一日明けて4月6日(水)、最高気温も20度を越す小春日和。同じく「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で2月8日(火)に歩いた「雑司が谷・護国寺から江戸川橋へ」(7km)コースに挑戦。
9時に家を出て、JR「幕張本郷」駅から西船橋、そこから東京メトロ東西線で「高田馬場」へ。一駅、山手線で「目白」駅に10時20分到着。駅前に、学習院大学の西門が。折りしも、キャンパス内に入る学生たち。守衛さんに断って、構内に入ると、桜の園と新入生歓迎の立て看板。新春を感じさせる光景。残念ながら構内にある「史料館」は、4月8日(金)~6月11日(土)の「明治の視覚革命!-工部美術学校と学習院-」の特別展の準備で、閉館中。
大学の正門内の桜を眺めながら、目白通りを進むと、明治通りにぶつかります。渡って2,3分で、法明寺(雑司が谷鬼子母神)(10:40)へ。境内に通じる道路は思ったより狭くて、境内も日蓮宗の 子育ての神を祀る神社としては、それほど広くはありません。ただし、堂前の大イチョウは、樹齢700年といわれるだけあって、かなりの年季とど迫力。
都内唯一の都電である荒川線の線路を見ながら、踏切を渡り、宝城寺脇から有名人の墓もある雑司が谷霊園内に入り、いろいろな形の墓(中には十字架も見られる)を見歩く。霊園の受付で、明治期の文豪、夏目漱石の墓(10:55)の場所を聞き、見つけて参拝。 なかなか立派なお墓でした。
霊園を出て、細い道を進むと、左手に赤レンガの道が。その先に、雑司が谷旧宣教師館(11:00)。この建物は、宣教活動を続けた J.M.マッケ ーレブの私邸で、白い外観に近代木造2階建の洋風建築。東京都有形文化財に指定されています。入館は無料で、自由に見ることができて、暖炉のマントルピース(前飾り)やベイウィンドウ(張り出し窓)など、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色が見られます。
ゆっくりした下り坂を進むと、いきなり、交通量の多い広い交差点。上を高速道路の橋げたが目の前に現れます。交通整理の女性警官に聞いて、東京メトロ駅前の護国寺(真言宗)(11:20)に。すぐ横に、日大豊山高校の校舎と正門(入口に甲子園出場の 記念碑)。ちょうど当日は、入学式。新調の制服を着た生徒と親の光景が目立つ。また、参拝をかねたお花見の人たちもいっぱいで華やいだ気分に。
境内は広くて、仁王門をくぐると、不老門、観音堂(本堂)、月光殿、多宝塔など、整然と配置されています。
次に白山通りを南に進んで行くと、大手出版社の講談社や光文社の建物が見えてきます。音羽1丁目で横断歩道を渡って、高速道路下の公園風の憩いの場所を過ぎて、急勾配の坂を登りきる手前右に、独協中学・高校の校舎が。ここでも、入学式で、体育館前の受付で生徒と親が一緒に並んでいました。坂の上が、目白通りになっていて、前から見ると、蝶が羽根を開いたような形をした、ステンレス張りの輝きの巨大な建物(上から見ると十字架)が見えてきました。
東京カテドラル聖マリア大聖堂で、東京教区の司教座聖堂で、カトリック教会の中心的な教会とい われ、大聖堂内を見学。正面に大十字架、マリア祭壇、パイプオルガン、多数の椅子席があり、高さ(最高約39m)、床面積3649.9㎡のゆったりした空間をとっています。
通りを横断して、細い路地を進むと和敬塾があり、その先の右手にこんもりとした雑木林の奥に、永青文庫 http://www.eiseibunko.com/ があります。細川家に700年以上伝来する歴史資料や美術品等の文化財を一般に公開しています。文庫内は、節電の影響からか、薄暗かったのですが、書、鏡、陶磁器、絵画などの重要文化財も観られて、大変参考になりました。
外に出ると、新江戸川公園への近道。ドーナツ型のコンクリートをくぐり抜けて、階段を下りると公園 内へ。熊本藩細川家の下屋敷があったところで、見事な庭木と、中央には回遊式泉水公園があり、鯉が雄大に泳いでいました。現在は、区立公園になっています。
公園を出ると、前に神田川の遊歩道(12:30)が続いています。ちょうど、本日、桜が満開になったようで、川沿いにお花見に繰り出した人たち。カメラで桜を撮る人や、昼時のサラリ ーマンやOL が飲食物を頬張る......。
何やら人だかりが見えます。椿山荘の裏手にあたるため、従業員が出入り口で案内およびお菓子の販売。荘内の庭園に立ち寄ってみると、桜をはじめ各種の木々が咲き乱れ、水車も回っていました。帰る時間の関係で、ちょっと見で遊歩道に戻り、関口芭蕉庵の前に行きましたが、中には入れませんでした。
その後は、江戸川公園を左に見ながら、満開になった桜並木の横を写真を撮りながら、お花見をして遊歩道をぶらぶら歩いて、江戸川橋の交差点へ。
そこから、東京メトロ東西線の「神楽坂」駅まで、歩き続けました。というのも、このあたりは、ハトちゃんが現役で編集の仕事をしていた際、相手の印刷所がこの地域に固まっていて、何度も足を運んでいたんです。歩いて行くと、このあたりのインクの匂いが、なぜか懐かしくなってきて、赤城神社に行く坂の途中の加賀屋(当時、仕事帰りにホッピーを飲んでいた)も当時のままでした。
当時は、仕事ばかりの人生で、こんな近くに、お花見スポットがあったことすら知りませんでした。
まだまだ、東京も捨てたものではありませんネ!
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