最大級地震に大混乱

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3月11日(金)午後2時40分過ぎに起こった東日本大地震は、M9.0という、日本史上最大級の被害をもたらしていて、3日たった現在も、被害が拡大の一途を重ねています。

現在も、巨大津波にのみこまれて、お亡くなりになった方や、未だに行方不明が多数あり、福島の原子力発電所の爆発による被爆、また各地の避難民が数十万人の規模という、未曾有の大惨事になっています。

心より被災地の皆さんに、御見舞申し上げます。
 
まだ、関東地方でも今も余震が続いており、大変心配です。また、計画停電も本日から始まり、さらに不安な毎日です。

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ところで、小生は、当日午前中は娘と二人で家にいましたが、午後は久しぶりに自宅に帰って来ていたので、東部体育館に筋トレに出かけました。受付で4月から受講のウォーキング教室のお金を払い、着替えて2階のトレーニングルームに向かうところでした。エレベータに乗ろうと受付を見たとき、体育館長を見かけ、この1ヵ月の妻の実家での生活を話していた瞬間に、地震の大揺れに遭遇。あまりの激しい揺れに立っていられず、イスを握って、へたり込んでしまいました。いつもの地震の規模と違って、恐怖を感じました。そのうち、館内にいたスポーツをしていた皆さんも出て来て、何人かは外に逃げました。「壁がはがれて落ちてきた」とのこと。

揺れがおさまり次第、体育館から、自宅(娘が一人で留守番)にチャリンコをとばして急行しました。途中、大原神社の石柱が数十基歩道に倒れていました。また、京成線の踏切は遮断機が降りていて警報機が鳴りっ放しの状態。通行人のおじさんの機転で、左右を確認しながら、チャリンコを踏切棒の下をくぐらせて、自宅に無事到着。

娘は、庭に避難していましたが、無事なのを確認。2回目の余震では、2人だったのでかなり心強かった状況でした。余震が続き、4時過ぎに少しおさまった頃に、二人で家の中を点検。本棚の本はと DSC02344.JPGび出して散乱。机、ベッドも10cm以上、ずれていました。幸い、食器棚はガラスコップ一つ割れていないでラッキーでした。二人で、力を合わせて元に戻しました。

台所のタイル1枚と外壁が2枚はがれた箇所、和室の壁にヒビが入ったこと、庭の燈籠が一つ倒れて、松の枝が数本折れた程度の最小限の被害で済みました。

テレビをつけると、東北地方を中心に被害が出て、未曾有の大惨事になっていました。日に日に被害が拡大、被災地の状況の映像が流れるたびに、心痛の思いになっています。

生涯、これほどの地震にあったことが無かったので、あらためて自然の脅威を痛感し、恐怖した次第です。

また、首都圏の交通網はストップ。寝ずの晩になった方も大変でした。息子の大学の同窓生も帰れずに3人を拙宅に泊めました。

昨日、高速道の通行止め解除により、妻の実家に帰ったところ、入院先の病院で、断水。地震時には、建物が老朽化のため、病院のスタッフが、高い階の患者を総出で、1階まで降ろしたそうです。


テレビは、大震災の報道で、ほとんどのチャンネルで、そのニュース。ガソリンスタンドでは車の行列。 DSC02349.JPGスーパーやコンビ二では食料品は棚に無く、仕入れも未定の状態。開店時間にも長蛇の列。役所の広報では、冷静な行動を呼びかけていますが、群集心理も働き、パニックの様相を呈して来ています。

情報も錯綜。計画停電の実施が不定期など、生活に大きな支障をきたしつつあります。

ライフラインのストップは生きることが難しくなるので大変ですが、今こそ非常時の冷静さと、混乱が少なくなるように、みんなで協力すべきときではないでしょうか。

花粉症の季節と重なって、テンションの下がる毎日が続きます......。


 

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このページは、hatochanが2011年3月14日 17:15に書いたブログ記事です。

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