3月スタートも田舎で

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3月も10日が過ぎ、本日が最初のブログとなってしまいました。

この間、2/27(日)から3/6(日)は、妻と交替して、義母の病院での付き添いと、実家での義父の家事をして、毎日過ごしました。正直、交替が隔週あるとはいえ、疲れもピークに達しました。

とくに、義母の方は、容態が日によっても良かったり悪かったりで、気温の寒暖にも病院内の暖房など、気を使います。状態の良い日は、左半身の手足を動かしますが、言葉はしゃべれずに、目などの反応はするものの、寝たきりの状態が続いています。毎日、3時間ほど付き添って、着替えやバスタオルの交換などのため通院していました。

また、義父の方は身体は丈夫ですが、一番大変なのが、義母が倒れて以来、話し相手がいなくなり、認知症が進んでしまったことです。自分の家や、私が誰で、何で家にいるのか、わからないときもあります。さらに、食事を作れないため、小生が腕をふるって、料理しています。

一番、大変なのは、7時過ぎに早く寝てしまうため、急にあることを思い出して、夜中に電気をつけて、起きてきて、あれこれと小生に聞くことです。その都度、起こされてしまいます。

記憶は、では無く、で覚えているため、つじつまが合わないことが多く、何度も説明して、いったんは納得しますが、翌日には忘れてしまっている状態です。したがって、こちらも、忍耐強く関わって、「老齢のための病気」という認識で対応していました。

2月初旬から、妻と相談して、認知症高齢者の施設を探していて、自分たちの習志野市内や、地元、小見川の施設を見に行って、たまたま地元に、施設側の好意的な施設があって、一室空いていて、入所できることになりました。

そもそも介護の実態は、高齢者をもつ家族にとって、本当につらいものがあります。現在、特別養護老人ホームの待機者が42万人もいるとのこと。有料施設でもすぐには入れない状態が続いています。また、入所条件でも地域優先があって、即時には入所できないため、介護のため、離職者が13万人もいます。また、国や地方自治体の補助金もカットされて来ているのが実態です。

今回は、宝くじに当たったと同じぐらいの確率で地元に入所できて、3/5(土)に病院の見舞に行った帰りに、入所のため、連れて行きました。同じ種類の施設でも、地元ならば、郷土の話題で、孤立して寂しくなる確立も少ないことや、実家に帰りたいときに帰らせてくれる施設側の姿勢に共感できました。

正直、住み慣れた自分の家から、施設に入所させることは、家族にとっても可哀想だと思いましたが、子どもたちにとっても、自分たちの生活がある以上、涙を呑んで、決断しました。

田舎では、過疎化が進み、跡継ぎが極端に少なくなっている実態があります。しかし、親を施設に預けるといったことが、まだまだ周囲には理解できない風土があります。

今回は、特に親しい近所の人にも、一緒に入所の際、同乗して、ご協力をいただいて、本当に助かりました。

少しでも、義父の認知症の進行が鈍化し、施設での生活に早く慣れてもらい、幸せ?な老後を送って欲しいものです。

 

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このページは、hatochanが2011年3月11日 10:53に書いたブログ記事です。

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