4月12日(火)少し風が強い中、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」では、定例の市外ウォーク(8km)。しかし、当日朝の千葉東方沖の震度4の余震のため、京成線などの私鉄が一時ストップ。集合時刻は9時30分でしたが、会員の到着を待って10分遅れで、神田先生を含め15名で出発。「船橋」駅からJR総武線快速電車で一駅の「市川」駅で下車。市川駅構内でトイレを済ませて駅北口から歩き出しました(10:07)。
ダイエー横を右折すると、レンガ敷きのアイアイロード(さまざまな飲食店で にぎわいを見せていて、歩道には、井岡俊子作『路ゆく旅びと』(上)と、中野滋作『 路上の楽隊』(下)という2つの野外彫刻が置かれています)を進み、京成「市川真間」駅に向かいました。駅西側の踏切を渡って、直進すると、T字路にぶつかります。右折して300mで桜土手公園沿いにいちかわ文学の道(10:30)が続きます。
ちょうど桜が満開で、花吹雪が舞う道を真間川まで、先生の案内で、市川にゆかりのある作家たちが紹介されている案内板(永井荷風、幸田露伴、北原白秋、三島由紀夫など)を順番に見ながら、ゆっくりと進みました。それにしても、桜が今週末には散ってしまうと思われたので、絶好のウォーキング・タイミングとなりました。市川が近代文学と関わりの深い町であることを、あらためて知りました。
桜土手公園を十分に堪能して、真間川の木の橋(最近では、あまり見られない)を渡って、川沿いの道を進みます。車や自転車が時折通って、そのたびに誰かが声をかけて、道の端に避けます。
向こう岸の真間川伝いにも桜並木が見えます。真間小学校を抜けて、信号を右折すると雰囲気が変一変。大門通とよばれ、道が細くなって、ちょっと、京都を思わせる石畳が。すぐ橋があり、右側に「つぎはし」の文字があります。真間の継橋(11:00)で、いわれは沢山の砂州があり、その州から州へのかけ橋が継橋だったと考えられていて、 万葉顕彰碑建立の縁となる読み人知らずの歌詞の一部に「真間の継橋やまず通わむ」と詠われているので有名になった橋。現在はコンクリートの橋に金属製の赤い欄干の小さな橋が架かってるだけです。
橋を渡って、直進すると、正面に弘法寺(ぐほうじ)が見えて来ます。もともとは行基が「求法寺」とし たのを、822年、弘法大師(真言宗)が再建し、真間山弘法寺に。その後、日蓮宗に改宗されて、現在に至っています。境内への正面石段の下から27段目にある石がそこだけ色が違っています。石段は千個以上の石からなりますが、この石だけ涙を流すかのように濡れ続けていて、涙石 と呼ばれています。
境内で目を引いたのが、推定樹齢約400年の枝垂れ桜で、名前が「伏姫桜」と命名されていて、花のピークは過ぎていましたが、まだきれいな花を楽しま せてくれて、後ろにある「ソメイヨシノ」との競演が観られて感激。
次に、先ほど継橋の右手に見えた手児奈霊堂に立ち寄りました。手児奈伝説(昔、絶世の美女で手児奈という娘が、詰め寄る男たちの争いを苦にして入水したのを人々が哀れんで祠を作った話)を山部赤人が万葉集で詠んだ歌で有名になりました。安産・子育ての女神。絵馬が黄緑色のハートの形をしていたのが印象的。
表札が個人名になっていたので、一瞬、間違えたのかと思ったところが亀井院(手児奈霊堂の北にある)で、北原白秋が暮らしたとされる宿坊を見学。また、裏手にある「真間の井」も見学。井戸の中は瓶形になっているそうで、そこから江戸時代は瓶井坊といわれ、 亀井院になったそうです。井戸の中は見られませんが、その手前の小さな池には、澄んだ水がこんこんと湧いています。
しばらく歩いて真間から国分町に入り、向かったのが下総国分寺跡(法隆寺に 代表される伽藍配置)(11:30)。現存する建物は江戸・明治以降に再建され、ちょうど、この日は境内の大樹をクレーンで剪定作業中。奈良時代の741年、聖武天皇の詔勅により、全国各地に「国分寺」および「国分尼寺」が建立されました。この千葉では上総、下総、安房の3国に。下総国分寺が市川市国分に建立されました。地名の国分もそれに由来しています。奈良時代には中央政府が地方を統治する象徴でしたが、鎌倉時代には新仏教の隆盛で、存在意義も薄れて衰退してしまいました。
次に、下総国分尼寺跡へ。下総国分寺門を出て左へ出て、最初の十字路を左折。和洋国府台女子中学校方向300m地点に、住宅地横に小さな公園が(11:45)。国分尼寺跡公園とあり、敷地内に、建物の礎石(東大寺様式)だけが点々とあり、古の文化がうかがえ ます。ここは、一人で歩くと、まず、見落としてしまう場所かも知れません。ここで先生から、残り3km(約1時間)で今回の最終ゴール中川宅(会員)までタイムスケジュールの打ち合わせ。
昼食を我慢して、じゅんさい池緑地へと足を運びます。ハトちゃんのお腹がグーグー鳴り出して、やばい状態。途中、坂ありで、急斜面に補強コンクリートの格子が見えて、ちょうど地震の心配もあり、高台の上の建物を心配する声も。「遊び危険」の立看板があるもののがけ崩れ感があり、急いで通過。また右手前方に、今回の大地震の被害で、外壁が崩れて、下の道路を塞いでいる危険な2階建てを発見。 地震の恐ろしさを、一同、あらためて痛感しました。途中、スカイツリーもかすかに見えました。
じゅんさい池緑地に着いたのが正午ちょうど。トイレ休憩後、緑木に覆われた池周辺(市民の憩いの 場所)を散策。渡り鳥(カモなど)も見られ、また風で舞い散った桜の花びらが水面に浮かんで、花いかだを演出。絶景も観られて、本当に歩いて来た甲斐がありました。
「国立国際医療センター国府台病院」前の道路に出ると、制服の生徒たちがいっぱい。病院前を横断して、里見公園(室町時代の古戦場跡)へ。東京医科歯科大学脇の道は、桜のトンネル。ここでも満開の花道を歩き進んで心地よい気分にひたりました。
トンネルの終点に、目の前に広がる黄色く彩られた花壇と噴水広場。その周囲に桜が満開に咲き誇っている、花見の名所でもある里見公園に到着。多くの花見客やくつろぐ人たちが訪れていました。黄色と桃色、そして空の青さの三層が見事にマッチして、すばらしい景色。
ところが公園内に入った途端、携帯の緊急地震速報が鳴り出して、地面が少々揺れました。また、先生から、里見という名の由来、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の話も聞きました。里見公園をゆっくり散策したかったのですが、時間の関係で短縮。
その後、まっすぐ江戸川堤に出ました。正面に、東京スカイツリーも見えました。先ほどのスカイツリーが右手から左手に見えたりもしました。右手の松戸方面に向かえば、矢切の渡しがありますが、次 の機会に回して、コースどおりの市川駅方面に向かいました。川幅が広いので歩いていて、とても開放された気分になりました。日よけが無いので、夏のウォークには不向きです。昨夏の猛暑下に水元公園へのウォークの大変さを思い出しました。まっすぐ歩いていても、川なので、結構、曲がりくねっています。最後に、ちょっと先生が寄り道をして、土手堤にある市川関所跡も見学できました。
土手を降りて数分で、今春、市川市に引越しされた、サークル仲間の中川さん宅に招かれて、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の1年間の活動の軌跡、各人の自己紹介・思いなど、乾杯、食事をしながら歓談して約2時間。交流を深め合 いました。また、この場所は、(有)老人介護情報センターhttp://www.happynew.jp/ が経営していて、2階に「市川レジデンス(高齢者円滑入居住宅)」、1階にコミュニテイの場としての「元気創造館(レストラン、兼 多目的ルーム)」があります。奥様やスタッフの方の、すばらしい作品を見ることができて、またシニア(中高年)の学校や各種教室などのお仕事に携わっておられることを知り、中川ご夫妻のお気持ちに触れられて大変に良かったと思います。
サークルが設立されて2年目に入ります。今後も、ウォーキングを通じて、健康を目指し、交流を深めて行けるようにみんなで頑張って行きましょう!
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