2月10日(火)、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の月一の市外ウォークで、「内藤新宿の歴史を訪ねて歩く」をに参加。
============================================
〔コース〕
スタート 市ヶ谷駅→新宿歴史博物館→愛染院→西念寺→戒行寺→須賀神社→本性寺→お岩稲荷→消防博物館→笹寺→四谷大木戸跡→新宿御苑→太宗寺→ゴール 都営新宿線・新宿三丁目駅
京成線京成船橋駅構内に9時30分に集まった、神田先生を含む18名は、その まま、京成八幡で、都営新宿線に乗り換え、市ヶ谷駅へ。ここは、ハトちゃんが、以前勤務していたH大学のキャンパスがあって、駅前の釣堀越しに、大学のボアソナードタワーが聳え立っていて、ホームグラウンドに来た感じ。
スタートは10時33分。駅前の商店街は、新しい店になったところもありますが、懐かしい雰囲気。
まずは、外堀通り沿いの市谷亀岡八幡神社前へ。この神社の石段は急で、以前、大学の広報紙 で、小生が写真を撮って紹介した場所。神社横には、駿台予備校の市ヶ谷校があり、予備校生の往来が多い。八幡神社前から靖国通りを進みます。
グランドホテル前を通って、防衛省前を抜けて、中大市ヶ谷キャンパスの校舎が右手前方に...。
大学校舎前を左に上って行きます。津の守坂通りの左手少し入ったところに、シルバーで大きな手のようにも見える特徴的オブジェが見えて来ます。
ここは、新宿歴史博物館〔1989(平成元)年に設立。新宿区生涯学習財団が運営。旧石器時代から続く 人々の営み、時代順に新宿区にとって画期的な意味を持つ時代・事象を6つのコーナーに分類・展示〕。常設展の他に、写真展「新宿・昭和50-60年代〈昭和〉の終わりの新宿風景」を開催中。こちらは、ハトちゃんの地元の近く佐倉にある「れきはく」の小型版。
入館すると、地下1階の常設展示室には、 江戸時代の内藤新宿のジオラマや、実物大に再現されている昭和初期の住宅や生活用品が置いてあり、レトロな雰囲気に。また、新宿区に縁の深い文化人コーナーでは、夏目漱石、小泉八雲、坪内逍遥などの資料が展示 されていました。
館内にあった作品で、光を集めて、パワーを集めている様に見えるものと、玄関前のオブジェは、 久保田晴彦氏(彫刻家)によります。
続いて、早めのお昼。案内役の先生の弟子ともいえる方の「魚亭 かみや」の和食。注文から食事の出て来るまで時間がかかりましたが、その間、5つの席に分かれて、和気藹々と四方山話ができました。
昼食後は、まだ、全体(約6km)の1/4しか歩いていなかったので、気合を入れ直して、合羽坂から外苑東通りを横断し、地下鉄曙橋駅を過ぎて靖国通りを左折。
荒木町の交差点も直進。間もなく四谷三丁目で、交通量の多い、歩道幅も広い新宿通りへ。
いったん、四ツ谷駅方面に向かって左折し、四谷二丁目の信号を横断して直進。前方に、須賀神社の長い石段が見えます。
東 福院坂を下って、途中まで直進し、左手の愛染院〔真言宗の寺院で、内藤新宿開設の初代の名 主である高松喜六と、塙 保己一〔江戸時代中期の盲目の国文学者〕の墓を見学。墓群の出入口には、鍵がかかっていますが、開閉はできます。
墓参後は、細い道を回りこんで、西念寺〔家康の譜代家臣で徳川十六神将に数えられる服部正成(半蔵)が開基した寺。半蔵の菩提寺であり、 正成をはじめ服部一族の墳墓が存在する。また、正成が守役を務めた徳川家康の長男・信康のために彼が建てたとされる供養塔が現存している;本堂右に半蔵の墓、愛用の槍(長さが258cm)も保存されている〕へ。
墓参後、半蔵が家康の長男信康の切腹時の介錯ができなかったで、信康に温情を感じて菩提を弔う供養の五輪塔が立っていました。
また、伊賀の忍者である半蔵にちなみ、2.22(にんじゃ)の日が特別供養の日になっています。
戒行寺〔日蓮宗;火付盗賊改方長官の長谷川平蔵の菩提寺。「長谷川平蔵宣以供養 碑」が建っていますが、葬られた墓は無し〕へ。
続いて、石段を上るものだった思っていた須賀神社へも坂を上らずにたどり着けました。さすが、先生は道に詳しい。ここで、メンバーから、『マップがあっても、次回は同じコースを歩けない』という弱気の声も聞かれました。確かに、下見をしたり、何度か間違わないと道は覚えないですよネ!
右手に、須賀神社〔本殿は1819(文政2)年の造営。四谷十八ヵ町の鎮守様〕。
社殿は荘厳華麗な建築物で、社殿天井に三十六歌仙の絵〔1836(天保7)年完成〕が9枚ずつ四方に掲げられているのが見えました。また、境内横には天井の絵の写真が三十六歌仙(歌と作者)がわかるように飾られています。
続いては、すぐ近くにある本性寺〔日蓮宗;1670(寛文10)年に建立。松戸本土寺の末寺〕へ。門 の横には「毘沙門天」家康が伊達氏を牽制する意味で、北向きに安置したそうです。
境内の松に、なぜか雀の大群が集まって、うるさく鳴いていました。付近に、大きな木々が少ないことに影響されているのでしょうか? 身を隠すのに安全なのでしょうか? 松に集まるのを初めて見ました。
さらに、鶴屋南北の「東京四谷怪談」のモデル・お岩と田宮伊右衛門が信仰していたという田宮家屋敷の稲荷社が起源で、明治になって、於岩稲荷 田宮神社(お岩稲荷と呼ばれる)へ。
実際の夫婦は、話とは間逆で、仲が良かったそうです。また、神社のまわりの石柱には、歌舞伎座や芸術座、役者などの名前が刻まれていて、「四谷怪談」の上演前には、お参りが慣習になっているそうです。
その後、外苑東通りを四谷三丁目方面に戻ると、交差点に四谷消防署・東京消防庁の消防博物館のある兼用ビルへ。
消防博物館 〔江戸時代から現代までの消防のあゆみを歴史的史料や模型、映像でわかりやすく紹介しています。本物の消防クラシックカーや消防ヘリコプターも展示。 江戸時代に描かれた絵巻や錦絵、大正から昭和にかけての消防クラシックカー、最新の消防隊の装備など、消防に関するさまざまなものも展示〕は無料なので、しばしメンバーは入館して見学。
まず地下1階と1階は吹き抜けでつながっていて、10台くらいの消防車、救急車、消防ヘリがずらっと展示されています。また、ハシゴ車もハシゴが吹き抜けの上まで延びていて、名車が目を惹きます。
この博物館は、なんと地下1階から7階まで展示スペース(一部閉鎖中と、消防署の
階あり。10階には展望&休憩室もあって広大です。回ってみると展示の質が高くて、数量も多い。ジオラマ、映像、実物の消防車、ミニシアター、防災情報、クイズ、キッズコーナー、資料室、グッズ販売などなど、多彩。子供連れが結構いました。大人も子どもも楽しめます。
さらに、消防ヘリコプターでは、映像を見ながら操縦気分を味わえます。来館記念グッズももらえます。
しばし、ゆっくりした後で、またウォーク再開。
甲州街道を渡って笹寺〔1575(天正3)年、開山。家光が鷹狩りの際、立ち寄り笹寺と命名。1605(慶長10)年伊賀同心が一揆を起こした〕へ。
小生が2月3日の代々木・新宿界隈駅ハイで歩いたコースと同コースへ。甲州街道へ出て、新宿駅南口方面へ。
間もなく、左手に新宿御苑〔江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷があった 土地の一部が、明治に入り農事試験場を経て皇室の御料地となり、1906(明治39)年に完成した皇室庭園で、戦後一 般に開放。広さ58万3千㎡の敷地内には、日本庭園、フランス式整形庭園、イギリス風景式庭園が巧みにデザインされており、四季折々、楽しめる。春の桜や秋の紅葉も有名で都心のオアシスとして人々の憩いの場になっている〕の大木戸門前へ。
御苑の手前に、江戸に飲料水を供給していた玉川上水の水番所跡の大きな石碑と案内板その裏に四谷大木戸跡の碑。〔大木戸とは、江戸か ら地方に向かう主要街道に設けられた検問所で1616(元和2)年、開幕後に設けられた。大木戸の碑は、出土した玉川上水の石桶を利用して造られた〕。
御苑の外壁に沿って約600mほど、玉川上水・内藤新宿分水散歩道 〔2012(平成24)年完成〕が延びています。本日は、散歩道の出発点の確認のみ。
続いて、新宿通りへ出て、太宗寺〔1596(慶長元)年頃、僧・太宗が開いた草庵が前身。後に信州高遠内藤家の菩提寺となる〕へ。
かつての内藤新宿の宿場の仲町に位置していて、江戸への甲州街道の出入口に、安全祈願として の江戸六地蔵〔1番;品川寺(旧東海道)、2番;東禅寺(奥州街道)、3番太宗寺(甲州街道)、4番真性寺(旧中山道)、5番;霊巌寺(水戸街道)、6番永 代 寺(千葉街道)現存せず〕の一つ〔銅達地蔵菩薩〕が、約3mの高さで立っていました。
また、高層ビルの一角の割には、広い境内には、閻魔像や珍しい塩かけ地蔵もありました。また、小さい稲荷神社の狐一対の後ろに、生きている猫が両脇に2匹同様に座ってていたのにはビックリ。
ゴールは、5分ほどで都営新宿線「新宿三丁目」駅(15:23)へ出て、行きと同じルートで帰りました。
歩行距離は短かったものの、新宿の歴史と縁の寺社をめぐるウォークで、冬場としては天気も晴れて、気持ちの良いウォークに...。
コメントする