JR 駅ハイで4月12日(金)流山で菜の花と歴史散策(約9km)を大学の先輩2人と同行。
JR武蔵野線南流山駅北口に10時集合。先輩たちは、先に到着。
兼子風来坊は、都会人なので、つくばエクスプレスで来たことを自慢。残念ながら、ハトちゃんは見たことも乗ったこともありません。遠藤アニイは我孫子なので、3人で一番近くに。
本日が期間設定コース(in 流山)の初日。オジン組〔現代の新選組?〕も意気込みだけは負けません。臨時受付で手続きを済ませスタート。
今回は、昨年の逆コースに寺社や渡し跡を加えたコースになっていました。今月も顔を合わせたオジン組面々は、「年金の生存確認のようだ?」と言いながらも、ユックリズムで歩き出しました。
TX南流山駅入口から左折して西進。流山街道の木交差点を横断して、真っ直ぐ進みます。江戸川土手に出る前の道路で工事中。前にいた細身の女性ウォーカーが、待っていて道を確認。しばらく、話をしながら随行。土手で先に行ってもらいました。
前に高さ20mほどの土手が見えて来るとともに、早速、黄色い菜の花がいっぱい現われました(10:20)。土手の階段は二段になっていて、オジン組は、兼子局長の下、広くて舗装されたサイクリングロードに上がって、上から黄色い絨毯を眺めます。土手に上がった所が、最初のポイント「幸房の渡し跡」の標識。
そこから、右手に進みます。左手には、広々とした河川敷緑地が続きます。遠藤副長は、「流山の絨毯」が初めてのようで痛く感激。心地良い風を受けながら、快適気分で歩きます。もう少し、暑くなると、土手は陽を避けられないので大変ですが、歩くのにはちょうど良い季節です。
武蔵野線ガード下を通るコースを進まずに、土手を降りたので横道から入り、コースに戻ります。前方から女性グループがなぜかこちらに向かって来て、コース外に。駅ハイ参加者ではないようです。
「丹後の渡し跡」の標識を確認後、右の階段を降りて、細い路地へ。次に向かう流山寺の道は、ハトちゃんが知っていたので、案内。流山寺〔曹洞宗の寺院で江戸時代初期の創建。ながれやま七福神の大黒天を祀る〕で、局長が早速、賽銭を投げ入れ...(10:37)。駅ハイで吉祥寺、谷中、佐倉に続く今年4回目。「そんなに福が来ませんよ」と冷やかすと、「お前なぁ、気持ちだよ」と笑われましたが、明るい性格と健康なのが何よりです。
すぐそばの赤城神社〔江戸時代初期の創建。 新政府軍が仮本陣を境内裏に敷 いたといわれる〕は右折して突き当たり(10:41)。鳥居にかかる太い大注連縄は圧巻。長さ10m、重さ約600㎏もあるそうです。
その境内の脇が光明院〔真言宗豊山派の寺院〕で、小林一茶と親交があった 「白みりん」の開発者で繁栄した、秋元三左衛門〔俳号;双樹〕の菩提寺となっていて、秋元家の墓を墓参(10:50)。一茶と双樹の石の句碑も、読んで見ました。
一茶双樹記念館へ行く道の向かい側に、杜のアトリエ黎明があり、ちょうど「新選組150年と新選 組流山隊結成10年の歩み」が開催されていて、入場無料なので入館(10:55)。新選組の写真・資料、旗など、新選組関連グッズが展示・販売されていました。
傍に一茶双樹記念館〔二人の資料を展示、特 典で50円で入館〕幕末 に造られた離れと庭園も古風で散策(11:02)。また、局長と副長は、投句広場で俳句を自由に創作できるとあって、お茶の間にあがって、真剣に。ハトちゃんは、トークは得意ですが、投句は苦手? 2人のできばえは? 季語の「菜の花や」で始めた句は、息があったというか、単純というか大笑い。
その先の長流寺〔浄土宗の寺院で開創は江戸時代初期。七福神の恵比寿天を祀る〕にも立ち寄りました(11:15)。大銀杏が目を瞠ります。
そこから、流山キッコーマンの広い工場を回る途中で、最近の工場見学では、試供品やビールや酒蔵では試飲もできる話で大盛り上がり。急な見学は、無理だろうと先を急ぎます。
次に、万華鏡ギャラリー見世蔵〔平成22年にギャラリーと観光情報発信のスポットとしてオープン。 建物は国登録有形文化財。また万華鏡作家の中里保子氏などの作品を展示販売している〕へ (11:30)。建物内に入って、江戸時代の珍しい万華鏡や体験コーナーでおもしろい写真を撮ったり、きらびやかな万華鏡の世界を堪能できました。かわいい新選組シールをいただきました。
その後は、再び江戸川土手へと―(11:41)。階段を上がると、先ほどの場所以上に菜の花が一 面に咲き誇っています。また、川の流れも大きくなり、取水口もあり、左手の草原にも降りられませんが、黄色く染まって、絨毯の真ん中を歩く感じ。「矢河原(やっから)の渡し跡」の標識があり、新選組局長近藤勇が板橋に護送されたときに渡ったとのこと。渡し跡を過ぎ て、副長が後方に東京スカイツリーを発見。さらに先へと歩を進めて行くと、海抜29mの看板があり、階段を降りて、水色の橋を渡ります。そのまま、交通量が多くなる流山街道へ。
今度は、南流山駅方向へと南下。左手に図書館、博物館の案内が。坂を登った先に、 流山市立博 物館(12:17)。入館無料なので、トイレ休憩も兼ねて、館内を見学。流山の縄文時代から現代までの生活用品や資料など。また、新選組の関係資料展示と「近藤勇と土方歳三 離別までの90日」が開催されていました。
元の流山街道に戻って、次の信号「流山一丁目」で 右に横断して浅間 神社〔創建は江戸時代初期〕へ(12:32)。裏に富士塚があり、ユニフォーム姿のガイドさんが説明してくれました。
続いて、閻魔堂〔地獄の主で、冥界の王・総司として死者の生 前の罪を裁く。本堂ににらみつける像あり〕(12:38)。ガイドさんが、かなり詳しく説明。江戸時代の義賊 金子市の丞と、その横に遊女三千歳(みちとせ)の墓がありました(10:42)。局長は、名前が同音の「かねこ」だったので念入りに墓参。
その先の近藤勇陣屋跡〔 1868(慶応4)年、鳥羽・伏見 の戦いで敗れて、流山に入った新選組本陣跡〕でも前のウォーカーたちが説明に聞き入ったいました。外観のみ見学(12:44)。
ここで、ちょっとハトちゃんから「流鉄流山線の車両を見ま せんか」という提案をして、寄り道。跨線橋から眺めると、黄緑と赤の2車体が停車中。探究心旺盛な副長が「どこから流山駅まで来ているのか」と...。
線路に沿って進んで、終点の流山駅へ(12:52)。駅構内での表示で「馬橋駅」からだとわかり、納得。駅前ロータリーは狭い。またコースに戻って、後はひたすら流山街道を南下し続けます。
先ほど見た、赤城神社の裏手に見えた、黄色い建物「ケーズ電気」横も通って、行きの道を一本隔てて戻りながらのウォーク。車とあたりのビルや商店を見ながらの単調な眺め。やはり、オジン組には、花〔華〕が無い?とつまらない。すでに、午後1時をまわってお腹がぐうぐうと...。
2kmほど歩いて、武蔵野線のガード手前を左折し、高架に沿って歩き、南流山9号公園を過ぎて、ガードをくぐり、南流山7号公園から左折し、住宅街を抜けて行きます。朝会った女性ウォーカーとは、行く行く場所で前後して、最後にはほとんど同じ時間で歩くことになりました。
〔写真 オジン組一番隊 左から髭で威厳のある近藤局長こと兼子さん、真ん中が美男薄幸の沖田ことハトちゃん、堅実で頼りがいのある土方副長こと遠藤さん〕
300mほどで、おじん組も遅れて駅へ到着(13:27)。カードチェックのため、駅へ寄るも機械が無い。後で「駅ハイパンフレット」を見ると、本コースだけゴール省略。
コース作成者に敬意を表する局長は、不満顔。確かに、チェックが無いと、ズルして歩かない人やショートカットが頻繁に出るかも知れません。
やっと納得して、小生が割引券を持参していたファミリーレストラン「ガスト」で、やっと昼食にありつき、次回と次々回の日程と、昔の人事話でいつの間にか2時間近くもしゃべくって(喋&食って)しまいました。
「南流山駅開業40周年」という記念のウォーキングで、江戸川沿いの黄色い絨毯と新緑&歴史を感じる一日となりました。局長から「3月の上野駅から東京スカイツリー(都会の雑踏)より良かった」と思ったのは、3人とも共通だったようです。
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