ハトちゃんは結婚後、千葉市に妻と住んで以来、妻が登山をやっていた関係で、「千葉 山を歩こう会」のメンバーに加わり、毎月の定例山行で関東近郊の山に出かけていました。
たった一度でしたが、飛行機に乗って、3人の仲間と一緒に、南の島「屋久島」に、1993年8月中旬、夏休みを利用して遠出をしたときの記録です。
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鹿児島から洋上130km南下したところに屋久島がある。今回の千葉中年隊3人+若者1人は、8月17日(火)~21日(土)の4泊5日で南海の屋久島をめざした。
YS-11(プロペラ機)で屋久島空港に着いたのが12時30分。当日は曇りで、これから5日間、天気は果たしてどうなのかという心配が、まず先に立った。というのも、「この土地は雨が多くて有名で、なかなか晴天に恵まれない」という、タクシーの運転手の話で、「とくに無理な山行で一命を亡くした事故があったばかりだ」と言う。われわれの山行スケジュールを話したところ、「大丈夫」と言ってくれたので、まずは一安心。
計画時は、尾之間歩道から蛇の口ハイキングコースへ抜けるコースを考えたが、鯛の川の増水による危険性から断念。タクシーで、淀川小屋先から尾之間温泉へ出ることにした。
最初の登山口である白谷雲水峡に到着。ここで、食べ物を狙った野生のサルに花井先生が襲われるハプニング。幸いケガは無かったが、「ヤクザル2万、人2万」と言われるように、道中、随分お目にかかった。地元の人に石で退治する方法を教えてもらった。
原生林の中を歩いて行くと、至るところに湧き水、沢があり、水と緑の登山がいよいよ始まった。白谷山荘をはじめ、島の山小屋は、無人で、全部自炊の登山利用になる。今回は8食分の食事を買い込み、各自担いで歩いたので、10kg以上のリュックを背負う。通常の歩行スピードより遅くなって、身体のバランスをとるのが意外と難しい。
やっと夕食の焼肉と果物にありついた小屋で、井ノ口、松島氏の二人は、執念のゴミ燃やしに挑戦。とうとうコンロにビニールがくっついて燃えて、さながら戦場の遺品を想像させ、同泊者も真っ青に。次の日、リュックが少し軽くなって感謝、感謝。翌日、井ノ口さんが少しバテたのは、一酸化炭素の吸い過ぎかも知れないと......。
2日目の行程は、思っていたよりきつかった。木の根とコケの生えた岩場を次々と越えて、今回の観光の目玉の一つである縄文杉をめざしたのだったが......。
屋久島の日の入りは遅く、日の出も遅い。早立ちの登山者をよそに、われわれは悠々と朝食をとり7時30分に到着。長いトロッコ木道をダラダラ登り、やっとウイルソン株にめぐり会えた。 中は空洞になっていて清水が流れていた。木の周囲は大人10人ぐらいでやっと手が届くかも。さらに奥へと進み、大王杉、夫婦杉を経て、めざす縄文杉に着いたのは午後2時近く。お腹が空いて、きつい山行でした。
しかし、樹齢7200年といわれる、縄文杉を目にした途端、自然の生命と歴史の年輪を感じ、環境保護の重要性を改めて痛感させられた。実際に見て、その圧倒的迫力に驚いた次第。皆で記念写真をパチリ。気分も新たに、古い高松小屋を通り過ぎて、新高松小屋まで足を延ばして宿泊。ここは、築が新しいこともあって、地図にも道標にも無く、着くまでは不安になったが、井ノ口リーダーの先導で無事到着できた。
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