田舎は人情味 溢れている

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妻の義母の入院付き添いと、義父の世話などで、一週間ほど家を空けていましたが、22日(火)に妻と交替で自宅に帰ってきました。

さすがに、小生も若くないので、最終日はガソリンが切れて、エンスト一歩手前で、何とか持ったという状況。今回は、精神的な疲れというより、肉体的疲れが出てしまいました。春に向かって、日に日に暖かくなるには程遠く、結構、寒い日が続いていましたが、千葉県東部は、まだ暖かいので助かります。

付き添いをしている病院では、義母は脳梗塞で倒れて以来、寝たきりの状態で病状回復はほとんど見込めません。目は動かしているものの誰とは認識できず、呼びかけても、言語は全然しゃべらない状況。完全看護なので、ある程度の時間だけ様子を見て、着衣等の交換で、毎日、訪れます。

症状が安定して来たので、3月いっぱいぐらいで、別の療養型の病院に転院させなくてはなりません。ケースワーカーと相談中です。

一方、義父の方は、かなりの認知症で、お金の勘定ができず、日にち、曜日も忘れることがしばしば。また、亭主関白だったせいか、家事を今までほとんどやって来なかったため、ご飯はもちろん、おかずも満足に作れず、さらに、高齢のため、歩くことが億劫になり、家の周りの畑ぐらいまでしか、外出しません。

また、先日は、入浴の際、居眠りで湯船に沈みかけたことがあり、入浴時も傍で見守りが必要です。

さらに、食事も一人では時間通りに食べずに、薬も飲んだのがわからなくなるといった状況。したがって、一緒に同じ行動をしてこちらがあわせていくといった具合です。

ただし、昔の話になると、鮮明に覚えていて、自慢げに延々と話して、ご満悦になります。最近のことは覚えられずに、昔の記憶だけ。これが、認知症の特徴です。

まともに捉えると、ストレスになるので、できるだけ軽く聞き流す術を体得しました。

病院から実家に帰宅後は、義父の話し相手と、家事(洗濯、掃除、食事など)が、小生の日課です。

午後8時には寝てしまうので、その後が、自分の時間でテレビや風呂でリラックスしています。

田舎の方は、まだ農家が多いため、茶のみ友達の近所のおばあちゃんやおじいさんが、義母の様子を聞きに来たり、義父のためにおかずや、自前の漬物を持って、毎日、誰かしら顔を出してくれます。家族のような接し方で、いろいろと気を使ってくれます。

義母が倒れた際の救急車での病院までの同乗も、近所の人が付き添ってくれました。農村では、地域社会のキズナが深く、何かあったときには、本当に助かります。

小生もおしゃべりなので、義父との会話だけではストレスが溜まるので、オバチャンたちとも親しくなり、一緒にお茶を飲みながらいろいろな話を聞いています。また、長く入るせいか、地元の地理にも明るくなってきました。

都会では、となり近所の付き合いがほとんど無いので、わからないし、必要最低限での付き合いになっています。

それに比べ、農村の老人たちは、お互いに支えあっていて、7年前に、火事で家を消失したときも、親身になって世話していただいたこともあり、今回もご近所の支えは大変励みになっていて、何かと助かっています。

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このページは、hatochanが2011年2月24日 09:57に書いたブログ記事です。

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