2011年4月アーカイブ

ゴールデンウィークの2日目、4月30日(土)地元習志野市の実花公民館で、ウォーキング講座「リフレッシュウォーク」に初参加しました。公民館長の最初の挨拶中、今回申し込みの人気がすごくて、当日先着順30名がすぐ埋まってしまったほどの人気ぶりとのことでした。

講師は、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」のサークル顧問でもある、神田靖男先生(日本ウォーキング協会主任指導員)。ハトちゃんは、確実にこの講座に参加したかったので、電話での申し込みを避けて、申し込み当日の午前0時10分にFAXを送信して、受付セーフ。昨年のスポーツ振興協会のウォーキング教室(キャンセル待ち)の二の舞にならず、ほっと一安心。これは、JRの「駅からハイキング」でのネット申し込みで、東京都内の開催がすぐ埋まって、参加できない痛い経験が生きました。

本日は、オリエンテーションを兼ねて、先生から「ウォーキングの基礎」について、1時間半の大変役に立つ講義を聞きました。

最初に、公民館側の挨拶・講座スケジュール、講師、アシスタントの紹介。そして、これからの講座の親睦を深めるための参加者自己紹介。残念ながら「ゆうほ21」からの参加者はいなかったのですが、同じ町会の方が休憩時に声をかけてくれて、何やら役員時に面識があったようで安心しました。

先生の講義は、前にも一度だけ聞いたことがありましたが、ご自分の体験を通じて、地域活動の推進も積極的に手がけていて、市内の二つのサークルのほか、NHK文化センター講師でウォーキング指導、そして地元公民館のまとめ役を引き受けられていて、今年、70歳になるとは思えないほど、精力的に日常生活(ちなみに江戸時代のように、できるだけ交通機関を使わずに歩く)を送っています。現在は一日、平均4万歩、32kmを歩き続けていて、医者にかからずじまいだそうです。

 1.正しい歩き方  快適ウォーキングのためストレッチ体操(ウォーミグアップとクーリングオフ)。

              歩き方の基本はかかとから着地。足の運びは左右平行に歩く。胸を多少反ら

             して、腕のひじの角度を90度ぐらいで引く感じ。最初は、通常の歩数+1000

            歩から徐々にレベルアップ。

 2.地図の読み方 地図記号を覚える。距離:1/25000縮尺で4cmが1km。等高線で土地の勾配。

              地図は見るのではなく、読む

 3.正しい靴の履き方、選び方 靴に中敷きを引き、かかとで合わせてつま先立ちで紐を結ぶ。靴の

                    大きさは、中敷きでつま先1cmぐらい。歩き終わったら、中敷きをは

                    ずし靴に空気を。靴と足の一体化=疲れない。靴は夕方に買う

                    方がサイズが合わせやすい。

 4.ウォーキングを続けるために ①目的を持って歩く(例;好きなことと結びつける)

                      ②歩くためのグッズ(例;磁石―どの方角を歩いているか)を持つ

                     ③記録をつける(例;手帳に一日の歩数)

                     ④疲れをとるためのケアを行う(例;マッサージ)

 5.その他   朝方歩く場合は、起床後、水分と少しの糖分を。日中は、日焼け。また、夏は、熱中

          症に注意。夜、歩くときは交感神経が高ぶらないように、ゆっくりペースで。夏の平日

          にデパート(冷房中)内でレジ袋を両手に持って歩くのは、筋トレと合わせ一石二鳥。

本日の講義内容・資料をもう一度自分なりに振り返って、また、講座の皆さんと、次回からおしゃべりしながら歩けることを楽しみに、15時30分に公民館を出ました。

途中寄り道をしたところ、偶然にも、京成「実籾」駅前のスーパー前で、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」のサークルで、一番明るい性格の西本さんに声をかけられ、「ちょうど今、第1回のウォーキング講座の帰りだったこと」と「4月22日のコースと様子」を報告して、別れました。

それにしても、ウォーキング講座の帰りに、サークルの仲間に会えるとは。縁がありますネ。

明日(5月)からは、昨年に続き、「すすんで歩くまち習志野キャンペーン」も始まります。神田先生という、あまりにも高い目標・お手本がありますが、昨年以上の成績が残せるように、自分なりにウォーキングを頑張って行きたい。

 

大地震から1ヵ月半。明日29日から、ゴールデンウィーク(大型連休)が始まります。ちなみに、専門学校に通う娘は10連休で、うらやましい限りです。そういうハトちゃんも、定職に就いていないので、連休のありがたみを最近では忘れて来ています。今年は、3.11の東日本大震災があったために、東日本を中心に、自粛ムードの様相ですが、本日の東京ディズニー・シーや明日の東北新幹線の全線再開、プロ野球やサッカーJリーグの試合本拠地開催などのイベントも行われて、徐々に復興へのの兆しは見えて来ています。確かに、大地震、大津波、原発事故による放射能漏れ、節電など、被災者をはじめ多くの国民が深い傷を背負ったわけですが、どこかで元気な日本復活への転換点が必要です。

本来であれば、新緑で絶好の行楽シーズン。観光地は人の波で埋まるのでしょうが、被災後、ホテルや旅館のキャンセルは、この1ヵ月で56万人余り(フジテレビ・プライムニュースより)。東北への足が遠のくことは仕方の無いところです。東北というだけで、行楽地への落ち込みが予想されます。被災地では、復興計画や実施が急務でしょうが、いまだ住居地に戻れず目途も立たずに、避難し続けている人たちの不安や苦しみを思うと、いかばかりか、本当につらい思いに駆られます。

連日、福島原発事故のニュースを知るたびに、事故に対する対策をどれほど怠ってきたかを痛感せざるを得ません。東電側と避難住民との対話では、怒りをぶつけても解決しない現実。それよりも「一刻でも早く、安全な場所に戻ることを願う」やりとりを聞くたびに、自分がこういう立場になったらどうするか。.........。

しかし、日本に住んでいる以上、「がんばろう日本!」の合言葉で、全国民ができることを一歩ずつでも進めて行かなければなりません。しばらくは自粛ムードはやむを得ませんが、そろそろポジティブシンキングになって、迷いを捨てて行こうではありませんか?

やっと、ここ1、2日で大きな余震も収まって来ましたが、油断は禁物。日本が地震列島であることを忘れずに、日々の対応をやっていく必要があります。

最近のテレビ番組も通常に戻ってきて、お笑い番組も次々と放映されて来ています。こんなに苦しい日本が立ち直っていくためには、笑いが必要では?

歌や美術・博物館、音楽といった芸術部門の頑張りも、ひとかたならぬ勇気と希望を与えてくれます。

震災での鉱工業や自動車生産、農林水産業の下落、そして消費も震災による自粛ムードなどの影響で、日本経済も大変な状況になって来ています。みんなで知恵を出し合って、一丸となってこの難局を乗り切りましょう。

ゴールデンウィーク中のイベントや観光など、明るいムード作りで、遊び楽しんでこそ、経済も回りだします。そこで英気を養う方が、より今後の見通しも希望も明るくなるのではと考えます。

「負けないで♪」(ZARD:坂井泉水)という歌のように、いろいろな形でみんなで協力していくことが、日本(ましてや、小生)の明日への活力になると思いますので、有意義な連休を過ごすようにして行きたい。 被災地に元気が届くように、小生も元気に負けないで、歩き続けたいです!

 

一日置いた26日(火)に、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で昨年の9月14日(火)に行った「レインボーブリッジからお台場・有明コース」(10km)、当日、ハトちゃんは胆石で入院中だったため、今回、歩きました。これで、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」サークルの市外ウォーク分はクリアーです。

五月晴れの気持ちの良い朝でした。洗濯物干しのため、予定を約40分遅れで、JR「幕張本郷」駅(9:20)を出発。隣の「津田沼」で快速に乗り換えて、新橋へ。そこから、新交通ゆりかもめに乗って、ゆりかもめ沿線は、ビル群の合間を縫って、景色が抜群。「日の出」を過ぎる頃から、東京湾が左手に見えて来て「芝浦ふ頭」駅に到着(10:25)。駅を降りる人は数人。レインボーブリッジに向かう DSC02691.JPG標識を見つけて進みます。

橋(端?)の建物の7階まで、エレベーターで上がりました。もう一人、ジョギングの男性と一緒だったため、迷わずに橋上に DSC02696.JPG出ました。北遊歩道コースの横は、橋を横断する車がスピードを上げて追い抜いて行きます。トラックが通ると風が当たり、また余震等の心配からか、微妙な揺れが。橋が落ちるわけはないと思っても、不安な心理状態に。全長1km弱の橋ですが、渡る時間が長く感じました。遠くに、先ほど車窓から見たビル群が見えます。

途中で、南遊歩道コースに移って下方右手に、お台場が。橋の遊歩道は、車が前方から向かって来る方が、風圧が少ないようであまり怖く無かったのです。最初に気がつけば良かったのに。

橋から降りるとお台場の手前の方に台場公園(11:15)。海からは城跡のような石垣が。先端まで歩いて高台 DSC02715.JPGから眺めると、徳川幕府が黒船来襲に備えた砲塁跡が転々と残っています。丘の下までも降りて行って見ることもできます。

次に第三台場からフジテレビの方に向かって、観光スポットで一躍有名になったお台場海浜公園が延びていて、海岸 手前の DSC02717.JPG遊歩道を歩いても良し、砂浜(ビーチ)を歩くも良し。潮風が心地よいが、かなり暑くなって来ました。まだ、先まで行くため、靴に砂が入るのが嫌なので、途中から遊歩道に。右手に海が、左手に高層の建物が。右手にカーブして、今度は正面に水面を見ながら30分ほど歩いて行くと、遠くにレインボーブリッジ。船の往来もあり、船着場も。ビーチにはカップルや家族連れも。また、テラスで海を眺めてくつろぐ DSC02723.JPG人々。

都立潮風公園(11:50)には、夕陽の塔、円形の大広場、バーベキューの場所では、地元の高校生が私服で肉を頬張りながら、和気あいあいと楽しんでいました。おいしい匂いが漂ってきて、こちらもお腹が空いてきました。

遠くに倉庫群の建物が見えて来て、しおかぜ橋を渡ると、公園広場。そこでは撮影が行われていました。南極船宗谷、羊諦丸が右手に見えて来ると、左手に船の形をした船の科学館DSC02735.JPG入館したことがあったので省略。

大通りに出て、横断歩道を渡ると右手に横長の高層ビル(東京国際交流館)。そして道路左に木々の生えた広いグリーンベルトが始まる。ここは、台場駅から国際展示場までのプロムナード公園(道が途中から幅広の歩道橋)。台場付近は道幅も狭いのですが、平日で人が少ないせいか、左右の景色を十分に楽しみながら進む。

途中、りんかい線の「東京テレポート」駅を過ぎると、右手にパレットタウン(レジャー施設や専門ショップなど)。大観覧車(12:15)を見上げながら、工事中のフェンスに沿って進むと、いきなり広い道 DSC02742.JPG幅にビックリ。広すぎて歩きづらい。しかし、夜間には街燈が点いてロマンチィックな雰囲気になるのではと感じました。

ゆめのおおはしを渡って、間もなく「東京都水の科学館」(12:30)http://www.mizunokagaku.jp/ の建物が見えて DSC02749.JPG来た。前に、この「ゆうほ21」のウォーキングサークルで文京区の東京都水道歴史館を見学したときに、姉妹館があるとは聞いていましたが、偶然に発見。昨年6月にリニューアルオープンという垂れ幕も見えたので、寄り道。水の不思議と大切さを科学的に紹介。水と水道への関心を高める体験型のミュージアムで、小・中学生向けの内容でしたが、ちょうど飲料水をうっかり忘れていたので、ウォータークーラーの水を補給できて、ラッキーでした。ついでに、トイレ休憩もできました。

また、プロムナードに戻って道路を渡ると、ビルの合間に緑の公園や広場が。昼食でベンチでのんびりしているビジネスマンやOLの姿。右前方にワシントンホテル、左にホテルサンルート有明、パナソニックセンターの建物。そこを過ぎて左折すると、りんかい線「国際展示場」駅 DSC02759.JPGが見えて来ました。何しろ、駅前も広いのにビックリです。前方に、ゆりかもめ「有明」駅が見えます。

結局、最短で最安の「国際展示場」から「新木場」へ。JR武蔵野線経由「西船橋」から総武線で帰宅し、1時間弱で最寄り駅に到着(14:00)。

DSC02724.JPG今回は、海と新緑に囲まれたベイエリアと有明までの世界最大級のプロムナードを歩くことができました。ただし、高所恐怖症のハトちゃんには、レイ ンボーブリッジは、遠くから見るもので、橋上を歩くのはしんどかったです。

(左の写真 レインボーブリッジと海上に常夜燈  

 

4月24日(日)に、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で昨年の11月9日(火)に行った「九品仏浄真寺から等々力渓谷コース」(7km)、ハトちゃんは義母の体調不良で行けなかった分を一人で歩きました。

五月晴れの絶好の行楽日和。JR総武線「幕張本郷」駅(8:21)を出発。東京メトロの「西船橋」(東西線)→「九段下」から半蔵門線に乗り換えて、「渋谷」へ。「渋谷」から東急東横線で「自由が丘」駅へと向かいました。途中、東横線の「中目黒」駅を通過。3歳から12歳(小学校6年生)まで10年ほど、住んでいたので、車窓から眼下の目黒川は見えたものの、駅周辺は広い道路やビルが立ち並んでいて、昔の面影はありません。引越し後、30年前に一度、電車を降りて、住んでいた周辺を歩いて以来、降りていないので、大きく変わったことと思われます。

さて、「自由が丘」(9:43)に着きましたが、結構、時間がかかりました。早速、ウォーキングマップを見ながら歩き始めました。銀行を曲がったのは良いのですが、東急東横線に沿って歩くところを、大井町線に。途中で気がつき、ちょうどパトロールのおまわりさんに聞いて、先の道から等々力通りに出ました。したがって、最初の「宮本三郎記念美術館」(世田谷区美術館分館) DSC02643.JPGhttp://www.miyamotosaburo-annex.jp/index.htmを行き過ぎて、少々戻る羽目に。

10時を回っていたので、久しぶりに美術館で作品鑑賞。受付の方は、とても親切で、リュックサックを預かっていただきました。館内は2階が展示室、1階が講座室を配置。宮本氏の作品のモチーフでは裸婦が有名ですが、赤を中心に、多彩な配色で肉感的な女性像を画いていました。とくに「ヴィーナスの粧い」が幻想的で印象深い。また、「アフリカの貌」という展示も1階で開催中で、世田谷美術館が2011年7月1日より翌年3月末日まで改修工事により休館になるのを機に、本館で初めて、同時代のアフリカ美術を紹介していました。帰りには、今回の最終スポットの五島美術館休館を教えていただき助かりました。

次に、向かったのが、九品仏浄真寺。こんもりした森を目指して行くと、参道前に交番が。参道を進 DSC02646.JPGむと参拝客がすれ違います。総門をくぐると、大木のイチョウやケヤキ、桜など、広い境内に各種の建物が点在し、仁王門、鐘楼の梵鐘、本堂など、威風堂々な雰囲気。下品堂、上品堂、中品堂、 DSC02651.JPG三仏堂(3)、阿弥陀如来堂(3)で九品仏になるので、通称、九品仏と言われています。また、来迎会(お面かぶり)は無形文化財。また、奥沢城跡も見学。新緑がまぶしく、森林浴も十分できて気持ちがスッキリ。何度来ても良さそうな趣きのある寺院です。

一通り、境内を散策して、地区会館横を浄真寺の高い外壁に沿って歩いて左折すると、真っ直ぐな一本道が。駒八通りを横切り、さらに緩やかな上り下りを過ぎると、広い通りが目の前に。一本手前の道をマップどおりに進む。多摩堤通りを渡るとすぐに玉川神社(10:40)。境内は広くない。その先の満願寺(10:45)にも立ち寄りました。 境内は広く、本堂の造りも綺麗な扇形。本堂の左手奥に「一言地蔵」 DSC02661.JPG(「心をこめて、一言祈願すると願いがかなう」)が。 DSC02663.JPG外から見えるところに安置されていて、金色に輝く本体はまぶしく、ハトちゃんもあやかって、一言「〇〇〇...」とお願いして来ました。内緒です、ハイ。

満願寺を出て、左折すると、正面に城南信用金庫の建物が。人通りが増えて来ました。それもそのはず、「等々力」駅前(11:00)の踏切に。ちょうど踏切が降りて、電車が通過。踏切を渡ると、古風な建物。その先に、等々力渓谷の案内板が。日曜ということもあって、観光客も多数。恐る恐る急な階段を下りると、上部には赤い鉄橋が。下りると、空気がヒンヤリしています。矢沢川沿いに、10m以上の高木に DSC02670.JPG覆われた、深い渓谷と遊歩道。水は残念ながら、清流では無く、濁っていて流れも緩やか。まぁ、都区内の渓谷の限界でしょうか。途中、堰もあって、そこでは水辺で遊ぶ家族連れも。

風景を楽しみながら、ゆっくり遊歩道を進んで、橋下を通過後、等々力不動の標識が。途中、不動滝も見学。渓谷の上まで急階段を上って等々力不動に立ち寄りました。参拝後、元来た階段を下って、途中から、地上に出て、野毛大塚古墳を目指す。

公務員住宅に沿って歩いて行くと、玉川野毛町公園内に、こんもりした巨大な丘(古墳)(11:40)が見えて来ました。全長は82mで、 DSC02676.JPG後円部の直径62m、高さ11mもあるといわれ、帆立貝式古墳で全国でも有名とのこと。

公園を過ぎると、環八通りと第三京浜道路の分岐点になり、いきなり、車の往来が激しくなり、かなり長い歩道橋を渡って、環八通りを進む。左折して400mぐらいで右折し、さらに同じくらい歩くと、上野毛自然公園 DSC02682.JPG(12:00)の雑木林が見えて来ます。園内を先に進むと、奥からは崖の急斜面に何と、鉄の階段があり、そこを一段一段登って行くのが、かなりきつい感じ。あともう少しでゴールと思い、最後の力で踏ん張ります。上からの眺めは多摩川方面を見渡せます。ただし、今回は新緑が濃く、眺望はいま一つ。覚願寺の横に出ると、右手に上野毛自然公園の標識が。

通りに出て、真っ直ぐ進むと、左右には立派な門構えの豪邸が立ち並んでいます。前に一度、ブログに掲載した「五島美術館」の立派な建物が見えて来ました。入口に「休館中」の看板がありましたが、外壁に今回の地震だと思われる大きな亀裂がありました。

DSC02688.JPGうらやましい豪邸を見ながら、東急大井町線が下を走る道路に沿って、最後は環八通りを渡ると、東急大井町線「上野毛」駅北口(12:18)に到着。

そこから、「二子玉川」に出て、東京メトロ半蔵門線直通の東急電車に乗って、「九段下」へ。そこからは行きと同じ経路で帰りました。

今回、ハトちゃんが感動したのは、九品仏浄真寺で、新緑の中に映えた境内の趣きはなかなかの物でした。今回は、距離の割には、後半が結構きついコースでしたが、最後に五島美術館の古美術の作品と、広い庭園が見られなかったのが、チョッピリ残念でした。

 

4月22日(金)は毎月第4週の金曜、月例ウォーキング。今月は、京成「実籾」駅北口前に神田先生を含め12名が集合。前週の12日(火)の市川ウォークで、招待されて食事をご馳走になった中川さんも出席。御礼の挨拶から始まりました。9時30分に出発した一行は、駅反対側の徒歩1分にある無量寺に立ち寄りました。建物の移設や周辺の公園が整備されて、境内に。1963(昭和38)年改築され近代的建築に。木製の山門の土台は、 DSC02623.JPG今回の地震で数センチ動いた跡がありました。

その後、広い通りを横断して、踏切前の細い、緩やかな上り道を進むと、田園風景が。ちょうど人参が育って、 DSC02637.JPGビニールがはがされて、葉の緑がまぶしい。また、暖かさで菜の花が伸びて、一面、黄色いじゅうたん。

そして、実籾高校を左前方に見ながら、ウォークスタンプの設置してある、東部保健センター・屋敷ヘルスステーションへ。ここで、スタンプを受付で押して、トイレ休憩。

隣接の近隣公園では、ちょうどグラウンドゴルフの大会で、中高齢者が熱戦を繰り広げていました。その横を通って、坂を下ると、フレンドパークゴルフ場が右に見え、実籾本郷公園に入る。 DSC02618.JPG八重桜は残っていましたが、ほとんどの桜は散ってしまい、葉のみ。先週のウォーク(里見公園やいちかわ文学の道)で、満開のお花見がラッキーで、懐かしくも感じました。

鴇田家住宅は残念ながら閉園中。公園内の菖蒲は、葉がだいぶ育って DSC02615.JPG来ていて、6月のシーズンには、自宅から近いのでまた来たいものです。

遠くに、鯉のぼりが横に並んで泳いでいる家があって、久しぶりに並列に泳ぐ鯉のぼりを見る DSC02614.JPGことができました。

その後は、ゴルフ場コースを抜けて、浜田川に沿って歩きました。両脇に田園風景が。以前は、荒れ放題の休閑地も ありましたが、思ったよりも田んぼや畑が作られていました。習志野ウォーキングコースでは、小さい橋からUターンするのですが、なぜか今日は、どんどん川沿いの道を先生が進んで行きます。みんなもどこに行くのか、検討がつきませ DSC02639.JPGん。土・砂利の、また捨てたゴミが目立つ、 あまり人が歩いていないと思われる道をまっすぐに―。途中で、先生から「幕張PA」へ向かっていることを教えてもらいました。

しばらく歩くと、前方に京葉高速道路の壁が見えて来ました。やっと、舗装された車道に出ると、右前方に「幕張PA」http://pasar.driveplaza.com/makuhari/(下り線)の一般道路からの出入口(10:40)が。ここは、高速道路内からだけで なく、外から中に入って、飲食や買物ができる便利な施設(pasar)です。広い空間に、明るい採光。木目調の椅子・テーブルなどで暖かな雰囲気を醸し出しています。小生も、 DSC02640.JPG気分転換したいときに立ち寄り、食事などでくつろいでいます。

初めてここを知った会員もいて、みんなでコーヒー等を注文し、20分ほど休憩。千葉の特産品を売っていることもあり、お土産を買う人も。上り線にも同様な施設があり、話では上り線がお薦めとのこと。

11時にPAを出て、車道に出て次回の集合地点の打ち合わせ。そこで、屋敷・大久保方面へと実籾方面と二手に分かれて帰宅となりました。

屋敷方面への道路(幕張・三大王神社から習志野・屋敷への近道)は、左側が山の斜面で、対向車との往来が狭くて、夜は街灯がなくて、真っ暗で昔から痴漢で危険な道といわれて、夜は道を知っていないと、道を落っこちてしまうほど。今回は、昼間なので安心して通りました。

ゆるい上り坂を登りきると、両側が田園(畑)地帯で、ニンジンをはじめ、各種野菜栽培が行われています。道路に突き当たると、バス停「屋敷1丁目」。道なりに、屋敷郵便局→三叉路を越えると、京成「大久保」駅の南口バスロータリーが。そこで、屋敷・大久保班は解散と相成りました。

スギ花粉もピークを過ぎて、ハトちゃんも憂鬱な季節から開放され、いよいよ新緑でウォーキングにはもってこいの季節。5月1日からは、昨年に続き、「すすんで歩くまち習志野キャンペーン2011」も始まります。また、健康づくりを進めるため、どんどん歩いていきたい!

4月21日(木)、1年ぶりに体力チェックを、いつも筋トレに行っていて、体育館前のツツジが満開のの「東部体育館」で行いました。というのも、今年から市内のスポーツ DSC02630.JPG DSC02630.JPG振興協会の体力測定(毎月15日実施)が、3ヵ月に1回になってしまい、4月15日は、今回の地震の影響で中止になってしまいまったからです。

それで、前日、筋トレ室でトレーナーに頼んで、受けることにしました。

ハトちゃんは、昨夏に胆石の手術で1ヵ月入院したことや、その後の休養期間、地震被害による閉室(約3週間)などがあり、万全な状態ではなかったのですが、準備体操(ストレッチ)後、各種目にチャレンジ。

年齢も1歳増えたのですが、スタッフの勧めもあり、昨年値の一つ上のレベルに合わせて実施。

DSC02636.JPGまず、5分間の「自転車バイク漕ぎ」。徐々に負荷をかけて、心拍数でスタミナを計るもの。ふだん、ウォーキングマシーンの方は、30分、速歩でトレーニングしているので、慣れていますが、バイクは、あまり使用していないこともあって、途中から、かなり太ももの張りや息遣いが荒くなりました。

次に、少々休憩後、「ダンベル」で上腕前面部の測定。何とか、10kgをおまけでしたがクリアー。

さらに、「チェストプレス」で、重量をかけて、合図で胸を閉じたり開いたりするマシーンを。これは、苦手な種目で37.5kgを何とか11回やり終えましたが、15回はできずに本当に一杯いっぱいでした。

続いて、腹筋力をみる「アブドナミル」。これも、あまり得意ではありません。もともと、腹筋は腰痛があり、無理ができないことや、手術痕があったりで今回も記録は伸びませんでした。

最後は、「レッグプレス」で、大腿前面部の測定。これは、前回もかなり高い数値が出ていて、今回は100kgで、足の曲げ伸ばしを最高の15回を達成。この種目は、下半身に自信があったので、多少余裕がありました。前回より10kgオーバーで大満足。トレーナーからももう10kgできるのでは?と言われて、次回、絶対に挑戦しようと思いました。

終了後、体力チェックの結果資料が出てくるまで、軽めの運動を続けていました。数分後、トレーナーが資料(体の部位に筋力の強弱のカラー判定)を持って、カウンセリング。下半身はオレンジ色で高い判定でしたが、上半身は青色で低い数値で予想通り。

また、スタミナが昨年に比べ少し落ちていましたが、他は記録が上がって、フィットネス目標をクリアーしていましたが、唯一、下回っていた胸部のレベルアップが必要とのことでした。

丁寧で、優しいアドバイスをトレーナーから受けて、体力チェックの実施は、最低半年に一度の実施を勧められました。

結果が、筋トレの成果もあり、体力年齢も43歳という結果で、同年齢に比較して非常に優れていました。この結果に満足せずに引き続き健康促進、体力維持、病気予防に心がけたいと思います。

 

ハトちゃんが、まだ学生時代には、飲料物といえば、缶&ビンが主流で、社会人になって数年してから見るようになりました。当時、まったく無かったペットボトルですが、下記のウィキペディア百科事典によると、

ペットボトル (PET bottle) とは、合成樹脂(プラスチック)の一種であるポリエチレンテレフタレート (PET) を材料として作られている容器。(中略)

ペットボトルは日本では1977年しょうゆの容器として初めて使用され、その後1982年に飲料用に使用することが認められ、同年よりコカコーラ(1983年より全国展開)、1985年からはキリンビバレッジが1.5リットルペットボトル入り飲料を発売開始。以来、多くのメーカーで使われるようになり、これまでガラス瓶入りが主流であった1リットル以上の大型清涼飲料の容器はペットボトルに取って代わられる。1996年には自主規制の緩和で500ミリリットル以下の小型サイズも解禁された。

ということです。

今では、調味料類はもちろん、自動販売機のうちでも、かなりの部分に、ペットボトルが置いてあり、いろいろなサイズや形状、そして炭酸水などにも適応しています。最近は、あまり事故が起こった例は聞いていませんが、一時は破裂事故もありました。

缶では飲み残しをこぼす心配もありますが、ペットボトルは、軽くて丈夫で柔軟性があり、軽度の凹みであれば自ら元に戻る性質を持っています。無色透明性の容器がほとんどで、飲んだ量がわかったり、キャップがあるので、倒れてもこぼれない利点があります。また、口が狭くなっていて、飲みやすいこともあります。

電車や車に乗車の際、多く見られるのもこのためだと思われます。

今回の東北・関東大震災でも、福島第一原発事故の放射能拡散で、関東地方でもスーパーなどで、水のペットボトルが買占め等のため、なくなる騒ぎもありました。

また、だいぶ前から、あちこちの外壁や電柱などの周りに、大き目のペットボトルが置いてあるのが目に入ります。ペットボトルの中の水の反射を、野良猫が嫌がるということから、侵入を防いでいるらしいのですが、真偽のほどはわかりません。というのも、一時、我が家でも置いてみたのですが、その横を猫が通り抜けていて、あまり効き目が無かったのです。

次に、飲み終わったあと、リサイクルでキャップやボトルの回収が、各自治体のゴミ回収、スーパーや公共施設などにも回収箱が設置されていて、小生もここ10年くらいは、必ず家に持ち帰り、洗った後にリサイクルに出すようにしています。

路上に捨ててあるのを見ると、マナーの悪さを痛感しますが、拾って来て、一緒に出しています。

また、冬場の寝るときには、沸かしたお湯を入れて、電気アンカの代わりに節電対策ととしても役に立っています。風車や花瓶挿しなどにもりようできます。

一つだけ困っているのは、中の水分がなかなか蒸発せずに乾かず、キャップが閉められないのが、衛生面でいうと、たまに傷です。また、長期保存には適していません。

これからも、ペットボトルを大事にして、いろいろと有効活用していければと思います。

 

4月16日(土)は、午後から雨の予報がありましたが、毎週1回の妻の実家へ、義兄と妻と小生の3人で、車に乗って出かけました。

義兄は、何でも駅の乗換えを間違えて、待ち合わせの駅に、だいぶ遅れて到着。風邪気味にもかかわらず、実家でお彼岸に植えた、ジャガイモの発芽、野菜のその後を見たくなって、急遽、同行。運転をいつも自分から進んでするものの、高速道路ではかなりのスピードで、助手席の妻はハラハラ。狭い道路の対向車とのすれ違いでも、行け行けドンドン。後部座席のハトちゃんも不安な気持ちに。

「急がない帰郷なのに」と話すのですが、運転に自信があるので、あまり人の話は聞きません。ただし、雑学がすごくて話題は豊富、いつも周囲を楽しませてくれます。

実家に到着後、義兄はすぐに畑に行って、発芽の状況を見たり、草取りを開始。妻とハトちゃんは、車で、義母の現在入院以後の次の病院に行って、打ち合わせ。実家から30分ほどの利根川沿いの病院は、駐車場・病院入口が今回の地震で液状化になり地面と建物に亀裂が。

院内で部屋に案内されて、ケースワーカーと院長との面談。その最中にも、震度4の余震がありました。その後、病院の5階に案内され、施設の見学。思っていた以上に、院内は明るい雰囲気。病室や談話室の窓が大きくて、目の前に利根川が広がって、景色が抜群。

二人とも気に入って、一応、入院の予約をして来ました。

実家に帰ってから、3人で畑の野菜の農作業。まず、先週以後にまた伸びた「ほうれん草」の収穫。高さ10cm位の物、花が咲いている物もあり、もう食べるには終わりなので、全部、抜いて、汲んで来た井戸水で洗って、ゴミを取り、好い物をビニール袋に。

また、ジャガイモに土寄せを行い、肥料と水を与えました。小生は雑草取りを担当。先月の6日から、誰も住んでいないことや、暖かくなってきたため、雑草の伸びが早くなって、草刈鎌で四苦八苦。天気予報がはずれ、日差しも強くなって、帽子が必要に。義兄は機械で畑をうなっていました。

義母の病院見舞、義父の施設訪問後、帰りの車には野菜の袋がいっぱい。

翌日、妻が持ってきた野菜の料理を作るので、半日、悪戦苦闘。夕食は取り立ての野菜料理とあいなりました。一時、放射能汚染の影響がありましたが、うちでは、みんな気にせずにおいしく食べています。

来週の土(1泊)、日曜も、実家に帰って、野菜作りです。最近は、義兄の凝り性に釣られて、"ものづくり"の楽しみが増えて来て、毎週、1回は帰ることにしています。それにしても雨が少ないのは、作物には困りますね。

本日、午後1時間、わが家の庭の雑草も伸びて来たので、花粉症防護のマスク着用で草取り。こちらは、手で丁寧に取りましたが、結構、敷地があるので、腰が痛くなってきたので、終了後、東部体育館の筋トレ室でストレッチで気分転換。いっぺんに草取りをやるのは疲れるので、明日、残りをやることにしました。

4月12日(火)少し風が強い中、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」では、定例の市外ウォーク(8km)。しかし、当日朝の千葉東方沖の震度4の余震のため、京成線などの私鉄が一時ストップ。集合時刻は9時30分でしたが、会員の到着を待って10分遅れで、神田先生を含め15名で出発。「船橋」駅からJR総武線快速電車で一駅の「市川」駅で下車。市川駅構内でトイレを済ませて駅北口から歩き出しました(10:07)。

ダイエー横を右折すると、レンガ敷きのアイアイロード(さまざまな飲食店で にぎわいを見せていて、歩道には、井岡俊子作『路ゆく旅びと』(上)と、中野滋作『 路上の楽隊』(下)という2つの野外彫刻が置かれています)を進み、京成「市川真間」駅に向かいました。駅西側の踏切を渡って、直進すると、T字路にぶつかります。右折して300mで桜土手公園沿いにいちかわ文学の道(10:30)が続きます。

DSC02534.JPGちょうど桜が満開で、花吹雪が舞う道を真間川まで、先生の案内で、市川にゆかりのある作家たちが紹介されている案内板(永井荷風、幸田露伴、北原白秋、三島由紀夫など)を順番に見ながら、ゆっくりと進みました。それにしても、桜が今週末には散ってしまうと思われたので、絶好のウォーキング・タイミングとなりました。市川が近代文学と関わりの深い町であることを、あらためて知りました。

桜土手公園を十分に堪能して、真間川の木の橋(最近では、あまり見られない)を渡って、川沿いの道を進みます。車や自転車が時折通って、そのたびに誰かが声をかけて、道の端に避けます。

向こう岸の真間川伝いにも桜並木が見えます。真間小学校を抜けて、信号を右折すると雰囲気が変一変。大門通とよばれ、道が細くなって、ちょっと、京都を思わせる石畳が。すぐ橋があり、右側に「つぎはし」の文字があります。真間の継橋(11:00)で、いわれは沢山の砂州があり、その州から州へのかけ橋が継橋だったと考えられていて、 DSC02548.JPG万葉顕彰碑建立の縁となる読み人知らずの歌詞の一部に「真間の継橋やまず通わむ」と詠われているので有名になった橋。現在はコンクリートの橋に金属製の赤い欄干の小さな橋が架かってるだけです。

橋を渡って、直進すると、正面に弘法寺(ぐほうじ)が見えて来ます。もともとは行基が「求法寺」とし DSC02549.JPGたのを、822年、弘法大師(真言宗)が再建し、真間山弘法寺に。その後、日蓮宗に改宗されて、現在に至っています。境内への正面石段の下から27段目にある石がそこだけ色が違っています。石段は千個以上の石からなりますが、この石だけ涙を流すかのように濡れ続けていて、涙石 DSC02540.JPGと呼ばれています。

境内で目を引いたのが、推定樹齢約400年の枝垂れ桜で、名前が「伏姫桜」と命名されていて、花のピークは過ぎていましたが、まだきれいな花を楽しま DSC02542.JPGせてくれて、後ろにある「ソメイヨシノ」との競演が観られて感激。

次に、先ほど継橋の右手に見えた手児奈霊堂に立ち寄りました。手児奈伝説(昔、絶世の美女で手児奈という娘が、詰め寄る男たちの争いを苦にして入水したのを人々が哀れんで祠を作った話)を山部赤人が万葉集で詠んだ歌で有名になりました。安産・子育ての女神。絵馬が黄緑色のハートの形をしていたのが印象的。

表札が個人名になっていたので、一瞬、間違えたのかと思ったところが亀井院(手児奈霊堂の北にある)で、北原白秋が暮らしたとされる宿坊を見学。また、裏手にある「真間の井」も見学。井戸の中は瓶形になっているそうで、そこから江戸時代は瓶井坊といわれ、 DSC02552.JPG亀井院になったそうです。井戸の中は見られませんが、その手前の小さな池には、澄んだ水がこんこんと湧いています。

しばらく歩いて真間から国分町に入り、向かったのが下総国分寺跡(法隆寺に DSC02554.JPG代表される伽藍配置)(11:30)。現存する建物は江戸・明治以降に再建され、ちょうど、この日は境内の大樹をクレーンで剪定作業中。奈良時代の741年、聖武天皇の詔勅により、全国各地に「国分寺」および「国分尼寺」が建立されました。この千葉では上総、下総、安房の3国に。下総国分寺が市川市国分に建立されました。地名の国分もそれに由来しています。奈良時代には中央政府が地方を統治する象徴でしたが、鎌倉時代には新仏教の隆盛で、存在意義も薄れて衰退してしまいました。

次に、下総国分尼寺跡へ。下総国分寺門を出て左へ出て、最初の十字路を左折。和洋国府台女子中学校方向300m地点に、住宅地横に小さな公園が(11:45)。国分尼寺跡公園とあり、敷地内に、建物の礎石(東大寺様式)だけが点々とあり、古の文化がうかがえ DSC02557.JPGます。ここは、一人で歩くと、まず、見落としてしまう場所かも知れません。ここで先生から、残り3km(約1時間)で今回の最終ゴール中川宅(会員)までタイムスケジュールの打ち合わせ。

昼食を我慢して、じゅんさい池緑地へと足を運びます。ハトちゃんのお腹がグーグー鳴り出して、やばい状態。途中、坂ありで、急斜面に補強コンクリートの格子が見えて、ちょうど地震の心配もあり、高台の上の建物を心配する声も。「遊び危険」の立看板があるもののがけ崩れ感があり、急いで通過。また右手前方に、今回の大地震の被害で、外壁が崩れて、下の道路を塞いでいる危険な2階建てを発見。 DSC02566.JPG地震の恐ろしさを、一同、あらためて痛感しました。途中、スカイツリーもかすかに見えました。

じゅんさい池緑地に着いたのが正午ちょうど。トイレ休憩後、緑木に覆われた池周辺(市民の憩いの DSC02563.JPG場所)を散策。渡り鳥(カモなど)も見られ、また風で舞い散った桜の花びらが水面に浮かんで、花いかだを演出。絶景も観られて、本当に歩いて来た甲斐がありました。

「国立国際医療センター国府台病院」前の道路に出ると、制服の生徒たちがいっぱい。病院前を横断して、里見公園(室町時代の古戦場跡)へ。東京医科歯科大学脇の道は、桜のトンネル。ここでも満開の花道を歩き進んで心地よい気分にひたりました。

DSC02573.JPGトンネルの終点に、目の前に広がる黄色く彩られた花壇と噴水広場。その周囲に桜が満開に咲き誇っている、花見の名所でもある里見公園に到着。多くの花見客やくつろぐ人たちが訪れていました。黄色と桃色、そして空の青さの三層が見事にマッチして、すばらしい景色。

ところが公園内に入った途端、携帯の緊急地震速報が鳴り出して、地面が少々揺れました。また、先生から、里見という名の由来、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の話も聞きました。里見公園をゆっくり散策したかったのですが、時間の関係で短縮。

その後、まっすぐ江戸川堤に出ました。正面に、東京スカイツリーも見えました。先ほどのスカイツリーが右手から左手に見えたりもしました。右手の松戸方面に向かえば、矢切の渡しがありますが、次 DSC02589.JPGの機会に回して、コースどおりの市川駅方面に向かいました。川幅が広いので歩いていて、とても開放された気分になりました。日よけが無いので、夏のウォークには不向きです。昨夏の猛暑下に水元公園へのウォークの大変さを思い出しました。まっすぐ歩いていても、川なので、結構、曲がりくねっています。最後に、ちょっと先生が寄り道をして、土手堤にある市川関所跡も見学できました。

DSC02593.JPG土手を降りて数分で、今春、市川市に引越しされた、サークル仲間の中川さん宅に招かれて、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の1年間の活動の軌跡、各人の自己紹介・思いなど、乾杯、食事をしながら歓談して約2時間。交流を深め合 DSC02605.JPGいました。また、この場所は、(有)老人介護情報センターhttp://www.happynew.jp/  が経営していて、2階に「市川レジデンス(高齢者円滑入居住宅)」、1階にコミュニテイの場としての「元気創造館(レストラン、兼 多目的ルーム)」があります。奥様やスタッフの方の、すばらしい作品を見ることができて、またシニア(中高年)の学校や各種教室などのお仕事に携わっておられることを知り、中川ご夫妻のお気持ちに触れられて大変に良かったと思います。

サークルが設立されて2年目に入ります。今後も、ウォーキングを通じて、健康を目指し、交流を深めて行けるようにみんなで頑張って行きましょう!

 

東北地方・太平洋沖大震災から1ヵ月が過ぎましたが、未だに余震が終息する気配がありません。被災地の皆さんはもちろん、われわれも毎日、震度4~5ぐらいの余震の頻繁さに、正直、神経質になっています。思えば、3月11日以前の生活や気持ちのモチベーションが懐かしくもあり、細かい不満はあったにせよ、今から考えると何不自由なく幸せでした。この間、深夜の余震の怖さ、さらに昨日も電車の車内で、携帯電話の緊急地震速報のけたたましい音が一斉に鳴り、一様に身構えてしまうことや、テレビ画面で速報のお知らせなどがあると、つい揺れに恐怖する自分がいます。何とも心休まらない日々が続きます。

テレビや新聞の被災地の凄惨な報道を見るたびに心が暗くなっていましたが、少しずつ復興の情報も流れて、同じ日本人として心強く思えてきました。しかし、福島第一原発事故から次々と起こる被害の拡大。とりわけ、放射能の被害は深刻で、汚染水の海への流出で漁師、野菜、米の作付け制限などで農家の出荷制限・風評被害などの死活問題。離れている千葉県でも、スーパーでの野菜、魚の買い控えと逆に飲料水の買占めが起こりました。

そうした中、昨13日、経済産業省原子力安全・保安院が福島原発事故の「国際原子力事象評価尺度(INES)」で「レベル5」から「レベル7(深刻な事故)」(もっとも重大)に暫定評価を引き上げました。地震の被害経過で、12日にレベル4、18日にレベル5という暫定評価が1ヵ月たって、当時の放射能漏れの新たな数値発表で、いきなり2段階も引き上げられるのは、評価の見方のずさんさと、悪い情報は開示しないという操作があったと疑われても仕様のないことです。

最初から、国民に甘い見通しでお茶を濁すくらいなら、最悪のシナリオを話すべきです。

原発事故のために避難している人々には、大きなショックで、さらに追い討ちをかけるような菅首相の発言?がありました。「福島第一原発から半径30キロ圏内などの地域について、そこには当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか」と。これは、何とも住民感情を逆なでする内容で、避難民が元の土地に帰ることが当たり前なのに、原発のために戻れないという、憤懣やるかたない現実。はっきりと、国が責任を明確にして、慎重な発言をすべきです。せっかく、少しずつ「がんばろう、日本!」という気持ちで、少しずつ復興が進んで来ているのに。被災者は、何と言っても「住む場所の確保」。できれば、今までの土地に住みたいに決まっています。それができないなんて、どこにその不満をぶつけたら良いでしょう。東電の責任はもちろん、国が避難者の生活支援などに全面的に責任をもつことが重要です。

原発事故処理には、関係者が決死の覚悟で、頑張っているのはわかりますが、上の方からどんどん悪い情報が流れると、われわれ国民にとっては不安心理だけが増長して、ますます混迷が深まって来ます。まだまだ時間がかかりそうですが、情報提供の正確な開示と、今後の補償問題や、エネルギー政策の見直しに一縷の希望の光を見出したい。そして、一日でも早く地震の少ない(できれば無い)日々が来ることを祈りたい。

 

2月1日に、テレビをアナログから地デジに換えた際、BSとCSも有料チャンネル以外観れるようになりました。それまでは、ツタヤでDVDを有料で借りて来るか、または妻の職場友達の韓流ファンから、借りていました。

前から、BSでの韓流ドラマ放送は聞いていましたが、今回、地震のニュースばかりだとテンションが下がるので、BSを見始めました。すると、朝から夜まで、ほとんどの時間帯、どこかの局で、韓流ドラマが放映されています。

ハトちゃんは、韓流時代劇ドラマと、ラブコメが大好きなので、現在でも一日(約1時間)3本を連続で早送りで観ています。日本のものと違って、どろどろした愛憎劇や、脇役の面白くて魅力のあるキャラは、ハマルとその役者さんの別の作品を追っかけて、次々と観たくなってしまいます。

ありえない記憶喪失、海外ロケ地、男優の涙シーンの多さ、子役の演技力、そして兄(オムニー)[実は他人]との恋愛、主人公の病気や死など、日本の作品以上に出世と悲劇の結末になりやすい。また、ファンからすると、想定内の展開、結末に、一喜一憂することになります。

おそらく、冬ソナからはじまった韓国ドラマは、どんどんはまってしまい、今では、妻の2倍は見終えたと思います。あらすじのポイントだけは、メモ帳に書きとどめて置き、たまに、一人で振り返ることがあります。日本の戦国時代のように、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のような人物の区別も、最近できるようになって来ました。韓流時代劇は人物像の人生物語を繊細に描いて、そこに徹底した悪役と闘う主人公の人間模様と周囲の人々との関係が複雑に絡み合います。謀反や裏切りは、日常茶飯事。演技力は平均して、日本の役者さん以上だと思います。そのせいか、ここ数年、日本のドラマは観なくなりました(例外は、大河ドラマの「江」ですが、脚本の歴史との隔たりと、キャストの人選ミスが目立つのは、自国で役者を知っているからなのか?)。

同じ時間帯に3本放映されていたのには、参りました。観ると、家事や筋トレができなくなるので、第1話と俳優を見て、最高3本と決めて、観ています。あまり、観過ぎると疲れるのと、腰が痛くなるのでほどほどにしています。「それにしても、面白い」のでやめられません。

本日も、妻に、「まぶたが4重」と冷やかされました。そこで、韓国語で「サラゲー(愛している)」と返しら、「何言ってるの?」と完全無視されました。

 

4月7日(木)午後11時32分、テレビを見ていると、妻の携帯がけたたましく鳴って、緊急地震速報。それ以前にも毎日、東日本大地震の余震が来ていたのですが、そろそろ1ヶ月近くで、鉄道や震災地の復興が始まっていた、矢先の出来事。桜も咲いて、気分転換といきたいのに。

「ズシーン」という縦揺れに続き、「グラッグラ」という横揺れが、かなり長く続き、千葉県北西部でも震度4の揺れを観測しました。「これは大きい」と直感し、テレビを見ると、NHKでは、すぐにニュース番組をストップして、地震情報が流れました。

宮城県沖を震源として、東北地方各地で震度5~6の観測。被災地の人たちの不安を考えると、言葉が出ません。それでなくても、最近、千葉でも地震が頻繁にあるため、小生は過敏反応しがちでしたが、映像を見て気の毒でガッカリ。

追い討ちをかけるような余震に不安が募るばかり。被災地の被災者・避難者は、頑張って復興のために努力しているにもかかわらず、自然の力の前では、ほとんど無力にちかくなってしまいます。

今回の地震では、停電が東北各県合わせて370万世帯も。死者やけが人も出ました。またしても眠れない夜が続きます。「本当にそろそろ勘弁してほしい」と願うばかりです。「何でこうなるの?」とテンションが下がります。

ハトちゃんは、寺田寅彦の「天災は忘れたころにやって来る」という言葉を思い出しますが、どんなに気をつけても、思いがけずに、どうしようもないこともありますが、ある程度は、時間が解決してくれると信じています。

福島第一原発事故も終息するには程遠いし、新たな問題が次々と起こって来ていて、東京電力や国の政策に疑問を感じますが、東電の社員をはじめ、消防、警察、自衛隊など、命の危険を冒してでも、国民のために闘っている人たちがいます。こうした努力が報われるように、精一杯、応援しています。

野菜や魚の風評被害、工業生産部門の停滞、日本経済・社会はこれからどうなっていくのか、本当に心配です。第二次大戦の敗戦後、がんばって経済大国として、国際的地位を築きましたが、今、まさに、日本が問われている時期です。この試練を乗り切るべく頑張らないと、国力も低下し、国際的信用も堕ちてしまいます。

国内で、足の引っ張り合いは、この時期には休戦し、一丸となって、被災地の被災者を助けて、協力して前へ進むしかありません。

東電は、計画停電の実施を当分見送る旨、発表しましたが、今後の福島原発の方向性(たとえば廃炉)にともなうエネルギー政策の転換など、難問が山積みです。

毎日、ニュースを見ないと不安な毎日。「早く、NHKチャンネルを見る機会を少なくしたいのに、当分、無理なのかなぁー?」

これでは、自分だけ楽しむというのは、悪い気持ちになってしまいますネ。みんなが笑顔になれる日が一日でも早く来て欲しいものです。

 

一日明けて4月6日(水)、最高気温も20度を越す小春日和。同じく「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で2月8日(火)に歩いた「雑司が谷・護国寺から江戸川橋へ」(7km)コースに挑戦。

9時に家を出て、JR「幕張本郷」駅から西船橋、そこから東京メトロ東西線で「高田馬場」へ。一駅、山手線で「目白」駅に10時20分到着。駅前に、学習院大学の西門が。折りしも、キャンパス内に入る学生たち。守衛さんに断って、構内に入ると、桜の園と新入生歓迎の立て看板。新春を感じさせる光景。残念ながら構内にある「史料館」は、4月8日(金)~6月11日(土)の「明治の視覚革命!-工部美術学校と学習院-」の特別展の準備で、閉館中。

大学の正門内の桜を眺めながら、目白通りを進むと、明治通りにぶつかります。渡って2,3分で、法明寺(雑司が谷鬼子母神)(10:40)へ。境内に通じる道路は思ったより狭くて、境内も日蓮宗の DSC02461.JPG子育ての神を祀る神社としては、それほど広くはありません。ただし、堂前の大イチョウは、樹齢700年といわれるだけあって、かなりの年季とど迫力。

都内唯一の都電である荒川線の線路を見ながら、踏切を渡り、宝城寺脇から有名人の墓もある雑司が谷霊園内に入り、いろいろな形の墓(中には十字架も見られる)を見歩く。霊園の受付で、明治期の文豪、夏目漱石の墓(10:55)の場所を聞き、見つけて参拝。 DSC02469.JPGなかなか立派なお墓でした。

霊園を出て、細い道を進むと、左手に赤レンガの道が。その先に、雑司が谷旧宣教師館(11:00)。この建物は、宣教活動を続けた J.M.マッケ DSC02471.JPGーレブの私邸で、白い外観に近代木造2階建の洋風建築。東京都有形文化財に指定されています。入館は無料で、自由に見ることができて、暖炉のマントルピース(前飾り)やベイウィンドウ(張り出し窓)など、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色が見られます。

ゆっくりした下り坂を進むと、いきなり、交通量の多い広い交差点。上を高速道路の橋げたが目の前に現れます。交通整理の女性警官に聞いて、東京メトロ駅前の護国寺(真言宗)(11:20)に。すぐ横に、日大豊山高校の校舎と正門(入口に甲子園出場の DSC02485.JPG記念碑)。ちょうど当日は、入学式。新調の制服を着た生徒と親の光景が目立つ。また、参拝をかねたお花見の人たちもいっぱいで華やいだ気分に。

境内は広くて、仁王門をくぐると、不老門、観音堂(本堂)、月光殿、多宝塔など、整然と配置されています。

DSC02482.JPG次に白山通りを南に進んで行くと、大手出版社の講談社や光文社の建物が見えてきます。音羽1丁目で横断歩道を渡って、高速道路下の公園風の憩いの場所を過ぎて、急勾配の坂を登りきる手前右に、独協中学・高校の校舎が。ここでも、入学式で、体育館前の受付で生徒と親が一緒に並んでいました。坂の上が、目白通りになっていて、前から見ると、蝶が羽根を開いたような形をした、ステンレス張りの輝きの巨大な建物(上から見ると十字架)が見えてきました。

東京カテドラル聖マリア大聖堂で、東京教区の司教座聖堂で、カトリック教会の中心的な教会とい DSC02494.JPGわれ、大聖堂内を見学。正面に大十字架、マリア祭壇、パイプオルガン、多数の椅子席があり、高さ(最高約39m)、床面積3649.9㎡のゆったりした空間をとっています。

通りを横断して、細い路地を進むと和敬塾があり、その先の右手にこんもりとした雑木林の奥に、永青文庫 http://www.eiseibunko.com/ があります。細川家に700年以上伝来する歴史資料や美術品等の文化財を一般に公開しています。文庫内は、節電の影響からか、薄暗かったのですが、書、鏡、陶磁器、絵画などの重要文化財も観られて、大変参考になりました。

外に出ると、新江戸川公園への近道。ドーナツ型のコンクリートをくぐり抜けて、階段を下りると公園 DSC02502.JPG内へ。熊本藩細川家の下屋敷があったところで、見事な庭木と、中央には回遊式泉水公園があり、鯉が雄大に泳いでいました。現在は、区立公園になっています。

公園を出ると、前に神田川の遊歩道(12:30)が続いています。ちょうど、本日、桜が満開になったようで、川沿いにお花見に繰り出した人たち。カメラで桜を撮る人や、昼時のサラリ DSC02513.JPGーマンやOL が飲食物を頬張る......。

何やら人だかりが見えます。椿山荘の裏手にあたるため、従業員が出入り口で案内およびお菓子の販売。荘内の庭園に立ち寄ってみると、桜をはじめ各種の木々が咲き乱れ、水車も回っていました。帰る時間の関係で、ちょっと見で遊歩道に戻り、関口芭蕉庵の前に行きましたが、中には入れませんでした。

その後は、江戸川公園を左に見ながら、満開になった桜並木の横を写真を撮りながら、お花見をして遊歩道をぶらぶら歩いて、江戸川橋の交差点へ。

そこから、東京メトロ東西線の「神楽坂」駅まで、歩き続けました。というのも、このあたりは、ハトちゃんが現役で編集の仕事をしていた際、相手の印刷所がこの地域に固まっていて、何度も足を運んでいたんです。歩いて行くと、このあたりのインクの匂いが、なぜか懐かしくなってきて、赤城神社に行く坂の途中の加賀屋(当時、仕事帰りにホッピーを飲んでいた)も当時のままでした。

当時は、仕事ばかりの人生で、こんな近くに、お花見スポットがあったことすら知りませんでした。

まだまだ、東京も捨てたものではありませんネ!

 

4月4日(月)に、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で昨年の10月12日(火)に行った「野火止用水から玉川上水緑道コース」(6km)、ハトちゃんは入院のため行けなかった分を一人で歩きました。

叔父がJR「武蔵小金井」駅近くに住んでいるのですが、地震の影響でなかなか買いづらい米の話を聞いていたので、駅の改札口で10kgをいとこに渡してから、国分寺駅から西武線を利用してスタート駅の「玉川上水」駅に着いたのがちょうど12時でした。

DSC02401.JPG駅を降りると、すぐ前に玉川上水の遊歩道(12:15)が。一応、行く手を通りがかりのおばさんに確認して、左折。上水脇の遊歩道にそって、しばらく歩いて行くと、上水小橋があり、その橋を降りると、 DSC02399.JPG自然岩で築かれた高さ3mぐらいの岩から何筋もの滝が落ちていました。その横に清流復活の碑(12:23)がありました。付近は、ひんやりとしていて、涼風が漂っていて、子どもが遊んでいました。そこから緑道が続いていますが、いったん、玉川とはお別れして、線路沿いに赤レンガの遊歩道(両脇に高いアカマツ並木)が、ほぼ東村山方面に一直線 DSC02404.JPGに延びています。右手に、ゴミ焼却場の高い煙突、左手は西武拝島線の線路・車庫が見えて来ました。線路沿いを進む遊歩道は、とても歩きやすいのですが、結構、直線が長いので距離が長く感じます。たまに、散歩中の人々に出会いました。

ひと駅分歩いて行くと、左手に、志村けんの歌で有名になった「東大和市」駅が見えて来て、青梅街道に出ました。すぐそばに、東京都薬用植物園 DSC02410.JPG(入園無料)があります。桜の木は少なかったのですが、しばし、園内を見学。太陽光をいっぱいに浴びた温室には、バナナや高級ランのほか、観葉植物が所狭しと植生され、屋外には、漢方薬の薬草や薬木など多数植えられていました。観光客もだいぶ訪れていました。

青梅街道を渡って、ヤサカ家具前の細い道に入りました。「野火止用水」の標識があり、その道の脇に清流が流れ、脇に遊歩道が。ここは、玉川上水の水を、老中松平伊豆守が許可を受けて引いたとされているところです。

途中には、鯉の泳ぐ姿や「ホタルの生息地」の看板もあり、東京都の自然がこんなところで守られて DSC02423.JPGいる発見もしました。右手には、今回の地震で悪名になった「東京電力」の変電所が見えて来ます。

DSC02420.JPGその先の雑木林の木立の中を、上水に沿って野火止緑地を踏み進めて行くと、東野火止橋の分岐に到着。そこで、道に迷いそうになったので、地元の人に道を聞きました。「踏み切り沿いのこんもりした森に神明宮がある」そうです。

西武拝島線の線路沿いの踏切を渡ると、青々とした竹林の神明公園へ。その脇を進むと、神明宮(13:20)。境内の入口に、このあたりを開拓した、小川九郎兵衛の開拓碑。そして、すぐ近くの青梅街道沿いに小川寺(九郎兵衛の墓がある)も。

街道沿いのけやき通りに入ろうとすると、工事中の看板が。交通整理のガードマンに話して、家の外から竹内家の大ケヤキを観賞。高さは35m以上といわれ、市の天然記念物になっています。見上 DSC02439.JPGげると、すごい威圧感。郵便局前を迂回して、遠方から眺めると、周りは宅地の造成中で、ひときわ聳え立つという感じ。

途中から、ケヤキ通りに戻って直進すると、右手に学校らしき建物が。親友のYさんの母校、武蔵野美術大学の校舎でした。畑の田園風景を見ながら進む。左にやっと大けやき道公園(13:45)があり、ここで、遅いお昼のおにぎりと水で休憩。

公園前の玉川上水緑道(14:00)に出て、上水緑道と武蔵野の自然散策を楽しむ。10分ほど歩いて左手に校舎の裏門が。高校野球の強豪、創価高校と記されて、所在地を初めて知りました。

緑道は約1.5kmほど続いていて、行きかうウォーカーにもだいぶ出会いました。 DSC02447.JPG少々疲れてきたので、やっと西武国分寺線の「鷹の台」駅への表示があったので、これ幸いと、そのまま駅(14:20)に直進してしまいました。後でコースマップを見ると、小平中央公園がラストスポットでしたが、飛ばしてしまったのは残念でした。

この緑道を中心にしたコースは、とても歩きやすく、わかりやすいので、地元のウォーカーがうらやましく思えたことと、玉川上水に沿って武蔵野の自然が残る、貴重な体験をしました。6kmということでしたが、直線を歩いた分、長く感じました。

次回も、都合で行けなかった「ゆうほ(友歩・遊歩)21」のコースめぐりに挑戦します。

4月1日というと、恒例のスーツ姿の新入社員の入社式が新聞で見られますが、今春は自粛ムード。

ハトちゃんは、月も替わったのでテンションをあげようと思い、筋トレをスタート。習志野市のスポーツ施設が、地震の被害で使えない状態が続いていましたが、やっと昨日(1日)から、一部使用できない施設を除き、使用できるようになりました。

早速、昨日は、勤労会館でランニングマシーン等で、久しぶりに汗を流しました。常連さんにも会いましたが、どうしても地震の話になってしまいます。市内でも、国道14号より海側の埋立地域では、液状化現象の影響で道路の陥没、下水道の使用不可などが、3週間たった今でも続いているそうで、風呂やトイレに不便をきたしているとのことでした。ハトちゃんの住んでいる方は、大した被害も、計画停電も無いことを伝えました。勤労会館は結構、古い建物ですが、地盤の関係でしょうか、被害は殆ど無かったそうです。

運動終了後、会館出入口で、にこにこ顔で歩いて来たウォーキングサークルの中村会長とバッタリ。先週の30日(水)に、一緒に行った、八千代の「やまとの湯」での温泉三昧の御礼。

本日(2日)は、大地震を体験した東部体育館の筋トレルームに出かけました。専属トレーナーに挨拶後、マシーンを使って筋トレを。午後1時30分から1時間。各種のマシーンとは3週間ぶりに。いつもより少し軽めの重さで、無理をせずに体をほぐしました。ここは、勤労会館と比べ、トレーナーが付いていて、マシーン数が多く、冷暖房完備で、音楽やテレビもかかっているので、スポーツジムの雰囲気が味わえます。

やはり、ここでも来訪者が地震の被害、被災地の話題が。平日は、中高年者が多いのですが、再開後、間もないため、利用者数はいつもの半分程度。暖房は節電のため、切ってありました。運動後、体重・体脂肪を計ると、どちらも運動不足で案の定、増えていました。身体は正直ですネ! 休憩中、2階から館内を見ると、体育館の天井とクライミングの壁の一部に応急修理のあとが見られました。

筋トレ終了後、受付で館長と地震の被害等の話をした後、更衣室で着替えていると、1月に勤労会館で一緒にトレーニングをしていた人とバッタリ。その頃、ウォーキング姿勢を矯正して見ていた人なので、更衣室で歩行しながら質問が。小生も、この間、妻の実家にいたことが多く、積極的にスポーツをしていなかったことを弁明。運動の継続を話しました。

靴を履いて館外に出ると、思いがけず、ウォーキングサークルの神田先生に声をかけられ、しばし雑談。先月の25日(金)市内ウォークコースで、先生から自宅の場所を教えていただいた際、体育館のそばでした。今日は、ぶらっと散歩に来られていたようで、いつものシューズではなくサンダルで。小生もチャリンコで来たのですが、足下はサンダル。同じ履物も偶然でした。

2日続けて、筋トレをした後に、ウォーキングサークルの人たちと会う偶然が重なりました。

ブログを書いていた16時56分。「ズシーン」と強い揺れ。テレビを見ると震度は4でした。まだまだ余震が続くので、不安な毎日です。