夏休みで8月のウォークがお休みになり、9月はじめての市外ウォーク。
天候は、猛暑が過ぎて秋らしくはなって来たものの、局地的豪雨(四国や広島など)があって大きな被害が出て、このところ不安定な雲行き。
それと、東京都の代々木公園などで蚊に刺されて発症したデング熱が広がったりで、本日(9/9)船橋西武前に集まったのは、今年、最も少ない先生を含む12名が参加。
今回のコースは、「横浜・三渓園と本牧周辺の公園を歩く(約7km)」。
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JR「船橋」9時41分発の横須賀線茅ヶ崎行に乗って、「横浜」で乗り換えて根岸線で3つ目の「山手」駅に約1時間かけて到着。トイレを済ませて、早速、スタート(10:52)。気温が2、3日前に比べると上昇するも北風が吹いてさわやかなウォーク日和。
まず駅前から、神田先生の案内で、いきなり石の階段を上ります。結構、上ってやっと平らな場所 へ。地名が「本牧緑ケ丘」となっていました。メンバーは『周辺の住民は、駅に出るのに大変だね』『足腰が鍛えられるね』 とも。
住宅街の合い間から、下方の市街地が良く見えて、かなり上っていることがわかります。
YC&AC通りを右手に曲がって、住宅街、YC&ACグラウンド、YC&ACテニスコート(ラリー等で練習中)を抜けて、幾分、上り坂の道を車に注 意して進んで行きます。
本牧荒井を過ぎて、そのまま真っ直ぐ進むと、本牧山頂公園の出入口へ。
ここでいったん給水とトイレ休憩。
休憩後、公園内の本牧荒井の丘を上って、今度はつづれ折れ坂をくねくねと下ります。途中に、大きなヒマラヤ杉やあたりの樹木を観賞し、和気藹々と話しながら先生の後について行きます。ハナミズキの日米移植記念碑がありました。アメリカ坂を横断。
途中、右手に、小さな畑がある「あそびの広場」では、お母さんたちが自然体験の姿も...。キャンプ場やさくら広場(大きなさくらの樹が多数あり、珍しい横に這ったような樹)もありました。
見晴らし山へは、ぐるっとまわるように上って、山頂から横浜市街地、港、ベイブリッジ、山下公園、ラ ンドマークタワー、目的地の三渓園などが一望できましたが、雲が垂れ込めていたので、東京スカイツリーは観えず。上からの眺めに、子どものように、はしゃいでいたメンバーも。年をとると 『あれ、それ、どこの』 とか、主語が出て来ない話題で大笑い。
また、ぐるっとまわって降りて来て、正午にはちょっと早かった(11:50)のですが、レストハウス(管理事務所)の中のテーブルとイスを利用できるかを尋ねて、OKだったので、 各人思い思いの弁当を広げます。
レストハウスは、小さなカフェになっていて、珍しい「たんぽぽコーヒー」「しそジュース」など、健康食品を安価に提供していて、多くのメンバーが注文。
30分ほど昼食休憩。休憩中に、9月からサークルの会長を推薦されたハトちゃんが挨拶。『今後も楽しいサークル活動の継続にご協力をお願いし、連絡網をしっかり作って、変更を必ずメンバーに徹底すること』を話しました。
昼食後は、であいの交差点を過ぎて、駐車場脇から和田山口から公園を出て、車の往来が多い本牧通りを横断して、本牧桜道を真っ直ぐ進みます。
途中に、「忍足」という珍しい表札が目につき、いろいろと読み方を話していると、メンバーの一人が「おしなり」と読むことを教えてくれました。
三渓園に向かう道の左手に、小さな鳥居があり、その奥に亀の子石が祀られています。亀の小石の上には、タワシがいっぱい置いてあり、何でも「タワシを借りて、喉を擦 ると百日咳が治り、3週間の願かけで治れば、タワシを倍にして返す慣わしがある」とのこと。
小生は、『だから亀の子タワシと呼ばれるんだ』と、新説を展開して自分だけで納得。
間もなく三渓園〔生糸貿易により財を成した実業家「原 富太郎(雅号・三溪)」によって、1902(明治35)年から造成が始められ、1908(明治41)年に外苑、1923(大正12)年に内苑が完成。広大な園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されている。当初、新進芸術家の育成と支援の場としても使用され、前田青邨の「御輿振り」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれている。その後、戦災により大被害を受けましたが、1953(昭和28)年、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、復旧し現在に至る 〕へ。
何と重要文化財が10棟、横浜市指定有形文化財が3棟もあります。
受付で入場料を払って、三渓園の中に入ります。入ってすぐ旧燈明寺三重塔を背景とした大池が広 がっています。手入れの行き届いた樹木、庭園が目に飛び込んで来ます。
順路に沿って、大池の周囲を歩いて行きます。
三溪園は、大きく分けて内苑と外苑に区分されています。
先にある茅葺屋根の「鶴翔閣(原三渓の旧住宅)」〔楽室棟、茶の間棟、客間棟から 構成されてい て、 上空から見た形が鶴が飛翔している姿を思わせることから、"鶴翔閣"と名づけられた〕を見学。広さは約290坪。今回は、外から広い玄関をガラス越しに観ました。
内苑に入ると、その後、まず重要文化財の臨春閣 〔1649(慶安2)年、紀州徳川家の初代藩主 徳 川頼宣が建築した紀ノ川沿いの数奇屋風書院造りの別荘〕があります。襖絵は狩野探幽、狩野安信などによって描かれているそうです。月見 団子を並べて十五夜を望む裏山をバックにした絶景場所に、先生が案内してくれて 、参加メンバーは大満足。
更に進むと、旧天瑞寺寿塔覆堂〔豊臣秀吉の母が病に臥せったとき、平癒祈願のため、京都大徳 寺内に天瑞寺を建築。1591(天正19)年に石造りの寿塔(長寿を祝って生存中に建てる墓)があります。みんなで寿塔の覆堂〔貴重な文化財、史跡等を風雨から保護するために、それらを覆うように建設された簡易な建築物〕のみ見学。こちらも重要文化財で、そりあがった屋根は、荘厳さを感じさせます。
次に坂を登って行くと、月華殿(内苑)〔1603(慶長8)年に京都伏見城内に建設された。大名が来城の際の控え室と伝わっている〕、奥には、原 三渓が建てた茶室と禅宗様建築の地蔵堂がありありました。また、天授院((内苑)があります。両方とも重要文化財。
さらに、重要文化財の聴秋閣も立ち寄りました。なかなか趣きのある建物で、雨戸がありません。
ようやく内苑を出て、外苑に戻りました。三渓園では一番新しく、1987(昭和6 2)年に移設された建物で、燈明寺本堂(重要文化財)を見学。
園内で女性メンバーの一人が、住んでいる千葉・習志野市の隣人と偶然出会ってビックリ。こんなこともあるんですね。
旧矢箆原家住宅(重要文化財)は、江戸時代後期に建築された飛騨。白川郷の合掌造りの家で、飛 騨三長者の「矢箆原家」の住宅で、1960(昭和35)年に移設されました。現存の合掌造りでは、最大級の建物で、屋内を見学。説明ガイドも付いていて、民具なども展示しています。習志野市の鴇田家を髣髴させる建物で、建物保存を兼ねて、未だに火を起こしていて、煙が立ち上っています。
その後、今度は三渓園でも一番存在感のある旧燈明寺三重塔を目指して山登りです。結構、険しい道を登ります。
途中、結構、薄暗くて怖い道もありましたが、最後に急な石段を百段以上登って、旧燈明寺三重塔に到着。小高い丘に建つ三重塔は、京都・木津川市の燈明寺の 境内にあったもので、建築は室町時代の1457(康正3)年築で関東では最古。三渓園のシンボル的存在で、形の整った塔でした。先ほど見学した本堂のそりたつ屋根の様子が上からはっきり見えました。
小生は、三重塔は遠くから観た方が、美しいと感じました。
展望台へ向かう道で、旧展望台のレンガが残っていた先に新しい展望台。
石油コンビナートが前に観えて、松の高木の間から横浜港方面を一望しました。ガイドさんの話では、文化財として自然保護指定を受けているので、高木を切れないそうです。
展望台の後、順路に沿って山道を下って、大池へと向か って歩いて行きます。下りて行く途中に、可憐なピンクの花をつけたホトトギスが咲いていました。
ようやく最初の大池の反対側に出て来ました。三渓園は、広さが17.5haもあり、日比谷公園と同じくらいの広さで、東京ドーム4個分だそうです。アップダウンが多くて、少々疲れました。
園内の広さ・重要文化財の多さにものすごく驚きました。この三渓園を造った「原三溪」はどれほどの金持ちだったのでしょうか?今の時代に、全国の需要文化財を集めて三渓園のような庭園を造るなんて不可能。ハトちゃんにとって、「三渓園は、関東では一番スケールの大きい庭園だ」ということが、初めてわかりました。ぜひ一度は、三渓園を観賞されることをお奨めします。
その後、三渓園の南口出口から園外に出て、横浜市の周辺の海が埋め立て造成された際に作られ た本牧市民公園を抜けます。中国江南様式の建物と蓮の池が続きます。左手に先ほど歩いた三渓園の丘が。切り立った崖に断層が表れて、ウォーキングコースは、昔の海だったところ。
また、坂を上って行き、 市民公園の展望場所から、再び横浜港やベイブリッジ、石油コンビナートを眺めて小休止。看板に先ほど歩いて来たところが、根岸湾で潮干狩りをしている当時の写真や説明書きが...。
八聖殿郷土資料館は、世界の八聖人(聖徳大子・弘法大師・親鸞・日蓮・釈迦・孔子・ソ クラテス・キリスト)の立像があるとのこと。今回は、遠方から屋根と建物の一部をチラ見したのみ。
細い階段を下って、市民公園前のバス停へ。始発(14:18)だったので、全員座れました。
横浜駅行きのバスに全員乗車して、約30分。料金は全区間一律220円と随分安く感じました。疲れているメンバーは眠っていましたが、小生は駅ハイで歩いた道を思い出しながら、バス停名を聞いて、懐かしい感じを持ちました。
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横浜駅ルミネ前で降りて、ルミネ内を通って、駅改札口へ。駅周辺を知っている先生の案内でなければ、わからないほどの迷路。
「横浜」駅から、全員習志野へ戻ることに。横須賀線の一番前に乗ったので、全員座って帰れました。ボックス型車両だった のでそれぞれに話が弾みます。
思いも寄らないアップダウンの多いコースで、ふくらはぎがパンパンに。
横浜は、港町方面は馴染みがありましたが、山手方面にもすばらしい見所があることを、新たに発見できた有意義なウォークでした。
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