大地震(3/11)が発生する前の3月8日(火)に、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」では毎月恒例の市外ウォーク。前日、降った雪もとけて絶好のウォーキング日和。
船橋西武前に集まった総勢15名は、花粉症でマスクをしている4名を含め、元気にJR「船橋」駅(9:30)から総武・横須賀線、品川から京浜東北線、そして蒲田駅からは、歌で有名な東急池上線に乗って、池上駅(10:33)に着きました。初めて乗った池上線は、こじんまりした車両で風情がありました。
駅前から10分ほど歩くと、目の前に急峻な階段が聳え立つ。その階段(96段)を登ると、日蓮宗大本山で日蓮入滅の地である、池上本門寺に到着。境内は、さすがに広い。 総門、本堂、経蔵、宝塔など、茶色の色彩を主にして、屋根のそりや大きさが威風堂々の迫力で、圧倒されました。
しばし参拝して、境内をみんなで散策後、トイレ休憩。
寺の裏から出て間もなく、大田区立の池上梅園へ。満開は過ぎたの でしょうが、紅白の見事な梅が、所狭しと咲き誇って、甘い匂いを醸し出していました。「ここだけでも、本日、来た価値がある」と、メンバー全員が思いました。入園料も100円と安く、65歳以上は無料となっていたので、何人かはニンマリ。30種370本が、考えられて植栽されていて、中には1本の木で、紅白の梅花が咲いている珍しい木もありました。名残惜しい感がありましたが、先を急ぎ退園。
次に、すぐ傍の大坊本行寺へと。ここは、日蓮入滅の霊跡で、先生から「誕生寺」「身延山久遠寺」と 並ぶ日蓮上人の三大聖地の一つで、入滅時、1282(弘安5)年の10月に咲いたとされる「お会式桜」を観賞。
裏道から本門寺に戻り、裏手の墓地へ。墓地内には、加藤清正、力道山(享年39歳)の胸像がある墓にも立ち寄りました。 途中、高くそびえる日蓮上人立像や真っ赤な宝塔を横目に観ながら、関東で最古で最大の五重塔を右折。梅園をゆっくり観た ので、時計の針は正午を指す。本門寺のある丘の上に立つ池上会館で昼食。会館の5階部分に当たる屋上は、円形の公園になっていて、眼下に池上周辺の景色が一望でき、遠くに東京スカイツリーも見えました。
ベンチが点在していたので、みんな一緒ではなかったのですが、思い思いに食事、談笑していました。
昼食後は、五重塔を間近に観て、雑木林のある本門寺公園の遊歩道を進み、釣り人のいる弁天池 の周囲を通って、龍子記念館へ。先生が1本曲がるのを間違えたのも、ご愛嬌。ここは日本画の巨匠、川端龍子の記念館。中には入らず、外から建物を見学。
次に向かったのが、美智子皇后殿下のご進講をつとめた、現代かな書道家の熊谷恒子記念館。入 口に胸像あり。100円の入場料は、ここでも65歳以上は無料の特典があり、一同苦笑い。和風の建物内には、書(掛け軸、色紙など)、資料が展示されていました。しばらく鑑賞して、大田区立郷土博物館へ。入口横には、ゆかりの文士村地図の看板が。 無料ということもあり、入館し、大田区の地名(由来は、大森と蒲田のそれぞれ1字をつなげて大田に)。また、大森貝塚関連、大森の海苔養殖や発掘の考古学資料や、文人たちの「馬込文士村」の資料が展示されていて、貴重な大田区の歴史に触れることができました。
途中のコースは、アップダウンが結構きつくて思ったより大変。汗をかきかき前の人に遅れないように歩行。「汐見坂」上からは、昔、大森の海岸が見えたことを偲ばせるものでした。
源氏の梶原景時が移ったとされる満福寺では、門前に、名馬磨墨(するすみ)の前足を挙げた像と、詩人の室生犀星の句碑もありました。
環七道路の大通りを横切ると、境内が狭く、池の中にある小さな厳島神社の境内を通ると、大森駅はもうすぐ。天祖神社横を通行人が行き交う。階段の石垣には、銀色に光る、文士村レリーフが幾つも掲げられていました。 レリーフの説明を受けながら、坂を降りると、JR京浜東北線の大森駅西口前へ。15時ちょい前に到着。ここで、本日のコースは終了。歩行距離7kmとのことでしたが、アップダウンがかなりあり、思いのほかタフなコースでした。
コメントする