「ゆうほ21」 で神宮外苑から乃木坂・赤坂を歩く

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10月18日(火)、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の市外ウォークで、「神宮外苑から乃木坂・赤坂」をウォーキングしました。

「船橋西武」前に集まった、神田先生を含む14名は、JR総武緩行線で「信濃町」駅に到着。駅前スタートは10時10分。

まずは神宮外苑〔広い敷地には各種スポーツ施設や文化施設が点在〕内へとDSC04655.JPG向かい、絵画館へ(10:12)。ハトチャンは、以前勤務していたH大学の優勝パレードで、何回か来 たことがあり、またプロ野球ヤクルトスワローズの本拠地がある神宮球場へも観戦で足を運んだことがあります。

 

今回は、神田先生の案内で、聖徳記念絵画館内へ。外観は良く観ていましたが DSC04664.JPG DSC04669.JPG、入館できるとは思っても見ませんでした。協力金500円を渡して、館内へ。明治天皇・昭憲皇太后の業績を後世に残すため、1926(大正15)年に竣工。縦3m、横2mの壁画〔日本画・洋画各40点〕が年代順に展示。歴史的光景を当時の一流画家により描写。壁画ゆかりの団体や個人から寄贈。

幕末から明治の歴史が、絵画から十分に理解でき、絵の前には人物紹介やコメントがあり、貴重な美術鑑賞と歴史の勉強になりました。

 

ここで、約1時間ほど費やしたので、前の広場(11:40)で、早お昼に。グラウンドで練習したり、のんびり散歩している人たち、観光客などを見ながらの昼食。ゆったりした空間は、敷地が広いせいです。

 

昼食後、絵画館でもらったチラシの裏にある「史跡でたどる、明治」で、まず名木「ひとつばた(俗 DSC04681.JPG DSC04685.JPG DSC04695.JPG名、なんじゃもんじゃ)」を(11:40)。現在は二代目となっています。葬場殿址〔明治天皇の葬場殿の跡〕、樺太日露国境天測点〔樺太の南が日本領土となった境界を示す標石で、菊の模様。現在あるかは不明とのこと〕、御鷹の松〔徳川家光の愛鷹が松の木に止まったことから由来〕、建国記念文庫〔建国記念日を制定する際、数十万通の制定希望意見書がガラス越しに保管されている〕、御観兵榎、最後にイチョウ並木の入口で明治神宮外苑之記〔石碑に外苑造営の由来と施設の大要が記されている〕(12:49)を順次、観て回りました。

有名なイチョウ並木は、まだ黄葉には早かったのですが、脇にお洒落なデッキのあるカフェが...。

 

すぐに、青山通りを右折し直進すると、青山霊園(12:58)。管理事務所で有DSC04701.JPG名人が眠る墓地マップをもらい、時間の関係で、本日は乃木希典将軍ご夫妻(明治天皇御大葬日に 殉死)の墓に。小生は、1週間前に青山霊園内を駅ハイで歩いたのですが、そのときは通り過ぎただけ。

お花見の時期に、ゆっくり桜並木を観ながら、また歩きたいポイントです。

トンネル脇(13:30)を抜けて坂を下り、政策研究大学院大学の横を通ると、国立新美術館。その先の十字路を渡って、六本木ミッドタウンの遊歩道へ DSC04709.JPG DSC04714.JPG(13:46)。ここで歌手のスマップのK君が酒に酔って、全裸で騒いだ事件があったとかの話題も...。

親水公園や芝生、樹木があり、本日は途中までで引き返しました。「ここは、デートコースなので、次回、誰かさんとどうぞ」という先生の言葉に、一同大笑い。

 

元の道に引き返して、右折し乃木坂・赤坂方面へ〔左折すると、六本木ヒルズ方面〕。東京メトロ DSC04725.JPGDSC04728.JPG乃木坂」駅前の旧乃木邸〔邸内の拝観は、9月12,13日のみ〕と馬小屋のある、乃木公園を散策(14:00)。乃木神社にも参拝して、境内の宝物殿で、乃木将軍の勇姿の写真や殉死の際の刀・小刀、遺品(書、壺など)を観ました。また、自然保護のため、屋根から突き出ている大イチョウなども。

今でも年配の人から信頼の厚い、乃木将軍の生き様を垣間見ることができました。

 

次に、赤坂小学校を右折して、高橋是清翁公園へ(14:33)。屋敷跡が公園になっていて、公園の DSC04735.JPG DSC04738.JPG中央に、2・26事件で暗殺された、高橋是清 蔵相の石像と石灯篭が置かれていました。庭園見学はカット。ここで、中村会長の誕生日祝いをやることに、急遽、決定。

 

公園を出て、しばらく歩くと、前方にうっそうとした雑木林が見えて来ました。赤坂離宮で、ここには東宮御所があり、秋篠宮様ご家族が住んでおられる所として有名。青山通りに出て右折し、見附方面に向かうと、途中、自転車のウインドー前で、会長がやっぱり立ち止まってポー DSC04739.JPGズ。草月会館〔アートスポットや草月ホール(コンサート・演劇など)〕の入口横の定礎の石には「草月」の文字が...。

その先の赤坂コミュニティぷらざ(14:42)の4階レストランで、誕生日の乾杯と「ハッピー・バースデー」の合唱に赤ら顔で照れまくる中村会長。終始、和やかな雰囲気で、窓越しに赤坂離宮を一望できました。

 

最後のポイントは、豊川稲荷(15:29)で、江戸時代の名奉行で知られた北町奉行の大岡越前守 DSC04746.JPG忠相が、領地三河に古くから伝わる円福山妙厳寺の鎮守・ダ枳尼天を深く崇敬し、忠相の子孫が1828(文政11)年に赤坂一ツ木の下屋敷内に勧請したのが始まり。境内には真っ赤な幟が所狭しと並んでいます。本堂脇の一対の狐の石像も立派でした。

 

東京メトロ「赤坂見附」駅まで皆で歩いて、そこで解散(15:45)。

いつものことですが、先生を除いて、交通機関にうといメンバーなので、サークルの便利屋 Kさんが携帯で、料金が安くて早く着く電車を調べてくれて、一同まとまって帰りました。おかげで、早く帰宅できて、洗濯物をとりこみ、夕食の準備ができました。

約6kmと、いつもより短い歩行距離でしたが、乃木坂、赤坂というように坂も多く、くたびれました。

明治から昭和にかけての歴史や文化、古き良き時代に触れることができたウォークでした。

 

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このページは、hatochanが2011年10月21日 13:57に書いたブログ記事です。

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