先週の3月25日(金)に、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の毎月恒例のウォーキング。快晴のもと、先生を含めて13名が9時30分に京成「実籾」駅前に集合。
開口一番は、東日本大地震のときの体験談。未曾有の大地震に際し、各人が交通機関のストップによる足止め等、そこで、ふだんのウォーキングが役立った話もありました。また、市内でも液状化現象で、水道が断水のままや、計画停電の実施による不便さを感じている方もありました。
とにかく、みんな無事にまた会えて、ウォーキングできる幸せを感じました。
駅を出発して、線路沿いを「八千代」駅方面に直進すると、現在建築中の「アンダーパス」(武石・幕 張方面へ抜ける)の踏切地点へ。みんなで、工事中の柵越しに中を覗いて見ると、かなりの深さのところに水道管をはじめ各種工事が進行中。ここが開通すると、車の渋滞や踏切の待ち時間も解消できます。
八千代方面に向かって、左折して、少し東習志野図書館方向に戻ると、公園内に「ドイツ捕虜オーケストラの碑」 がある公園内(9:50)へ。西郷隆盛の息子、寅太郎がスペイン風邪で亡くなったことも記されています。ただし、道路に碑が面していないので、公園内で注視しないと見逃してしまいます。
途中、東部体育館に近い先生の自宅も拝見。そこから、しばらく歩くと、先生から教えてもらい、現在は民家(10:07)になっていますが、 屋根に陸軍演習場の名残りの建物を遠くから見ました。国の有形文化財になっているとのこと。
次に、昭和天皇が陸軍習志野演習場に来て労をねぎらった小高い丘も、民家アパートの庭越しに横から見ることができました。また、「習志野」の由来(志野に習え)についても知ることができました。大収穫です。真っ平らな高台が広がっていたため、一望千里習志野平原(いちぼうせんりならしのへいげん)と呼ばれていたそうです。
実花緑地は森林(松林が多い)公園で、行く手右方向に開拓後、工業団地(昭和40年代)群、現在は日立製作所と八千代台西を隔てる真ん中に位置しています。
ハミングロードを越えて、まっすぐ進んで、新興住宅地を抜けると、「自衛隊演習場」のある「習武台」を見に行きました。2階建ての屋根ぐらいの高さの丘の上に、ポー ルが立っていて、旗が立っているときは、落下傘部隊などの演習がある日だそうです。残念ながら、今日も立っていませんでした。昨年の10/22にも同様でした。
その先の、「市立習志野高等学校」の第二グラウンド、野球部の合宿 場がある専用グラウンドにも案内していただき、今日は他校との練習試合中で、部員に話して、甲子園に出場した『記念顕彰碑』だけを見て、今夏の優勝をめざす頑張りを部員たちに伝えました。
広い道路に出ると、「イオン」や「セブン&イレブン イトーヨーカドー」の大型ショッピングセンターがあります。イトーヨーカドーで10分ほどのトイレ休憩(11:10)。バス停「工業団地」先の向かい側に、「鈴木金属工業」の敷地内に早咲きの桜がピンク色に咲き誇っていました。地震でテンションが下がり気味だったので、救われた気分に。今年、初のお花見に一同、感激。
その後、「ハミングロード(マラソン道路)」に出て、マンション「ユトリシ ア」前の「有森裕子記念碑」のできた理由と、横にあった「この道路が 陸軍の鉄道跡だった」 との貴重な歴史的経緯の話を、先生から聞いて、感心しきり。
そこから、「東習志野ヘルス・ステーション」のある「ブレーメン習志野」へ。そこで、スタンプを各自押しました。そして、5分ほどで京成「実籾」駅に。ちょうど、駅前に着いたのが12時。次回の打ち合わせをして、解散となりました。
今回は、昨年の10月22日に歩いた逆コースで、何箇所か見たところもありましたが、「習志野」の由来や、民家の文化財などもわかり、再発見のウォークとなりました。