巨大地震から1週間―今こそ助け合い

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今回の東日本巨大地震が発生してから、1週間が過ぎました。しかし、震度5を越える余震もいまだ続き、さらに福島第一原発事故でも、沈静化のための懸命な作業が、必死に行われています。確かに、当初、情報の不明さは残ったものの、かつて経験したことの無い大規模な地震による破壊は、原子力(核)の放射能汚染の怖さをあらためて感じさせました。

一般人としては、専門家や、関係者の最善の方法に頼るしかなく、一刻も早く危険性を取り除いて、数十万人の避難民が一日でも早く戻れるように、祈るばかりです。

テレビでは、やっと民放各局が、普通の番組帯に戻ってきています。この1週間、ニュースや特番でも地震関連以外は流れず、当然ですが。壊滅的被害を受けた、東北地方の被災地の悲惨な現状(特に、津波で被害を受けて、町、村自体が一瞬にガレキの山になってしまった。家族や親戚、知人の安否が未だにわからなかったり、避難所など)を見るたびに、心痛な思いになり、家族が遺体になって直面する場面は、涙が溢れて来てしまいます。

そんな暗くて、悲しいニュースの中でも、自分の家が無くなってしまった人で、「命があった」ありがたさを語られる、そんな言葉に、ほんの少し安らぎを覚えます。被災現場に、少しずつではありますが、救援物資・募金や後片付けのボランティアなど、いろいろな善意の協力が広がりつつあります。

学校の体育館などに避難している被災者の皆さんは、寒さ対策や給食、睡眠不足など、ストレスもたまるでしょうが、被災は自分だけではないという共同意識で、この大変な状況を乗り切ってほしいと思います。

首都圏での計画停電で、交通機関や道路事情も混乱していますが、被災地の方の大変さに比べれば、軽いものです。それでも、ガソリンや食料品、トイレットペーパーなど、「買いだめ」で品不足になり、並んでも買えない状況は、ちょっと過剰反応です。被災地のことを思って、必要最小限に反省すべきです。小生の家では、買いだめをしないように決めました。また、節電や募金など、できるものはやって行こうと考えています。こんなときこそ、日本全体で協力して、早く立ち直って行かなければ...。

自然の脅威は、人間の文明の力でも及びません。今回の巨大地震で感じたのは、一番に「命の尊さ」です。生活できる空間は、無くなっても、少しずつ復興していけますが、人間の命は帰って来ません。一人でも多くの方が生き残って、助かってくれていれば、明日の希望が持てます。

いざ、自分の家族に災難があったら、どうなるかは分かりませんが、現実を受け入れることから出発して、ニ歩下がるかも知れませんが、一歩一歩、前に進んでいってほしいことを願うばかりです。

誰もが思い知らされた地震の恐怖体験を、今後の地震・災害対策に生かして、日常から防災に対する認識を一人ひとり深めていく必要があります。

第二次大戦後、敗戦の戦禍の中から立ち上がった日本。経済大国になるまで頑張った日本人の意志は、今でも受け継がれていると信じます。厳しい逆境の中で、今こそ、みんなが協力して前進して行かなければと考えます。

  

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このページは、hatochanが2011年3月19日 21:24に書いたブログ記事です。

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