11月4日(火)は、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で「池尻から世田谷の緑道を歩き松陰神社へ(約7km)」を歩きました。
当日は雲一つない爽やかな秋晴れ。船橋西武前に集まった参加者は、先生を含め12名。先生がケガをされて9月26日以来のウォーク。
JR「船橋」9時41分発の横須賀線茅ヶ崎行に乗って、「新日本橋」で乗り換えて東京メトロ半蔵門線「三越前」へ。地下道を歩くも、距離が長くて、メンバーの一部から『疲れるー』 と早くも弱音。
やっと地下鉄に乗り、東急線と乗り入れてある「池尻大橋」駅へ。トイレを済ませて、早速、スタート(10:43)。
〔コース〕
スタート 東京メトロ半蔵門線・池尻大橋駅→見晴らし広場→北沢川緑道→北澤八幡神社→森巌寺→羽根木公園→松陰神社→烏山川緑道→世田谷城址公園→豪徳寺→ゴール 東急世田谷線・宮坂駅
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~改札口を上がると、目の前に首都高速道路と高架下の玉川通りへ。車の往来が激しく、さすが都心で騒音がうるさい。
神田先生の計らいで、通りの反対側に出て、前回、雨で展望できなかった 目黒天空庭園に立ち寄ることに。
大橋図書館がある庭園上部の終点(タワー9階)まで、エレベーターに全員乗っ て上がります。昨年3月に開園した目黒天空庭園へ。首都高速中央環状線と3号線を結ぶジャンクションの上に回遊式の天空庭園が広がっています。
クロスエアータワーから眺める景色は、 晴天で、富士山も観えました。帰りは憩い・交 流広場などを見ながら、階段またはスロープを下りて行きます。庭園内には「十の庭」が回るように配置されています。庭園の手入れや花はいまいち。管理棟に寄って、チラシをもらいました。
帰りは、エ レベーターを利用して2階から地上へ出てオーバスブリッジ (国道246号線)に出て、
最初のポイント、見晴らし広場へと向かいます。
階段を上って、鉄扉を開けて中に入ると、習志野市大久保にある騎兵第一連隊の石碑がありました。こんな場所を知っているのは先生 ぐらい。ほとんどのウォーカーは見落とします。習志野市に来る前は、駐屯地がここにあったそう です。
右折して間もなく、北沢川緑道へ。
緑道には、潅木や雑木類が植えられて、四季の花々が植えられていて、人工の小川も流れています。女性たちは、花の名前を言ったりして、ゆっくりと遊歩道を.. .。
途中で、いったん、緑道を離れて、北澤八幡神社〔室町時代中期の文明年間(1469~84)に世田谷城主の吉良家によって創建 された〕へ。社殿左前に、立派なイチョウの木があ り、ぎんなんの落ちた跡が...拝殿は比較的新しいものでした。
続いて、同じ通りの森厳寺〔浄土宗;京都知恩院の末寺。16 08(慶長13)年、徳川家康の次男結城秀康公の位牌所として建立された。建物に三葉葵の紋所が見られる〕へ。
境内には、門扉に葵御紋が飾られていて、この紋所が目に 入らぬかという感じ。樹齢400年の大イチョウが一対と、江戸時代から灸と針供養、富士講で名高い淡島神社淡島堂があり、「淡島の灸の森巌寺」として、参詣されています。本堂内に鎮座している閻魔様と不動様を参拝。
茶沢通りを左折すると、また北沢川緑道へと。今度は右折して緑道を歩き ます。600mほど先に、環状7号線へ出ます。閑静なところから車の往来が激しい道路に出て、宮前橋の信号 を横断して、また右に行くと、間もなく緑道へと戻ります。
緑道を直進して小田急電鉄の高架下を越えると、左側に「梅ヶ丘」駅。
北口駅前を抜けて、間もなくこんもりとした林の丘が、羽根木公園〔以前は六郎治山とか根津山と呼ばれていた。梅林に は梅の木が約650本植えられている。桜の名所でもある。子どもたちが遊びを工夫し、自由気ままに遊べるプレーパークも設けられている〕到着(12:17)。
園内には、立派な梅林が並んでいます。梅が咲いた頃に、ぜひ訪れたい地です。
丘の頂上に広場とベンチがあり、やっと昼食にありつきました。黄葉の横で、和気藹々と3箇所に分かれて、談義。30分ほど休憩した後、住宅街を南下して松陰神社へと向かいます。
1kmほどで、国士舘中・高校が見えて来て、手前の道を左折します。ぐるっとまわるように歩いて行くと、松陰神社〔1882(明治15)年創立。幕末の思想家・教育者である吉田松陰を祭
神とする神社。松陰の墓所があり、学問の神様として崇敬を受けている〕へ。
2015年のNHK大河ドラマの「花燃ゆ」の主人公 吉田松陰の妹・文が火付け役になって、参拝者がどっと増えることでしょう。
境内には、松下村塾を模した建物や松陰の像・墓もあって、墓参しました。
その後、烏山川緑道を通って、世田谷城址公園〔1940(昭和15)年に開園。 区内唯一の「歴史公園」で「東京都指定文化財」。世田谷城は、初代吉良氏が南北朝時代、関東管領・足利基氏から武蔵国世田谷領をもらいうけて築城したのが始まりで、200年以上、居城として栄え、吉良御所、世田谷御所と呼ばれた。1590(天正18)年豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼしたとき、吉良氏も滅亡し廃城〕へ。
公園内には、昔のおもかげを残す土塁や丘、谷があり、樹木に覆われて自然豊かな公園になっていて、世田谷百景にも選ばれています。
最後に、豪徳寺〔曹洞宗;世田谷城主の吉良氏が 創建、江 戸時代に井伊家の所領となり、井伊家の菩提寺になる。また、「招猫観音」を祀り、招福猫児(豪徳寺では、まねぎねこ)を祀る「招猫殿」を置く。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている〕へ。
立ち寄って、境内を参拝。素木の三重塔はなかなか風情がありました。本堂の屋根のそり方も特徴的。安政の大獄で捕まり、殺された吉田松陰の墓の近くに、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓があるのも因縁めいています。
招き猫発祥の地とする説もあるくらいで、井伊直 孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという言い伝えがあるそうです。
大小合わせて200匹あまりの猫が飾られていて、販売もしています。お正月には、猫があふれるほどいっぱいになるそうです。招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫で、とても愛嬌がありました。
豪徳寺から宮坂駅までは徒歩2分で、ゴール(14:10)。
帰りは、東急世田谷線「宮坂」駅から、2両の目立つ色彩の世田谷線に乗って、「下高井戸」に出て、降り てすぐ、京王線「下高井戸」から直通の都営新宿線で「本八幡」駅まで。
あとは、京成本線と中央・総武線に別れて、それぞれ家路に着きました。
7kmは優に超えたウォークでしたが、天気が良かったのと、寺社をめぐって、歴史のロマンをふり返ることができたウォークでした。何より、案内役の神田先生の元気な姿に、サークル員一同、ホッと一安心しました。
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