2011年2月アーカイブ

2月25・26日の両日、ウォーキングのため外出しましたが、マスクをしていたので、花粉症の症状として目がかゆくなったり、鼻をかむことが増えてしまいました。この時期は、ティッシュペーパーが年間使用量の約4分の1に達してしまう始末。

家に帰ってから、うがい、洗面、頭を洗って、多少緩和されましたが、ちょっと、帰って来てから、油断してしまって大失敗。

それというのも、昨日は晴れたものの春一番で終日風が強かったため、外に洗濯物を干せなかった状況で、本日、2階のベランダに洗濯物全部を干して出て行きました。それを夕方、とりこんで、はたいてから洗濯物を畳んでいた時です。

汚い話ですが、いきなり鼻水が垂れて来て、くしゃみが連続して出るようになってしまいました。洗濯物を触っていたからか、手の平がつるつるになっていて、花粉が付いてしまったようです。確かに、一日中、外に出していたので、花粉がいっぱい付着したのでしょう。仕方なく、早めに切り上げ、シャワーを浴びて、服を着替えて対処しました。

目も充血して、鼻をかみ過ぎて、鼻が赤くなってしまいました。この程度で止めて置かないと、不眠になったり、頭がボーとなって、集中力が切れてしまいます。

明日から、妻と交替して、また1週間実家に行って来ますが、実家の裏山にはスギの木があり、要注意。

十分な睡眠と、適度な運動をして、外出時には花粉の防御対策を実行しないと、苦しくなりますネ。

これから、3月に入ると本格的な飛散のシーズン。悲惨にならないように十分注意しなくては!

本日(2/26)は、JR「駅からハイキング (in取手)」に参加。絶好の小春日和で、気温は昨日に比べ少々低いものの、風も無く歩きやすかったのですが、花粉の影響で、この季節、ハトちゃんはマスクが手放せません。

DSC02270.JPG駅東口で、9時からの受付でしたが、8時30分に着いて他のウォーカーと共に待機となりました。茨城県出身のハトちゃんは、常磐線で郷里に帰る関係で、取手駅は知っていましたが、降りたことはありません。

冬場のウォーキングは、服装が難しく、暑くなれば脱げるようにして、とりあえず寒さ対策で臨みました。10分前に受付がスタートして、何人かの後ろに付いて、まずはスローペースで。

スタート間もなくの「香取神社」でカメラをパチリ。 DSC02244.JPG交通整理員がいなかったせいで、直進を左折して、コースからはずれ、慌てて戻る人も。JRのウォーキングは、案内→が無いコースが多いので、間違える人も見かけます。

前の方にいたので解ったのですが、ウォーキングなのに、何を勘違いしているのか、先頭めざして横を走っていくウォーカーも。別に競争ではないのに、必ず一人は趣旨を解っていない人がいますよネ。

左折して「井野団地」内のアートスペースである「Tappino」に立ち寄るも、残念ながら準備中と、イベントが午後ということもあり、室内をさらっと見ただけで、ほとんど鑑賞せずに後にしました。

そこから、取手一中の横を通って、元の道の延長した道路を進む。さらに草間医院がある十字路を右折する。徐々に足の調子が良くなり、先頭から5番目ぐらいで小気味良いリズムで歩き続ける。

ビニールハウスを左に見ながら、地蔵墓地を過ぎて少し幅広い道にぶつかる。そこから左折してずーと一直線に進む。

道の両側に、田園風景。平らに広がった水田地帯が見えて来る。家並みは遠くに見える程度。まだ、 DSC02249.JPG苗代の準備段階ですが、田んぼの中を、車の往来も無く、前の人と10mぐらいの間隔で進む。30代ぐらいの男性は、ペースが落ちません。小生は汗をかいて下着はビショビショでしたが、写真を撮りながら、できるだけ離れないように付いて行く。

盛り上がった「土橋」の手前を右折しながら「とりで電化」の前をぐるっと通過。「利根川浄水場」を前方に見ながら、利根川の河川敷に沿った土手の道を、ひたすら「取手」駅方面に向かって歩き続けます。

かなり高い土手から風景を楽しみながら歩いて行き、河川敷では、野球グラウンドやテニスコートがい DSC02257.JPGたるところにあり、練習している風景が。途中、トイレ休憩を3分ほどしただけで、ペースを上げて進みます。土手の道は車の心配は無いので歩きやすいのですが、同じような風景で疲れてしまうので、一人で歩いていると疲れてしまいます。人に付いて歩くのがベターです。

「八坂神社」「取手宿本陣」を見た後、ゴールの取手駅に向かい、駅500m手前の DSC02266.JPG「取手宿ひなまつり」が開催中の雛人形やつるし飾りをウィンドーショッピング。

10時20分に駅に到着。8.9kmを所要時間1時間30分で完歩しました。時速約6kmのペースで、筋トレでのランニングマシーンとほぼ同じぺースでした。

これで、「駅からハイキング」は 10ポイント貯まったので、晴れて「ゴールド会員証」に次回からなります。ポイントの累積は3月末までなので、来シーズンは頑張って、30ポイント(通常15回の参加が必要)貯めるようにしたいと思います。

2日連続のウォーキングでしたが、このくらいの距離では最近物足りなくなって来ました。

これも健康で、ウォーキングが好きになった証拠でしょうか?

春一番が吹いた2月25日(金)、気温も19℃に上昇し、絶好のウォーキング日和。花粉症のハトちゃんはマスクをして参加。「京成谷津」駅に9時30分集合。前回の市外ウォークが、義母の病気付き添いのため、欠席を余儀なくされ、今年の全回出席の目標が早くもダメになってしまったハトちゃん。しかし、優しい言葉を皆さんからかけていただきました。

いつもギリギリのKさんは、今回は2分遅れて到着。いつもハラハラさせてくれます。先生の合図で、 DSC02208.JPG計13名で出発。9時45分に「谷津ヘルスステーション」に立ち寄り、スタンプとトイレ休憩をして、本日のメインコースの「谷津干潟1周コース」に挑戦するため、もと来た道を戻って、駅の南口へ。

ちょうど駅前の時計台が10時を指して、からくり時計から「ドレミの歌♪」 DSC02207.JPGが流れて、遅れて来た Kさんに感謝。小生が後ろの方を歩いていると、船橋から来た70代の女性が、「干潟」への道を尋ねて来て、一緒に同行することに

昨夏に歩いたコースでしたが、まず「谷津バラ園」前の「読売巨人軍発祥 DSC02209.JPG之地の記念碑」で、先生から解説してもらい、ここが球場跡ということを初めて知りました。そういわれれば、高い椰子の木があり、庭園内の周囲がカーブしている事実もあり、一同、新たなことを知ることができて感激!

巨人軍の長嶋や王選手をはじめ、有名な選手の手形が並べられており、昭和9年の日本野球発祥の地ともいえる場所が、習志野にあることは、市民として誇らしいものです。

谷津公園内では、「習志野名木百選の木」として、「鈴懸け」「スモッグツリー」(残念ながら、落葉して冬は見られず)の樹木も鑑賞しました。

DSC02218.JPGまた、この地が明治45年~大正時代は、伊藤新田(塩田)の地として栄え、その後、1925(大正15)年に京成遊園地(改称:谷津遊園)になり、1982(昭和57)年の閉園後は、バラ園のみ残すことになりました。春と秋バラの季節には、多くのバラ観賞者で賑わいます。

DSC02221.JPGバラ園裏から、谷津干潟周辺道路に到着。船橋ららぽーと方面に進みます。周回道路には標識があり、自分の位置がわかります。1周3.5kmで、夏と違って、干潟には満々とした海面が。悪臭もにおわず、うっすらと潮の香りが漂い、歩きながら、広大な干潟を眺めて、すがすがしい感じです。

左周りで干潟の反対側に出ると、「自然観察センター」に(10時50分)到着。 DSC02235.JPGみんなで館内に入ると、巨大なガラスの前面に、干潟の全貌が見えます。早速、備え付けの望遠鏡で、鳥たちの観察。コサギが5羽、等間隔で前の方の陸地の部分で休んでいました。また、館内では、干潟に来る鳥の模型や写真、資料、そして出版物もたくさんあって、干潟の様子がわかりやすく解説されていました。

ちょうど訪れたときが、まだ満潮時に近い状態であったため、水面に水が多い状態でした。11時から学芸員によるビデオ上映があり、他の来館者と一緒に説明を聞きました。

「鳥は風に向かって立っている。谷津干潟だけが埋め立てられずに残った理由(この土地を大蔵省が所有していて、自然保護のために残した)や、2つ(高瀬川、谷津川)の水路で、東京湾の水が入り、1日に2回、潮の干満がある。

110種類の鳥(カモ・サギ・シギ・カモメなど)が多数飛来することから、1993(平成5)年 ラムサール条約に登録されて国際的湿地に認定。カモの種類・オスとメスの見分け方や、渡り鳥(冬場はエサを求めて遠いシベリアからやってくる)や留鳥(カルガモ)の話」を熱心に聴きました。その後、興味深い質問も出て、ビデオ上映は遅れて11時30分から始まり、11時50分に終了。

途中、鳥を観察できる場所には、平日だったせいか、カメラマンが2名しか見られませんでしたが、休日やイベント時は、多くのカメラマンで賑わいます。

DSC02241.JPG津田沼高校を過ぎたあたりで、12時を知らせる放送があり、また、干潟を見ると、多くのカモが水面に出ている杭に、羽根を休めていました。

京成谷津駅前の商店街で12時20分を過ぎて、自由解散となりました。

ハトちゃんは、ここまで、チャリンコで来ていましたが、来るときに、2駅先の最寄り駅で見かけたメンバーの女性と、帰りも京成大久保駅前の「マルエツ」付近で、またも会いました。

小生にとって、今日の「ゆうほ(友歩・遊歩)21」のウォーキングは、1ヵ月ぶりでした。次回からは、できる限り、続けて参加したいと思います。

それにしても、夏に歩いたときと違って、悪臭もなく、晴れて暖かい1日でしたので、あらためて皆さんとウォーキングできる楽しみに浸れました。

 

最近、映像を観ていて感じることを  徒然なるままに

毎日、「韓流TVドラマ」を観ることにはまっているハトちゃんは、時間の許す限り、厳選して、ドラマを観続けています。

2月1日から地デジ放送に加え、BS放送も観れるようになったので、レパートリーがさらに増えて、番組の録画をためて、続けて観ては、削除の繰り返しです。

BSチャンネルでは、毎日、局で1つは放送されているほど、韓流に力を入れています。

アナログ、地デジチャンネルでも月~金で放送しているので、韓流には事欠きません。

以前から、Yahoo!GyaO ! では無料動画で、同じくいくつかの「韓流TVドラマ」が流されていて、毎回、楽しみにしているのですが、この2月あたりから、画面の大きさをワイドにして1時間ものを観ている最中、4回ほど、60秒のコマーシャルが強制的に入るようになりました。それ以前は、ドラマ開始の前だけでしたが、ドラマの最中に入って、それも30秒が経過しないと、クローズの項目が出て来ずにイライラします。少なくともすぐにコマーシャルが終わるような項目を出してクリックさせるべきです。話の流れが寸断されて、まったく持って興ざめです。方針が変わったのでしょうが、何とも視聴者を無視した変更です。

スポンサーあってのことでしょうが、視聴者のことも考えてもらいたいと思います。ただでさえ、Gyao の画面は、ワイドにしても、ディスプレイの画面いっぱいにはならないので、不満なのに。

同じようなことがもう一つ。最近の野球中継は、時間どおりで終わってしまうため、野球の一番終わりの場面が観られずに途中で切られてしまい、がっかりすることも多々あります。昔は、スポンサーの御好意に寄り、試合終了か、または30分ほどの延長があり、最後の結末もリアルタイムで観られたので満足感がありました。とくに野球は、最後に、ドラマがあるので、見逃せません。

さらに、生番組以外のほとんどが、コマーシャル後の番組の入り方に、ダブりが入ります。番組を短くするためかどうかわかりませんが、コマーシャルが終わって、番組が始まるときに、先ほどの終わりの場面が出てきて、続きを観ている立場からは、ダブりは目障りで不要に感じます。

民放の場合、スポンサーあっての放送番組でしょうが、テレビの時間とコマーシャルの配分は、放送局の権限で行われるのですから、ぜひとも、視聴者の目線で観やすいように配慮していく必要があると苦言を呈したい。

 

千葉市から習志野市に移り住んで11年。中古で買った家には、この時期、毎年、見事なピンク色の DSC02195.JPGしだれ梅の古木が咲き乱れます。近所の人も見に来てくれます。

二つの灯篭のある庭の横に、高さ3mほどの梅の木の枝に、可憐な花びらをつけて、約1ヵ月ほど咲き続けて、小生の目を和ませてくれます。

今年は先月下旬に義母が倒れて以来、家にいる機会が少なかったので、いつから咲いたのか把握していませんが、同時期から咲いていたようです。庭には、5mを超える「ねずみもち」の大木もありますが、小生は秋以降、その木にもよじ登り、剪定をしています。

梅の剪定は、桜の木とは違って、結構、切っても、翌年伸びてきます。しかし、この老木は、上から雪洞のような形で、枝が細くて、なかなか切り辛いため、下に垂れ下がっている、先の枝のみ切って形を作っています。上の枝を切る際には、高い脚立を利用して切りますが、不安定になりやすいので気をつけねばなりません。

先日の積雪では、枝に雪がかかったので、風情を楽しみたかったのですが、すぐ解けてしまって、残念でした。

この梅と、紅梅の木に、毎年、鶯がやって来ます。最初は、上手く鳴けないのですが、そのうち「ホーホケキョ♪」ときれいなさえずりで、春がやってきた予感を知らせてくれます。

今年は、まだ鳴き声が、聞こえて来ません。

先日、市職員の方が見えて庭を案内したとき、冗談に「習志野市名木100選になるのでは?」と言ってくれたのは、少々、嬉しく感じました。

これからも、毎年、咲き続けて、みんなを癒してくれるように大事にしたいと考えています。

妻の義母の入院付き添いと、義父の世話などで、一週間ほど家を空けていましたが、22日(火)に妻と交替で自宅に帰ってきました。

さすがに、小生も若くないので、最終日はガソリンが切れて、エンスト一歩手前で、何とか持ったという状況。今回は、精神的な疲れというより、肉体的疲れが出てしまいました。春に向かって、日に日に暖かくなるには程遠く、結構、寒い日が続いていましたが、千葉県東部は、まだ暖かいので助かります。

付き添いをしている病院では、義母は脳梗塞で倒れて以来、寝たきりの状態で病状回復はほとんど見込めません。目は動かしているものの誰とは認識できず、呼びかけても、言語は全然しゃべらない状況。完全看護なので、ある程度の時間だけ様子を見て、着衣等の交換で、毎日、訪れます。

症状が安定して来たので、3月いっぱいぐらいで、別の療養型の病院に転院させなくてはなりません。ケースワーカーと相談中です。

一方、義父の方は、かなりの認知症で、お金の勘定ができず、日にち、曜日も忘れることがしばしば。また、亭主関白だったせいか、家事を今までほとんどやって来なかったため、ご飯はもちろん、おかずも満足に作れず、さらに、高齢のため、歩くことが億劫になり、家の周りの畑ぐらいまでしか、外出しません。

また、先日は、入浴の際、居眠りで湯船に沈みかけたことがあり、入浴時も傍で見守りが必要です。

さらに、食事も一人では時間通りに食べずに、薬も飲んだのがわからなくなるといった状況。したがって、一緒に同じ行動をしてこちらがあわせていくといった具合です。

ただし、昔の話になると、鮮明に覚えていて、自慢げに延々と話して、ご満悦になります。最近のことは覚えられずに、昔の記憶だけ。これが、認知症の特徴です。

まともに捉えると、ストレスになるので、できるだけ軽く聞き流す術を体得しました。

病院から実家に帰宅後は、義父の話し相手と、家事(洗濯、掃除、食事など)が、小生の日課です。

午後8時には寝てしまうので、その後が、自分の時間でテレビや風呂でリラックスしています。

田舎の方は、まだ農家が多いため、茶のみ友達の近所のおばあちゃんやおじいさんが、義母の様子を聞きに来たり、義父のためにおかずや、自前の漬物を持って、毎日、誰かしら顔を出してくれます。家族のような接し方で、いろいろと気を使ってくれます。

義母が倒れた際の救急車での病院までの同乗も、近所の人が付き添ってくれました。農村では、地域社会のキズナが深く、何かあったときには、本当に助かります。

小生もおしゃべりなので、義父との会話だけではストレスが溜まるので、オバチャンたちとも親しくなり、一緒にお茶を飲みながらいろいろな話を聞いています。また、長く入るせいか、地元の地理にも明るくなってきました。

都会では、となり近所の付き合いがほとんど無いので、わからないし、必要最低限での付き合いになっています。

それに比べ、農村の老人たちは、お互いに支えあっていて、7年前に、火事で家を消失したときも、親身になって世話していただいたこともあり、今回もご近所の支えは大変励みになっていて、何かと助かっています。

今年は昨夏の猛暑と多雨の影響で、例年に比べ、スギ花粉の飛ぶ量が6~10倍ともいわれてます。すでに2月上旬から飛び始めて、天気予報番組でも花粉情報が報じられています。また専門の花粉情報サイト「花粉なう」http://www.kafun-now.com/ もありますので便利になりました。まだ飛ぶ量は少ないのですが、ハトちゃんも、最近、鼻がムズムズして、目が少し充血気味です。

何でも花粉の飛ぶピークがあるそうで、1回目はお昼頃(気温の上昇とともに花粉が来る)で、2回目は夕方(上空に舞い上がった花粉が落ちて来る)だそうです。雨の日は、飛ぶ量が少ないので助かりますが、雨上がりの晴れて風の強い日は、最悪です。

マスク等の防御対策は当然ですが、それでも症状が現われてしまうと、大変苦痛になってしまいます。近年、花粉アレルギーは国民病ともいわれて、全国民の30%に達しているとのこと。原因は、現代の環境汚染や、都会のコンクリートジャングルなど。さらに、育ったスギを伐採できない、農林業の衰退なども考えられます。

小生の場合、この時期(2~4月)はポケットティシュが手放せなくなり、使用する量も増大。結構、花粉対策で気を使います。

八王子に住んでいた頃は、高尾山のスギ林の影響で、症状が顕著で、眠れない日々もあり、花粉症で仕事を休んだこともありました。外に干したシーツに、薄黄緑色の花粉が見えることも。当時30年前は、マスクも性能が悪く、今のような嘴型のマスクをする人は少ない状況でした。

最近では、この季節、電車内の座席の半数近くは、マスクをかけている状況。時に、くしゃみを連発する人も。重い症状の人は本当にかわいそうですネ。

結婚して、千葉県に移り住んで以来、症状の方は軽くなりましたが、防御対策は実行しています。

 1.外出時は、メガネ帽子(野球帽のような、つばの広いもの)、マスクの着用

 2.外出後、玄関の外で服をはたくうがい鼻をかむ顔を洗う

 3.洗濯物を外に干さない

 4.基礎体力をつけ睡眠不足に気をつけ、疲れをできるだけ残さない。

 5.予防対策として、早めにを飲むこともあります。ただし、眠くなるので、要注意。

これらを実行していると、まぁ、症状はそれほど出ないですみます。

いずれにしても、油断大敵なので、しっかりした防御対策でこの時期を乗り切りたいですネ。 

雪になってしまった本日は、毎月15日に行われる習志野市スポーツ振興協会主催の「体力測定・プレイスポーツ」の日。小生は、平成19年3月から体力チェックのため、できるだけ参加しています。

ハトちゃんは、妻の実家に行っていた関係で、ここ10日ばかり、筋トレやウォーキングをほとんどやっていなかったのですが、先月15日はJRの駅からハイキングに参加したため、欠席でしたので今月は何としても行きたかったのです。

あいにく、昨夜からの積雪で、会場の体育館まで足下の悪い中を、徒歩か自転車では難しいので、躊躇していました。すると、12月にウォーキングサークルの中村会長に送迎していただいて、スポーツ後、二人で「船橋健康センター ゆとろぎの湯」に行ったことを思い出しました。

ダメ元で、電話をかけようと受話器に向かった途端、電話のベルが鳴りました。すると、中村会長から「ハトちゃんは、今日、行きますか」と誘いの電話で、こちらは「渡りに船」ということで、待ち合わせて、車に乗せていただき、袖ヶ浦体育館に向かいました。

何という偶然でしょうか。いつもウォーキング時に親切にしていただいて、また市内のいろいろなスポーツの場所でお会いするので、日頃いろいろと教えていただき助かっています。

体育館に着いたとき、体力測定がまだ終わっていなかったので、20mシャトルランのみ、オープンで参加し、33回とまあまあの成績でした。いつも声をかけていただいている協会の職員の人たちとも顔見知りになり、行くのが今では楽しみの一つになっています。

11時からのプレイスポーツでは、7人が参加して、職員の皆さんと一緒に卓球、ソフトバレーボール、バドミントン、ボッチャー(ソフトボールぐらいのボールを双方が交互に投げて、白い先頭のボールに近いほうが得点し勝敗を決めるスポーツ)などで、かなり少人数ながらも盛り上がりました。

中村会長のおかげで、スポーツで久しぶりに汗をかいて、爽快感に浸った一日となりました。

気分転換ができたので、テンションも上がり、明日(16日)から妻と交替して、義母の看病と、義父の面倒を22日(火)まで頑張ろうと思います。

昨夜(2/14)から降ったは、朝方、習志野市でも約5cmぐらい降り積もり、あたりは一面の銀世界。2階の窓から見た景色は、真っ白な屋根が並んでいて、ふだん見る景色に比べ、情緒があります。

DSC02166.JPG寒い朝で、娘は試験のため、早めに家を出て、駅に向かいました。滑らないブーツを履いて、いつもならチャリンコでの駅までの道を足下に注意して歩いて行きました。

自宅前の道路の雪を、雪かき用のシャベル DSC02156.JPGで、ジャンパーと手袋、長靴を履いて防寒して、いざ出陣。幸い、雪が降っていなかったので、スムーズに作業は進行。とりあえず、車が滑らないように雪をどけました。近所でも、雪かきが始まり、シャベルの雪をすくう音が、あちらこちらで、響き渡りました。

せいぜい1年に2、3回のことなので、たいして苦にはなりませんが、豪雪地帯に住む方々は、本当に大変なことだと思います。ニュースで2mとか言われても、実際に見ないとピンと来ません。自宅近くの坂道を下ったところに、中学校、小学校があり、ランドセルを背負った子どもたちが登校中にもかかわらず、あたりに積もった雪で、雪合戦や、雪だるまを作って遊んでいました。

10時ぐらいから、暖かい陽射しが戻って来て、その後、雪解けるが進み、夕方には道路に雪がわずか。1日で早く解ける量なので助かりますが、積雪が続かないことを祈っています。

本日も、首都圏の電車は雪対策が弱いので、遅延や徐行運転になったようです。雪で思い出すのは、何と言っても、就職中、入試日の前日に雪の予報があって、大学近くのホテルに泊まり込み、早朝、出勤して雪かきをして、風邪を引いた苦い思い出が...。

もう一つ。雪の道で、ヤマハのカブ(50cc)オートバイを乗って運転中、雪でスリップ。横転して、バイクの破損と腕をケガしたことかな。

きれいな想い出は、札幌雪まつりを観に行って、芸術的な作品の雪像に感動したことです。

確かに、雪は鑑賞するのには風情がありますが、これが交通機関や他の雪害を起こすとなると対策をしていかないと、とんでもない被害が生まれて来ますので、十分な注意が必要です。

久しぶりに、地元で観た積雪での感想で~す。

 

妻の実家は、1年前までバスが無く、バスが運行されてからも(月~金で祝日を除く)1日5便のみ。タクシーで1,500円程度。駅からスタスタと歩くと50分、ゆっくり歩くと1時間ほどの地で、車も県道を除くと、さほど通らない場所にあります。

今回、妻と交替で、両親の面倒を見ることになりましたが、テレビがある以外、情報が入りません。おじいさんのボケが段々ひどくなり、今では新聞を見なくなってしまい、新聞を取っても紙面をめくらず、そのままの状態。仕方なく、やめてしまいました。

テレビが唯一の情報源。それ以外は、村の近所のおじいさんやおばあさんが、お茶飲みに来て、世間話をするのが恒例です。義父は、高齢なので早寝で、20時には就寝。その後、テレビを少し観る程度です。家にいたときは、暇つぶしに見ていたのですが、雑用があって、ゆっくりは観れません。食事の後片付け、台所の掃除や冷蔵庫の食べ物の料理、整理など。自分で家事をやってみるとわかりましたが、きりがありません。主婦(ハトちゃんは主夫?)の大変さを痛感します。

パソコンは、農家の年寄りには当然、無理です。息子のノートパソコンがあったのですが、大学の試験中ということもあり、持って来れなかったので、インターネットにつなげず、また、ハトちゃんは携帯を持っていないため、多様な情報も見られません。

ブログも書けないので、時間を持て余して、逆にストレスが増しました。いったん、パソコンの便利さを知ってしまうと、何も無い生活は、とても不便さを感じます。

12日(土)に、バトンタッチして自宅に戻って、まずしたことは、溜まった新聞を読むこと。次にパソコンのメールの検索と、返信。そして、動画「韓国時代劇ドラマ」の続きを観ること。

半日くらいかかりましたが、終わってホッと一安心。ほとんど何も無かった生活(満天下の星空がきれいでしたが?)から、元に戻ると、情報社会の便利さを痛感。それに慣れていた自分を再発見。文明の発達したすばらしさは、もっともっと有効に活用していくべきで、時間も有効に使えることになります。

先週の水曜に「ほんまでっか?TV」で、あまり、計画的に時間をきっちり使うタイプは、おっとりタイプの人に比べて、長生きできないという結果が出ている話を聞きました。しかし、現代社会では、多様な情報の中で生きてる以上、どんどん自分で取り入れて行かないと、刺激が無くなって、無気力になり、つまらなくなってしまいます。

ブログも、新しいネタや文章を考えて書くので、脳が刺激されます。さらに上をめざしたいという向上心や、好奇心が生まれてくるので、おもしろくなってまた書きたくなります。

田舎は、自然があり、のんびりできるのですが、都会に慣れてしまうと、逆に情報が無くて、単純でおもしろくない生活になり、少しの期間は良いのですが、長期間は無理な気がしました。

 

2月4日(金)から、看病と義父の面倒を見ることになったハトちゃんは、地元の病院まで、自転車で通うことになりました。片道は20分ぐらい。舗装された道路で、2台がすれ違えるほどの農道を一直線。1箇所曲がってさらに直進すると「病院」という非常にわかりやすい道です。行く前に、自宅のパソコンで見当をつけて、さらに地元の人に確認して、一番の近道を見つけました。

12日(土)まで、9日間、毎日その生活。途中、暖かい日に1日だけ、ウォーキングができないストレスから、片道55分ほどの道を歩きましたが、それ以外は、買物や用事もあって、大半が自転車での往復。

初日、この道を通って、気が付いたことは、両側は田んぼが続きますが、「ゴミを捨てるな!」の立看板があるにもかかわらず、畦道や田んぼの中に、車窓から捨てたと思われる、空き缶や空きペットボトルのゴミが捨てられていました。ドライバーのマナーの悪さを痛感しました。地元の人の話では、地元は捨てる人はほとんどいないので、よそ者の方が多いとのこと。

とくに、夜は捨てたのがわからないので、多いとのこと。ハトちゃんは、レジ袋を翌日から持って、余計なことかと思いましたが、あまりにも景観が悪いので、ゴミを見つけては、できるだけ拾い集めて、近くのゴミ集積場に捨てて置きました。

最後の12日は、かなり道に近いところは、ゴミが無くなって、景観も当初よりだいぶ良くなり、自転車に乗って気持ちよく水田地帯を駆け抜けました。

習志野の自宅近くの国道でも、勝手にゴミを捨てていく連中がいますが、なぜ自分で責任を持って、捨てに行かないのか。そして、自分の家ではありえない公共の場に散らかすのか。面倒がらずに自分の家まで持ち帰らないのか。小生には理解に苦しみます。

大半の人は、マナーを守っていると思いますが、極少数のマナー違反者が、多大な迷惑をかけていることを、もっとマスコミも政治も呼びかけていかないと。

農家が少なくなって、機械に頼っている現在、機械の刃にゴミが巻き込まれることもあると言っていました。自分たちの主食であるを生産してくれている、お百姓さんのためにも、もう少し自分だけ良いのではなく、他人への思いやりを考えて欲しいものです。

ブログを、10日ほどお休みしていたことを、まずもって、御詫びいたします。

先月の29日(土)に脳梗塞で倒れた義母の看病に、妻と交替で実家と病院の往復を余儀なくされてしまい、ウォーキングや筋トレもお休みとなってしまいました。29日と翌日は、取るものもとりあえず、病院の方に駆けつけました。幸いと言って良いか、右脳だけに止まったので、命は助かりましたが、右半身不随としゃべれなくなって、寝たきりの状態です。

29日から、妻がずーっと実家に帰ってしまいましたので、2月4日(金)まで私は自宅で待機していましたが、毎晩、妻から病状を聞き、大いに心配していました。

その後、2月4日(金)の午前11時に、駅で妻と会って、夕方から交替して、看病と、実家に残された義父の面倒を見るようになりました。

義父は、80歳まで新聞配達もして頑張っていました。90歳を越えて、ここ2,3年、体力も気力もすっかり落ちて、農業もままならず、家の畑ぐらいしか、できなくなってしまいました。それに、認知症もあって、かなり大変になってきたので、1月まで妻と二人で、様子を見に、月に2回は帰るようにしていました。義母が倒れると、さらに「ボケ」が進んで、昔の話は覚えているものの、10分前の話の内容や、漢字(それも小学校高学年レベル)も書けなくなって、自分でもどうして良いか、わからなくなっています。

年をとると大変だとは聞いていますが、現実に近くに起こってみると、対応が大変で、家族でも困ってしまいます。

自分のことはできるはずなのに、昔ながらの亭主関白がたたって、ほとんど家事ができません。現代ならば、夫婦共働きが多いので、男でも家事ができなければ、通用せずに「即、離婚の原因になってしまう」でしょう。

結婚していても、双方がある程度、家事もできなければ、いざというとき、誰かにやってもらわなければならず、増して、高齢でボケがあれば、別居の家族は心配で、、一人で住んでもらうのは無理な状況といえます。施設に入っても良い人なら良いのですが...。

ある程度、予想はしていましたが、現実になってみると、深刻な状況です。さらに言えば、一般に女性は長生きしますが、今回のケースのように、男性が残されて、一人で生活するのは、至難の業と言えましょう。

男性諸君。自分の仕事のことだけでなく、家事も大事な仕事ですので、自分ひとりになっても、生活できるように普段からやるように心がけましょう。それが、必ず老後に役立ちますから!

2日(水)に報道された、八百長相撲メール事件は、多くの相撲ファンや関係者を傷つけたもので、日本列島にまたも重い空気をもたらした。今回は、本業の仕事である相撲での「八百長」の生々しいメールの内容で、言い逃れはできない。テレビの放駒理事長の陳謝の内容でも、「過去に一切無かった」とは、「大嘘」で、多くの国民は、これまでの過去の疑惑も含めて、「やっぱりそうだったか」というふうに思ったことでしょう。八百長の具体的名前の確証メールが出たことで、ほとんど「黒」がはっきりしているし、すでに八百長を認めた力士もいると言う。

八百長の取組を打ち合わせたり、金額の内容など、真剣に戦っていると思っていたファンへの裏切り行為であり、さらに、メールの時期が朝青龍の暴行事件による引退、野球賭博事件時に協会の役員が反省して、「再生」をスタートさせたのは何だったのか、首をかしげます。

今回の事件も、氷山の一角だと思うし、相撲協会の危機管理の無さは、話にならないし、組織として統括できないのは論外。厳しい処分は当然ですが、相撲スポーツのファン離れは、加速度的に進むでしょう。本当に、特別調査委員会が事実を究明して、今後、絶対やれないようにする決意が無いと、何の意味も無い。

また、税法上の優遇措置を受けている「公益法人」の資格など、とんでもないし、春場所の開催も自粛すべきで、相撲界自体、国民に恥ずべきで、謝って済む問題ではないと、強く憤りを感じる。国技が聞いてあきれる。

力士が八百長をするのに、十両以上は、月給が100万円以上出るのに、幕下以下は給料が出ずに部屋への運営費でまかなっている構造がある。生活のためのが大事か、スポーツとしての純粋に「強くなって上位をめざす」のか、もう一度、協会、力士に問いたい。

横綱 白鵬の63連勝、優勝6連覇など、見事な"心技体"の金字塔がありながら、一方では、相撲自体の根幹を揺るがす事態も、何度も繰り返す。古い体質の親方による部屋制度は限界で、力士も社会常識を知らない「甘ったれ」が多く、トップが替わっても、次々と「恥部」が出てくるのは、もはや協会を解体して相撲は、アマチュア相撲までにしたらどうか?

どれぐらい拡がるか解らない(一部、相撲賭博の報道もあり、八百長が行われていれば、裏で暴力団の資金源になっている可能性も?)が、何とも「不愉快な事件」である。

                                     [今回は「である」朝で書きました]

早くも如月がスタートというのに、小生は留守番が多くなりました。というのも、妻の母の容態が思わしくなく、妻が実家で看病のため、遠出ができません。

まず、1日(火)は、ようやくわが家でも、テレビのアナログから地デジへの切り替え工事を行い、地デジ、衛星放送、CATVなどが観られるようになりました。これまで、正方形に近い画面に慣れていたせいか、最初のうちは、横長の画面に戸惑いましたが、アナログの画面よりシャープです。工事の人の話では、11月から週1日の休みも取れないほどの忙しさだそうです。

個人の家での、テレビの設置具合の違いで、工事の時間がだいぶ違うとのこと。小生は、アンテナでの放送ではなく、NTTの回線使用を選択。この地に住んで、高台で強風で10年間にアンテナを2回取り替えたためです。近所では、ほとんどがアンテナ式で、今回、新たな回線設置となり、よけい時間がかかりました。工事の人が優しい人で、新しいテレビの初期設定もやっていただいて大助かり。

設置時間は、約4時間もかかりましたが、学校から帰って来た子どもたちは、新しいテレビで満足そうでした。

ただし、古いブラウン管のテレビは、まだ故障していないので、普通に観れるのにリサイクル品に出してしまうのが、何とももったいない感がしました。

2日(水)は、午後から思い切って、近くの「東部体育館」で筋トレに行って、汗を流して体脂肪などをチェック。1月27日(木)以来で、少し間隔が開いてしまい、若干数値が上がってしまい、毎週3回のペースを守らねばと反省。

運動後、チャリをとばして、隣町の八千代市の「やまとの湯」に今年初の入湯。ジャグジー風呂や、天然温泉にもゆっくり浸かって、日頃の疲れを癒しました。

しかし、帰宅後、相撲協会の八百長メール事件でビックリ。「あーあっ、またも繰り返しか!」と、情けない感じで、ニュースを聞いていました。