5月3日(金・祝)午後6時過ぎに、9年間施設で療養していた、亡父の弟(私の叔父)が享年88歳で亡くなりました。本来は、八王子の母親が出席するところですが、膝・腰の手術後、家の周りしか歩けないことと高齢のため、弟と小生が代表して参列することに。
お通夜(5日)は、実弟に茨城・石岡JAホールひたち野に行ってもらい 、翌6日に小生が常磐線に乗って石岡へ。3日(金)に常磐線に乗り、笠間のつつじと陶炎祭(ひまつり)に行ったばかりで、すぐ同じ線に乗ることに...。
小生の母の実家が石岡で、そこで生まれた関係で、小さい頃―常磐線が蒸気機関車だった頃から、慣れ親しんだ路線。父の実家も一つ手前の高浜駅下車。電車に乗ると、茨城弁特有の語尾が上がる方言がとびかい、小生も釣られてついしゃべってしまうことも間々ありました。
告別式に出席して感じたことは、父の実家が田舎ではかなりの名家で、市長や議員の出席、弔電が多く、告別式でも参列者が多かったこと、さらに花輪や生花の数も30個を超えるなど、盛大なお葬式でした。
親戚の方々と久しぶりに顔を合わせた様子は、自分も含めて、だいぶ老けたという印象。それでも、式の合間の休憩・待ち時間には、近況や思い出話が出ました。また、初めて会う親戚もいて、結構、気を使いました。
親族の一員ということで、火葬場までマイクロバスに同乗し、火葬後、骨壷に納めるまで故人を偲んで参列。
その後、一駅上りの高浜駅から徒歩30分、車で5分ほどの叔父の実家へ行って、仏壇に線香をあげて来た次第です。
30年ぶりに行った父の実家付近は様変わり。昔、遊んだ場 所に は、霞ヶ浦の堤防が延びて、湖岸がサイクリングロードになっていて、大波の湖面が眼の前に。双耳峰のきれいな筑波山が遥か見渡せます。
舟を浮かべて、ハスや鮒や鯉、ライギョなどを獲りに行った昔が懐かしい記憶として甦りました。父の実家で、皆で相撲をとったり、裸足で駆けずり回ったのも、この間のように感じていたんですが...。
叔父の死去で、父方の兄弟姉妹はいなくなってしまい、一つの時代が終わって、寂しい気持ちでいっぱいです。 亡父の13回忌が来月。 「光陰矢のごとし」を痛感します。
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