人は環境に適応する?(義父のその後)

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今回は、グループホームに入所した義父のその後の話。

入所したのは、3/5(土)の午後。義父は、入所施設の責任者の方とは、2回の面識がありました。一度は自宅に訪問時で、もう1回は、10日前に一度、義父を連れて、見学に来た時です。その時は、自分が入ることを知らずに、一応、こういう施設があるということで、わずかの時間、立ち寄ったわけです。

入所した日に、義父の利用する部屋に、事前に持ち物(洋服が大半)と、和タンスを持ち込んで引越しの準備。持ち物に名前を書いて、またベッド(手すり付き)を設置して待っていました。

施設側の責任者と綿密な打ち合わせ。一緒に来ていただいた、近所のおばさん2人も話をあわせていただき、協力してもらったおかげで、本人も施設に、今後いなければいけないと考えたと思います。

しかし、寝室が和室で畳にふとんであったのに、これからは洋室でベッドでの生活。環境の変化に対応できるかどうか、本当に心配しました。

いっぺんに帰ってしまうと、本人が寂しくなり、さらに不安な状態になってしまうので、順次、時間を置いて、帰宅するように指導されました。しかし、最後の長男(義兄)が帰ろうとするタイミングが難しくなって、施設内の駐車場で待っていた私たち夫婦は、買物後、2時間ほど待ち続けました。

午後8時過ぎに、女性職員が話している間隙を縫って、やっと帰ることができました。当日の夜は、朝方2時過ぎまで、眠れずになかなか納得できない状態で、職員の皆さんにご面倒をおかけしました。

翌日、午前中に3人で訪問。さらに、午後3時過ぎに再訪問して、義父の様子を見に行きました。だいぶ落ち着きを取り戻し、職員が案内して風呂に入るときに別れました。

その後、毎晩、妻が様子を聞くため、電話をかけていますが、最近では、入所している他の人たちとも話をしたり、自分で、職員たちに話しかけて、慣れて来たそうで、まずは一安心。

日によって波はありますが、地元の施設であったことが良かったと思います。職員と外に出かけて、散歩もしているそうです。

90歳の義父にとって、60年以上も住み慣れた自分の家から離れるのは、家族から見ても本意ではありませんが、認知が進むことを少しでも遅らせるためには、ベストではありませんが、よりベターな選択だと考えます。何よりも、食事と、火の始末、戸締りといった問題が心配要らないことです。

今回は、現在のところ、偶然にも大変良い施設にぶつかりましたが、家でずーと面倒を見るとなると、しっかりした覚悟と自分たちの経済的保障(仕事先)を考えた上での決断になります。

介護保険制度ができて10年あまり。今後の高齢者対策、年金、健康、医療といった問題が、個人で行うには限界があり、やはり、国、地方自治体、民間の補助、協力なしではやっていけない問題であり、早急な手立てが必要であると切実に感じられます。

自分たちが「親の面倒という問題」に直面すると、何らかの方策を考えなくてはいけませんが、介護や高齢者問題は、日本に限らず "待った無し" だということを言わざるを得ません。いずれ、自分たちも年をとると人ごとではすまされません。

 

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このページは、hatochanが2011年3月11日 13:02に書いたブログ記事です。

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