ちょっと風邪気味で、体調はいまいちのハトちゃん。
それでも、秋晴れの暖かい日差しの中、JR 駅ハイで11月14日(金)本日から始まった期間設定コース西日暮里駅~谷根千~西日暮里駅 「開成学園俳句部プロデュース 下町情緒が溢れる谷根千とアカデミックな東京を歩く(約8km)」に参加。
大手町乗り換え、東京メトロ千代田線で西日暮里駅へ。昨年11月にも間違えましたが、地下鉄とJR出口への乗換えが難しく、またもJRのホーム下に出てしまい、駅員に話して suica を直して、出してもらいました。
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〔コース〕
スタート 西日暮里駅→富士見坂→寛永寺→上野恩賜公園→旧岩崎邸庭園→根津神社→全生庵→谷中商店街→よみせ通り商店街 →開成学園→ゴール 西日暮里駅
10時半過ぎにスタート。駅で動揺したのか、マップを見て歩いたのに勘違いして、開成学園のある広い通りへ。おかしいと思って、一度、駅に戻って仕切り直し。駅に戻る際、2人のマップを持ったウォーカーと出会いました。
駅員に聞くと、受付後、すぐ左折して線路に沿って、細い上り坂を進むとのこと。受付には、初日で駅員さんが多くいましたが、坂の下で案内をしてくれたら他のウォーカーも間違えなかったと思います。
坂を上りきって間もなく、右手に石畳の趣きのある下る坂(富士見坂、由来は富士山が望めたことから、各地でも多い坂の名称)があり、女性ウォーカー4人組は、情緒があると言って、コースを変更して下って行きました。
間もなく、左手に、日暮里駅への近道。右側は、谷中商店街〔庶民 感覚のお店が並んでいて、激安のお店も。お店を見るのに歩道が狭く買物がしやすく、下町の活気と人情が感じられて、昭和世代のハトちゃんには大変愛着のある商店街〕が 階段下に見える夕焼けだんだん。
コースマップどおりに進むと、この界隈が寺町になっていて、お寺が続いています。また左方に広がる谷中霊園。途中、前からガイドさんと一緒の団体さんが...。
台東区立朝倉彫塑館〔2013(平成25)年10月にリニューアルオープン。明治から昭和の日本彫塑 界をリードした朝倉文夫のアトリエ兼住居だった建物を現在は美術館として公開。かつては「朝倉彫塑塾」と命名され、弟子の育成などが行われていた。自らが設計した建物は様々な工夫が凝らされており、建物が国登録有形文化財に、中庭と屋上庭園が旧朝倉文夫氏庭園として国の名勝に指定されている。彫塑とは、対象を彫り削る彫刻と粘土などで造形する塑造を合わせた言葉〕前へ。
一緒に、説明を聞きました。その後、直進して、上野桜木の交差点へ。
左に、下町風俗資料館付設展示場―旧吉田屋酒店〔明治43年に建 てられ、1986(昭和61)年まで 谷中6丁目で営業していた「吉田屋酒店」を移築した展示場。前土間、揚戸の出入口 など江戸商家の建築様式を伝える貴重な建物で、歴史を伝える商家建築。腕木より軒桁が張り出している出桁造で、また正面入口には板戸と格子戸の上げ下げで開閉する揚戸が設けられている。屋内には、秤・漏斗(じょうご)・枡・樽・徳利・宣伝用ポスターや看板など酒類の販売に用いる道具や商いに関する資料を展示。また、観光パンフなどが置いてある〕 があり、資料をいただきました。
また、右には、カヤバ珈琲〔1、2階とも、二方に出桁造の軒をまわす姿が特徴的な町家型の建物は、 東から谷中に入る際のランドマークとなっている。 大正5年(推定)の建設以降、ミルクホール、かき氷・あんみつ店などを経て1938(昭和13)年に「カヤバ珈琲店」となり、 谷中のシンボルとなっている〕。
左折して、浄妙院の江戸六地蔵の一つが墓地越しに見えました。
角を右に曲がると、長い塀があり、寛永寺〔天台宗の寺。1625 (寛永2)年、天海が幕府の命により創建。比叡山が京都の鬼門(北東)にあたるのに対して、寛永寺は江戸の鬼門にあたり東叡山と号して、江戸城鎮護と国家安穏長久を祈願した。1698(元禄11)年に建立された根元中堂は、戊辰戦争で焼失。明治12年に川越喜多院本地堂を移築したもの。
江戸期には、将軍家の菩提寺として、現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内である。最盛期には、今の上野公園の2倍の面積の寺地を有していた。たとえば、現在の東京国立博物館の敷地は寛永寺本坊跡であり、博物館南側の大噴水広場は、根本中堂のあったところである。また、幕末から明治への変革期、大正・昭和の歴史を物語る際、上野寛永寺はその中心にあった。未公開の徳川6人の将軍霊廟もある〕に寄りました。
門扉に徳川葵の金色の紋と、各諸堂は、将軍家の菩提寺ということもあり、立派な造り。
ちょうど、根本中堂前で地元幼稚園生徒の七五三の記念撮影にぶつかりました。
その後、 工事中の国際子ども図書館〔国立国会図書館の児童書専門図書館。明治39年に帝国図 書館として建てられた明治期ルネサンス様式の建物〕前を通って、すぐ先の 黒田清輝(近代洋画の父・「湖畔」が代表作)記念館も外観のみ。赤レンガの外装は趣きがあります。
その先の右手角に、旧博物館動物園駅(閉鎖中)横を横断して、上野恩賜公園へ。
園内に入ると、平日でも多くの人が歩いていて、旧東京音楽学校奏楽堂〔国重 要文化財;1890(明治23)年、旧東京音楽学校・現東京芸術大学の講堂兼音楽ホールとして建てられる。日本最古の洋式音楽ホールとして木造総2階建、1階に資料や写真展示、2階が音楽ホール(かまぼこ型天井、パイプオルガン)。1987(昭和62)年に現在地に移築保存〕横を通過。
大噴水広場前には、ベンチなどでくつろぐ人たちがいっぱいいました。園内の紅葉もこのところの寒さでだいぶ色づいていました。
続いて、公園の南側にある東叡山
寛永寺清水観音堂の舞台へ。 脇の階段を下りて、横断。不忍池(しのばず の池)へ。
中の島にある弁天堂(「江戸最古の」谷中七福神弁財天)へ。
正面を進んで、広い池の中央部分 へ。池は、枯れた蓮の茎で覆われています。 弁天堂の外装 は赤を中心にきらびやか。鯉や鴨が池で泳いでいました。 池のほとりにふぐの墓碑やめがねの碑、駅伝発祥の記念碑などもあります。
その後、コースは左折して、旧岩崎邸庭園方面でしたが、先日、首 都圏公園スタンプラリーで庭園内を見学していたので、ボート乗り場受付の右側の道を初めて通って、不忍通りへ。こちらは、枯れた蓮の茎が少なくて、なかなかのビューポイントがありました。
不忍通りに出て右に曲がって、約1km先の根津神社入口から左折して、日本医科大学大学院の横に立派な鳥居の
根津神社〔約2千年前に日本武尊により建立されたもので、その後江戸時代には、将軍家の徳川家
に庇護され、6代将軍家宣の産土神として手厚く保護され、現在に至っている。
根津神社は、絢爛豪華な社殿等とツツジで有名。境内に、楼門、唐門、透塀、社殿が点在している。
特徴的なのは社殿が本殿と拝殿が連なった造りになっている。屋根の瓦に卍が彫られていて、神仏混合建物ならではのもの。社殿、唐門及び透塀は重要文化財に指定されている〕へ。
紅葉ももう少しで見頃になるところで、七五三詣の家族連れが来ていました。
参拝後、社殿裏に出ます。境内には神社や稲荷などが数社ありました。
不忍通りを谷中・千駄木方面へ。途中、千駄木の団子坂下からゆるやかな団子坂を上ると、左手に ある全生庵へ。
右手前には、創立112年の谷中小学校。校舎前には、「大名時計博物館」にある大名時計を 模した大きな和時計が立っています。
全生庵は、明治の思想家・政治家山岡鉄舟が幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩 提を弔うために明治16年に建立。鉄舟の墓所と、居士との因縁で落語家の三遊亭円朝の墓所があり、円朝遣愛の幽霊画五十幅 明治大正名筆の観音画百幅が所蔵されています。
本堂裏手の墓所に行く右手前に、金色の観音菩薩が立っています。山岡鉄舟の墓は奥にあって、なかなか立派でした。
コースは、谷中銀座商店街、よみせ通り商店街を経て、西日 暮里駅でゴールでしたが、体調がすぐれないのと、両商店街は2回訪れて様子がわかっていたので、元来た道を戻ります。
両側に柳が続く道には、 老舗の店が数軒あって、レトロな雰囲気が...。
本日は、団子坂下の交差点角の東京メトロ千代田線「千駄木」駅をゴールとしました。
何度か駅ハイやサークルで歩いたコースで知っていたので、無理をせずに歩行距離は約6kmと軽めでしたが、一応、谷根千と上野恩賜公園とをめぐった、盛りだくさんのウォークとなりました。
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