得した気分に。
会長たちと合流後、妙法寺〔通称。「苔寺」と呼ばれていて、日蓮が建てた小庵を弟子の日叡が1357年に再建〕はパス。会長たちは、待ち時間の間に、寺の前まで様子を見て来たとのこと。
コースに沿って、進んで行くと安養院〔122 5(嘉禄元)年に、北条政子が頼朝の菩提を弔うために、 長谷に創建した長楽寺が前身。政子の法名 "安養院"となった。山門前に大きなツツジの木。境内は広くて、高台からは海が観えました。急階段を下りて出口へ。
その先の常栄寺〔1606(慶長11)年に創建。。処刑場に向かう日蓮に尼がぼたもちを捧げて、日蓮 が難を免れたことから「ぼたもち寺」と呼ばれ、境内を覗くだけ。女性陣は、甘味処だと思い勘違い(笑)。
その先の堂々たる総門の先に、妙本寺〔北条氏に滅ばされた比企一族の屋敷跡で、一族の供養の ために本堂等を建てたとのこと〕。拝観は 無料ですが、ここでも待ち人が発生。
とても風格のあるお堂で敷地内も広く、先生に案内されて見学。また、比企一族の歴史の一端を紹介していただきました。
だいぶ歩き続けて来て、大巧寺と日蓮辻説法跡の場所を通って、最後のポイント、鶴岡八幡宮へと向かいました。
途中で、若宮大路へと抜けると、車と観光客が一段と増えて、八幡宮前の交差点で信号待ちすると、外国人や修学旅行の生徒たちの姿も。
鶴岡八幡宮〔頼朝の5代祖先に当たる源頼義が京都の石清
水八幡宮を鎌倉由比ガ浜に勧請(分社を作った)していたものを、頼朝が幕府の中心とするために鎌倉に移しました。 八幡宮は単に神社として作られただけではなく、戦の時には本陣となるように攻められ難く守りやすいように背後に山を置き、長い階段の高台に置かれています。
八幡宮への参道である「段葛(だんかずら)」は、頼朝が妻・政子の安産を祈願して、往来する馬車・牛車などにぶつかることなく参拝できるように作らせたものだそうですが、軍事的に攻める側から実際よりも遠く感じ、しかも大勢で押し寄せると身動きがとりにくくなるように計算されたもの〕
境内に入ると本殿下の玉砂利の広場の真ん中に「舞殿」があります。
ここは義経の恋人であった静御前が捕らえられ、舞を披露しろといわれて頼朝の怒りを買って、義経との間にできた子供の命と、やがては自らの命を奪われることになった・・・という悲劇の舞台もあります。
また、本殿の階段向かって左の大銀杏は、樹齢千年とも千二百年とも言われ、3代将軍・源実朝を兄・頼家の子、公卿(くぎょう)が木の陰に潜んで待ち伏せし、敵を討った・・・というエピソードが残っています。倒れた大銀杏の幹は切断され、移植されて現在、新しい芽(ひこばえ)が出て来ています。
参拝して、トイレに寄って戻ると、ここで解散とのこと。
解散は、鶴岡八幡宮参拝後、参道前で。約30品種、300 株のボタンが咲き誇っている神苑ぼたん庭園を観るグループと、まっすぐ習志野へ帰るグループに別れて解散。
ハトちゃんは、帰宅グループと一緒に、小町通りをウィーンドーショピングしながら駅へ。
「鎌倉」駅で、鎌倉ハムや鳩サブレなどのお土産を短時間で済ませ、横須賀線で帰りました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
新春に、日蓮上人の足跡を辿りながら、鎌倉の歴史・文化を感じる一日となりました。小生にとっては、11日(金)からの4連荘ウォークの最終でしたが、アップダウンの多いコースで、ふくらはぎがパンパンに。
鎌倉は、「北鎌倉」など、まだ知らない見所も沢山あるので、何度来ても奥が深いと感じる地です。
コメントする