「ゆうほ21」で 江古田から中野の古寺を訪ねて歩く

| コメント(0) | トラックバック(0)

早朝から台風3号の影響で雨が心配された(6/11)は、第2火曜で「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の定例ウォーク。神田先生を含め14名が参加。京成「船橋」駅構内に集まりました(9:30)。

京成線で日暮里→JR山手線で池袋→西武池袋線各駅停車で二つ目の江古田駅へ(10:40着)。駅近辺は学生街で、日大芸術学部、武蔵野音大、武蔵大学など。古い寺院と自然が残る新旧建物が混在。コースは、江古田(練馬)から沼袋(中野)までの約6km

駅でトイレをすませて、先生の案内で、南口から線路沿い練馬駅方面へと天候を心配しながら進みます。ときおり小雨があり、早くもカラフルな傘の行進。

 

まず、最初のポイントは、細い路地を入ると、武蔵野稲荷神社〔創建は不詳で、本殿は小高い塚の PICT8126.JPG PICT8130.JPG上に鎮座し、1477(文明9)年、江古田・沼袋の戦で太田道灌によって滅ぼされた豊島軍の死者を葬った塚との言い伝えがある。「江古田のお稲荷さん」と親しまれている。社殿の扉は閉まっていて、塚のある本殿には行けません。龍神門などに、動物や龍の多色な彫刻が観られました。

 

別の脇道から境内を抜けると、目前に武蔵大学の校舎と裏門。そういえば、鳥居入口に、学生の境内通行を遠慮して下さいという看板がありました。

 

住宅街を通って、目白通りを渡って、右折して道なりに進むと、PICT8142.JPG白いアジサイの家が。唐澤博物館〔唐澤富太郎(東京教育大学名誉教授)の個人博物館。入口 PICT8139.JPGに二宮金次郎 の像があり、Y字路の真ん中に三角屋根の積み木で作った風の建造物〕は外観のみ見学。

 

本日は、和気藹々と話をしながらも、コースの街並みを見ながら、 PICT8146.JPG雨が心配でいつもよりは早いペース。桃色の大きな夾竹桃。豊中橋を渡ると、江古田川は、川幅が真ん中10cmぐらいで、まわりはコンクリート。

 

続いて次のポイントは、江古田の森公園〔2007(平成19)年開園。昔は、国立 PICT8164.JPG PICT8149.JPG PICT8156.JPG療養所中野病院(結核患者のための施設)の跡地にできた公園〕へ。雑木林の中は、中野区とは思えない森林浴ができて、少し上って行くと、ベンチが多くある芝生広場へ。ここで先生から「早いんですが、昼食休憩30分」という言葉(11:30)。

 

急いでベンチで、思い思いの昼食にありつきました。ときおり、梅雨のしとしと雨が...。公衆トイレにペーパーが無かったのには、困りました。

なお、隣接して東京都総合福祉センター「江古田の森」があり、車イ PICT8155.JPGスの方々の姿を...。前には中野駅行きのバス停があります。

 

PICT8166.JPG PICT8174.JPGバス停前を横切って、広い通りを進むと、紅白のかわいいチェリーセージが。 東福寺〔鎌倉時代の創建で真言宗豊山派の寺院。江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息し、8代将軍吉宗は御膳所に指定。豊島八十八ヶ所の二番札所〕へ。境内横に、徳川家膳所跡碑が。後方横に鐘楼を観る。

 

 

次いで、沼袋方面へと向かいました。中野区立歴史民 PICT8180.JPG俗資料室〔江古田 PICT8175.JPG村名主の山崎家が寄付した土地に建てた資料館。中野の風土や暮らしぶりをテーマに、山崎家の資料も展示〕へ。休館中で、外を見学。閑静な場所に、ツブラジイの大木、石臼などが展示されています。

 

その後、新青梅街道江古田4丁目の歩道橋を渡ると、通り沿いの家に見事なブーゲンビリアが。百観音通りの先に、明治寺〔閑静な境内には番外を含めて百八十体の観音 PICT8188.JPG石像が PICT8201.JPG PICT8204.JPGあり、西国三十三観音・坂東三十三観音・秩父三十四観音の合わせて百観音が奉納されている〕。先生を先頭に、メンバーは、各札所番号順に、彫られた表情や大小形状の違った観音様を観て回りました。ガクアジサイ(日本古来の種) PICT8203.JPGや芝 PICT8195.JPG生にピンクのモジズリ(ネジリ花)を発見。先生は、実際に百観音を全部回られたそうですが、歩けない場合はこの寺で代行してもご利益があるそうです。

 

 

すぐそばに禅定院〔室町前期1360年代に恵尊が開創。旧上沼袋村の伊藤家の菩提寺で、「伊藤 PICT8211.JPG寺」ともいわれる〕へ。境内右手に頭が丸く刈ってある、樹齢約600年の大イチョウが見上げるほどに聳え立つ。

沼袋駅前商店街の一本路地を入ったところに、実相院〔真言宗豊山派。新田一族の矢島氏が合戦で敗れて開創。境内は狭いが、墓地に PICT8220.JPG沼袋から江古田にかけて多い「矢島氏」の刻銘が半数以上〕へ。

 

最後に、商店街を抜けて、西武新宿線の踏切を渡って、真正面に平和の森公園〔1985(昭和60)年、中野刑務所跡地に部分的に開園。現在も公園を拡 PICT8223.JPG張、整備中〕へ。刑務所跡だけに「平和の森」と名づけたのではと先生の弁。少年スポーツ広場(野球場)前のトイレ休憩後、園内の沼袋側だけを散策。弥生時代の復原住居を観て、公園管理事務所へ。

事務所内1階に平和資料展示室があPICT8225.JPGり、 PICT8226.JPGメンバーが戦時 中の「中野の戦災・学童疎開」写真パネルなどや東京大空襲時の焼夷弾などを熱心に見学。しばし、戦争の悲惨さと平和の尊さを実感。習志野市の平和宣言都市の話題も...。

 

公園内で一応、解散(14時)いつもより約1時間は早い。雨もあがり、来た道を全員で戻り、西武新宿線沼袋駅→高田馬場駅→東京メトロ東西線で西船橋駅まで一緒に帰りました。

西船橋で京成線とJRに別れて、先生とともに京成線の西船駅まで徒歩5分。

神田先生は、京成船橋駅で突然、降りられて、メンバーは「ここから実籾駅まで歩くのかしら?」と言う声。一日、平均約4万歩を歩く先生は、天候が回復して、歩き足りなかったのでは?という推論になりました。真相は、月末の市内ウォークで解き明かされるでしょう!

梅雨の合間のウォークで心配しましたが、かえって暑くもなく、アップダウンが少なくて歩行距離も短かったので、ちょっと物足りなさが残りましたが、本降りにならずに、歩けて良かったと思います。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://uboatdata.sakura.ne.jp/movable_type/mt-tb.cgi/971

コメントする

このブログ記事について

このページは、hatochanが2013年6月13日 13:51に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「「JR ウォーク」で 九十九里浜(東金~大網)エコハイク」です。

次のブログ記事は「オジン隊「JR ウォーク」で 潮来あやめと水郷路ハイキング(小生2回目)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.25