2011年5月アーカイブ

DSC03007.JPG東北大震災の影響で延び延びになっていた、第32回新京成沿線健康ハイキングが5月28日(土)、開催されました。あいにく、空は台風2号の影響で、雨模様。開催者発表では、いつも2千人以上の参加者が550名と寂しい人数でした、ハトちゃんは、前日までの義父の世話から開放されて、元気に参加しました。なお、今回で、健康ハイクは7回目の参加となりました。今回も参加記念に、とてもカラフルな記念バッチをもらいました。。

今回のコースは、松戸新田から松戸神社までの新緑コース(約13kmの長丁場)。新京成の「松戸新田」駅には、8時22分に到着。本日は受付の北仲町公園へ向かうウォーカーもいつもより少ない。受付をすませて、8時27分にスタートしました。

雨はほとんどあがっていたので、傘をささずに足慣らしの上、徐々にペースを上げて行きました。登り坂を上がると、広い通りに出ました。いつものように、船橋歩こう会の方々が、交通整理。挨拶をして、横断歩道を横切り、コースマップどおりに進むと、何やら白い煙突(高さ125m)の建物が。このあたりから、また小雨がしとしとと降って来ました。

和名ヶ谷クリーンセンター(8:42)敷地内には、さつきが咲き乱れていました。敷地内の遊歩道を通って、裏手から左折し、細い道を車に注意して直進し、角を曲がると、二十世紀公園(9:00)。ここは二十世紀梨発祥の地として有名。多くの面白いモニュメントがありました。 DSC03002.JPG確かに、このあたりの地名を見ると、たとえば二十世紀が丘梨元町といった具合に、町名に二十世紀が付いているのが目を惹きます。

次に、車の往来の多い広い通りに出て、ホンダ(自動車)の建物を過ぎて進んでいくと、目の前に森が見えて来ます。その丘陵地帯に入ると、小雨は避けられますが、薄暗く、気温も下がり少し肌寒い感じ。堀之内貝塚公園(9:07)内に入ると、一度、コース矢印を見失い、4人のウォーカーで道を探す場面も。

歴史博物館考古博物館の前を通って、やっと丘陵内を抜けて間もなく、また緑地が見えて来ます。アスレチック(遊具)が見えて来ますが、さすがに誰もいません。池で水草や生物を育てている水と緑の回廊があらわれます。

ここは、今年4月にウォーキングサークル「ゆうほ(友歩・遊歩)21」でも歩いた市川周辺コースでもある、じゅん菜池公園(9:25)。池では、カモが数羽泳いでいる、ほほえましい光景 DSC03011.JPGも。新緑の木々に囲ま DSC03010.JPGれた景色がすばらしく、市民の憩いの場にもなっています。

公園の入口付近でトイレ休憩。4月に歩いたコースと、同じ道で桜通りに出ました。先月は桜が満開で桜吹雪も見られましたが、通りは青葉がおおい茂って一変していました。前回歩いた際、目についた坂の上にあって被災した住宅・外壁は、まだブルーシートがかけられたままでした。里見公園(9:42)では、色とりどりのバラ DSC03019.JPGの花園がきれいで、芳醇な香りに満ち満ちていました。天候が悪くて、高台から観る景色は、眺望がききませんでした、残念!

一人バラの写真を撮って、コースに戻って歩いて行ったのですが、またも道に迷ってしまい、またバラ園脇に元の木阿弥。後から来たウォーカーと一緒に、やっと、天満宮横から国府台緑地方面に出られました。それにしても、案内の矢印が小さくて見難い場所にありました。

やっとスタートから 9kmの栗山浄水場(10:06)を金網越しに眺めながら、北総線のガードをくぐり、細い道づたいに妙法寺、西蓮寺があります。ここには、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の一節を刻んだ文学碑(10:17)があり、隣接している野菊苑展望台からの見晴らしは素晴らしく、矢切耕地、江戸川の流れ、遠方には東京の街並みが見渡せました。矢切神社を回って、国道298号上の長い歩道橋を渡って、上矢切の交差点に。

DSC03025.JPGそこから、エネオス、リブレ京成を曲がって、川萩公園を右に見て、ずーと、下って行くと、のトンネルをくぐり、JR常磐線の線路に沿って200mほど歩くと、道が狭くなり上り坂の右手に戸定が丘歴史公園(日本歴史公園100選、戸定邸は国の重要文化財指定。洋風を取り入れた庭園)の看板に続き、丘の上に歴史公園(10:46)の出入口が見えて来ます。

以前にも、『新京成のんびり途中下車(VOL.16)』http://www.shinkeisei.co.jp/pdf/area/nonbiri/nbr_vol16.pdf でウォーキングして園内に入ったことがあったのと、雨が降っていたので、先を急ぎました。

そして大通りから左折して真っ直ぐ進み、常磐線の下を階段を下って渡り、同様に階段を上がると、見慣れた社の、松戸神社(10:58)でゴールとなりました。結局、13kmを2時間30分で完歩して、 DSC03030.JPGゴールでしばし水分と軽食休憩。雨と汗で下着が濡れてしまったので着替えることに。神社横で、先に着替えていた男性を発見。帽子に新京成ウォークのバッチが8個ほど。私より先輩で、食べ物の交換までして、5/8白井市の北総ウォークの話をして、また再会を楽しみにお別れしました。

そこから、「松戸」駅までは、坂川沿いを歩いて、伊勢丹広場を抜けて、約5分で到着。11時34分発の新京成電車に乗って、家路を急ぎました。めったに雨には降られない晴れ男のハトちゃんでしたが、今回は仕方ありません。それでも、リフレッシュできて、全コースを傘をささずに歩けたので満足ですが、結構、道の滑るところが何箇所かあり、雨中のウォーキングは、足元が悪くて、苦手です。

本日(5/30)夜、NHKBSプレミアムでは、午前にスティーブ・マックイーンの作品「砲艦サンパウロ」が、また、午後10時からは、シガニー・ウィーバー主演「エイリアン」の放映と、自分が映画ファンだった頃の懐かしの作品が放映されて、再度、鑑賞しました。

1976(昭和51)年に、H大学に入社して3年目の4月から、子どもの頃から好きだった、映画館に通い始めました。というのも、先輩に映画の好きな方がいて、月末近くになると渋谷や新宿の各映画館の招待券を、「自分が行けないので、利用してくれ」と、ほとんど毎月、3,4枚はいただいて、「もったいないのと暇なので」行き始めたところ、凝り性のハトちゃんは、試写会の応募や土曜のオールナイトなど、結局、毎月15作品(ちなみに「ハトちゃんのブラ~リカレンダー(ブログ)」も毎月15回更新目標にしています)は必ず観るようになりました。

5年間ぐらいは、そのペースで、30歳になるまでは映画鑑賞が主な趣味でした。

当時、テレビの日曜映画劇場の解説で有名な淀川長冶さんのキャラクターと博識にも魅せられて、できる限り、生で観るようにしました。その頃は、ビデオもない時代。1回の鑑賞を余儀なくされていましたが、真剣に見ていたせいか、今でもあらすじや細かい場面、出演者などかなり鮮明に覚えています。

ハトちゃんが好きなジャンルは、洋画でSF、ヒューマンもの、恋愛映画はあまり好きではありません。

やはり、映画の特殊性を生かした作品で、脚本や監督の狙いが、ある程度理解できるものが印象に残りました。

好きな作品ベスト3は、第1位 「ターミネーター2」(アーノルド・シュワルツェネッガー)

              第2位 「ロード・オブ・ザ・リング3」(イライジャ・ウッド)

              第3位 「カット・スロット・アイランド」(ジーナ・デイビィス)

              特別賞 「ローマの休日」(オードリー・ヘップバーン)

なぜか、特別賞にはどうしてもヘップバーンの妖精のような可愛さを入れてしまいます。先日の同テレビ局の3作品(「シャレード」「パリで一緒に」「おしゃれ泥棒」)のヘップバーン特集は、あらためて彼女のオーラと好感度を認識しました。

また、男から見ても、トム・クルーズのマスク、アクションは格好良すぎます。

好きな俳優としては、マリリン・モンロー、ショーン・コネリー、ジャッキー・チェンなど。3人の出演映画は大部分、観ています。3人とも、ルックスが良くて、映画の登場人物にはまっていて、観客を飽きさせない演技が魅力的。

最近、BS放送が観れるようになったおかげで、昔の感動作品に、また出会うことができます。新聞の週間番組一覧が楽しみになって来ました。

DVDのレンタルを借りる手間も無くなり、自分のぺースで名作を鑑賞できて、良かったと思います。

一時期のアナログテレビの毎日どこかのチャンネルで、映画番組があった時代は過ぎ去り、BSで映画特集を組んで、視聴率が上がれば、また映画番組も増えるでしょう。

最後に、映画とはまったく関係ない話ですが、yahoo検索「ハトちゃん」で、念願のトップページの1番先頭に、小生のブログが載りました。これも、ひとえに読者の皆様の御蔭だと感謝しております。今後も、内容を充実して書きますので、よろしくお願いいたします。

後記:6月4日(土)にフジテレビで、第1位の「ターミネーター2」を観ましたが、テレビ用にカット(とくに前半の30分は、いきなりのシュワちゃんのジョンを助けるアクションシーンなど)やはり、映画館での鑑賞に限ることを実感。それでも、特撮やドキドキするカー・チェイス、ラストのサイボーグであるターミネーターの溶鉱炉に沈む、けなげな別れのシーンは何度見ても泣かせられます。 最高!

ハトちゃんが、ちょうど就職してから7年目にあたる年、1983(昭和58)年に歌「初恋」が大ヒットして、一躍有名になった、村下孝蔵(ホームページ http://www.wakuwaku.ne.jp/kozo/indexj.html)を知って、その澄んだ高音と叙情歌のメロディーに魅せられました。当初、実弟が村下さんのレコードをカセットでダビングして来て、それを借りて聴いているうちに、詩の内容や表現、メロディーがノスタルジー(郷愁)をともなって、自分の気持ちを和らげ温かくさせてくれる、今でいう「癒しの音楽」そのもので、自分の部屋で、何百回と繰り返し聞き続けていたものでした。

年代も同級生の1953年2月28日生まれで、話す雰囲気や実直な性格など、歌手というより、失礼ながらハトちゃんには朋友という感じでした。

あまり、テレビに出る機会が無かったので、余りライブのチケットを小生は買わなかったのですが、チケットぴあ で見つけては購入。地元八王子市民会館だけでなく、埼玉県まで出かけたものでした。

シンガーソングライターでもある村下孝蔵コンサートでは、ロックコンサートと違って、静かに楽曲を座って聴いて、また、村下さんの朴訥なしゃべり(純情少年という感じ)と、お地蔵さんバンド(村下さんいわく、いつも立って演奏するのと、おじさんバンドをかけて)の演奏、ハーモニーに酔いしれたものでした。

代表的な「初恋」、「踊り子」(これはハトちゃんのカラオケの定番曲、ちなみに同名曲(三浦洸一が歌う)の世代ではありませんヨ)、「歌人」、「春雨」、「約束」、「ゆうこ」、「陽だまり」など、どれも心に沁みる名曲ばかり。また、高校生で作った「挽歌」という曲も、その後のメロディーの草分け的作品で、村下さんの感性を知る上で、とても貴重な一曲です。ピアノやギターの絶妙な旋律は、耳に残る作品ばかりです。ハトちゃんが最も好きな曲は、長崎をモチーフにした「坂道から」という作品です。

コンサートでは、アコースティックギター一本での演奏、家が映画館をやっていた関係もあり、加山雄三やベンチャーズの影響を受けたとのこと、そういった曲も演奏して、楽しませてくれます。心から、歌手として尊敬し、その人柄に心酔していたのは、 で、その後は現れて来ていません。

「初恋」はコンサートのラストアンコール曲というパターンが多かったのですが、何度、聴いても心地よさが残りました。

一部の人は、村下作品を暗いイメージと言っていますが、小生には希望というテーマが感じられます。

ハトちゃんは、カラオケに行くと、必ず5曲は、彼の曲を歌いますが、最近はほとんど行っていないので、高音が苦しくなって出ないかも。当たり前ですネ。田舎出身の小生(茨城県生まれ)には、なぜか故郷を感じ、片思いや失恋経験が多かったこともあって、詩の内容が自分を投影化しているようで、よく理解できました。

先週の日曜から、義父の世話を自宅でやっている関係で、外出がほとんどできなくなって、家では、空き時間にブログと、村下孝蔵の曲をMDで聴いて、一瞬、青春時代にプレイバックした気分に。

東北大震災をはじめ、暗いニュースが多い中で、何か自分が若かりし頃の希望を思い出したようでした。

一時、身体をこわして、休業していましたが、復活してライブ活動を再開した時には、大変うれしくLPを買って、深夜、聴き惚れていました。

ハトちゃんが、ちょうど今から13年前に、入院していたベッドで、村下さんの訃報の新聞記事をで見て、愕然としたことを覚えています。1999(平成11)年6月24日に突然、帰らぬ人となってしまいました。

今年は、13回忌だそうですが、ちょうど関東地方も平年に比べ12日早い梅雨入り、なぜか村下節(ぶし)が聴きたくなったのは偶然でしょうか? 

義父の面倒を見始めてから、4日たちました。ハトちゃんの家に連れて来たときには、その前丸三日、食事をほとんど食べていなかったため、痩せ細ってしまい、その夜、点滴を2本、打ってだいぶ回復しだんだん水分や食事も摂れるようになって来ました。

人を観察していると、不思議なことがわかります。

具合の悪い時は、血圧も上が200を超えることがあり、情緒も不安定になることがありましたが、最近は、食事や水分を摂っているため、血圧も高くなく安定して、考え方が前向きになって来ました。認知のため、すぐ忘れてしまうことも多々ありますが、古い記憶はかなり鮮明に覚えていて、まともな話ができます。

もともと農家を義母と二人でやって生活していたので、贅沢はしていなかったので、我が家の料理をおいしく食べます。したがって、食べ物の心配はほとんどありません。

食べ始めると、あれほど食事を拒否していたのに、胃も大きくなって、普通食も食べ、「水、みず」と盛んに催促されます。自分から進んで飲むので一安心です。水分を摂るようになってから、老齢でしわだらけの皮膚のかさかさが、手足を触ってみると、少ししっとりした感じになって来たのは、当たり前ですが実感できます。

老人特有の頑固な性格も、相手の話をマンツーマンで十分に聴いて接すると、顔の表情も変わり穏やかな話し方になり、経験豊かな話も、ところどころ「人生訓」にもなっていて、聴いていて参考になることも。

話が長くなったり、繰り返しになるので、相槌を打って、半分ぐらい聞き流すと言う感じです。

足腰も筋肉が落ちてしまっていたので、上半身には、ハトちゃんが筋トレで利用しているのを思い出して、1㎏の軽いダンベルを左右10回を2セット、あと、本日(26日)は、脇を支えて400mほど歩いて家まで戻って来ました。非常にゆっくりしたペースなので、補助も時間がかかり、結構、大変ですが、本人は完歩できて、少し自信がついて来たようです。小生は大学生および社会人10年間、八王子で身体障害者とのボランティアをしていた頃の感覚がよみがえりました。個人個人に合わせていく、病院等の理学療法士の大変さがわかります。

本来であれば、明日(27日)は、ウォーキングサークル「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の月末定例会ですが、こういう状況なので、会長に不参加の電話を入れました。

28日(土)は、新京成沿線健康ハイキング。土、日のハトちゃんは義父の世話から解放されるので今から楽しみですが、天気が台風2号の影響で、心配です。

5月21日(土)に実家に義兄と二人、野菜栽培や草取りに行きました。というのも、今年1月末までは、妻の両親が曲がりなりにも健在で二人で農家をやっていて、野菜などの畑を作っていました。ところが、義母が脳梗塞で倒れ、片半身マヒとなり、ベッド生活。義父は昔気質の人で食事が自分で作れないため、相談した結果、グループホームの方に入所してもらいました。

入所後2ヵ月過ぎましたが、45kgあった体重が減り、われわれが行く前の食事も2日間食べないで、水分補給もだいぶ足りなかったため、脱水状態に。職員の話では、本人が団体生活になじめない状況になり、ストレス等も貯まってしまい、施設に迷惑をかける結果になっていました。21日に施設側に呼ばれて、祖父に会って見ると、10日前に会った時とはうって変わって激痩せ37kgに。手足や胸、そして頬も筋肉が落ち、骨と皮が目立ちました。今にも死にそうな病人みたいでした。

義兄がハトちゃんの妻(妹)と相談して、とりあえずしばらくの間、ハトちゃん宅に連れて来ました。

当日(22日)は、日曜で病院は休診が多い中、妻の以前勤めていた病院の救急外来に急行。脱水状況を、早く回復させるために、点滴を打つことになりました。

ハトちゃんは、前日の実家での農作業に続き、帰宅後、点滴の付添いを妻から頼まれ、18時から24時までの6時間お付き合いしました。認知症があるため、入院はできなかったので、妻の迎えで帰宅。

その深夜は、義父もぐったりしていたので朝5時まで起きることは無く、ハトちゃんは、0時30分帰宅後2時まで韓流テレビドラマを観ていました。早朝3時40分に起こされて約1時間、付き合って、その後はまた眠ってくれたので助かりました。いつも小生は早起きなので、23日早朝は苦にはなりませんでした。

妻が働いているため、ハトちゃんが義父の面倒を主として看ることになりました。

ただし、外出がほとんどできなくなり、認知症の義父との生活、それは、ある意味「闘い」です。同じ話の繰り返し、発せられる言葉の支離滅裂なこと、自分の思うとおりにならないと怒り出してしまうなど、本当に手がかかってしまい、眠っている以外は、行動を注視するなど、手の離せない赤子と同じで、かなりの忍耐が必要です。

妻が午前半休を取ってくれたため、雨模様でしたが外出して、1時間ほど勤労会館で筋トレでリフレッシュ。受付の小川さんに約2ヵ月ぶりに会って、声をかけていただきました。

トレッドミルで30分のウォーキング他、約1時間のメニューで終了、だいぶ気分転換できました。4日ぶりの筋トレでは、やはり少し体重が増えていました。できれば、2日に1回のペースが理想的です。

義父はといえば、24日は、水分も900mlを飲み、食事もお粥を自分から食べて、バナナも1本食べられたので回復の兆しが見えます。こちらは、週末のウォーキングサークル活動も、キャンセルせざるを得ませんが、ずーとこの状態が続かないと思いますので、とにかく義父との生活を頑張ってみます。義父が回復すれば、また好きなウォーキングやスポーツもできると思いますので......。

習志野市実花公民館事業のウォーキング講座の第2回が、5月19日(木)絶好のウォーキング日和の中、開催されました。4月30日(第1回)は、公民館内でウォーキングの基礎についての講義で、今日からが外出しての実践となりました。

9時30分に公民館に集合。前回欠席した方々の自己紹介に続き、神田先生の指導の下、参加者全員で準備ストレッチ後、今日のコースの概略が説明されました。「東習志野地区に残る歴史を訪ね DSC02969.JPGて歩く」コースで、歩行距離が約6.5km。スタート DSC02997.JPG前に、実花小学校と公民館の間にある、ゆりの大木に黄色い花が咲いていました。

先生を先頭に、30名ほどの参加者が通常二列で、細い道路は一列で歩いて行きます。思い思いの服装とリュックを背負って、ゆっくりしたペース(時速4.0~4.5km)で、おしゃべりをしながらのウォークとなりました。           

最初に行ったところが、東習志野6丁目の滝沢家の庭にあるトーチカ(9:55~10:05)(旧陸軍のコンクリートで堅固に固めた要塞で中に銃火器などを備えていたもの)。 DSC02972.JPG時代考証は、日清戦争か日露戦争かのどちらかという説。船橋市に史料があったとのこと。幅2~3mぐらいで、草が生えているが、頑丈そうで、民家の庭にある貴重なものを拝見できました。また、約100m離れた場所にも、同じトーチカ(こちらは少し小さめで、穴の方向が違う)がもう一基ありました。この近辺に4基あるそうです。

いったん戻って、マラソン道路の愛宕橋から、八千代方面に進みます。マラソン道路(ハミングロード)は、もともと陸軍の鉄道連隊演習用線路で、高層マンションの「ユトリシア」(もとは演習地で川鉄鋼板、そして現在に至る)前に陸軍の演習鉄道跡の記念碑およびマラソンの有森裕子の足形碑を見て、ユトリシアの敷地内からの近道(自転車用のかまぼこ型の道路を登って降りたりしました)で「ブレーメン習志野」(10:30~45)(1階に東習志野ヘルスステーション DSC02983.JPG併設)に立ち寄りました。

そこでトイレ休憩と5月1日から始まった「習志野を歩こうキャンペーン」のスタンプを押して、また山口所長、職員の方からキャンペーンの紹介や資料が配布されました。何でも「ブレーメン習志野」は、ゆりかごから墓場までという言葉にあるように、「地域社会づくり モデル事業第1号」の地域住民交流のための拠点施設で、堂本元知事の平成21年8月1 日オープン。

次にドイツ人捕虜収容所オーケストラの記念碑(10:58)がある公園に。習志野の地が、江戸時代は牧草地として利用され、明治時代に陸軍の演習地になり、将兵の宿泊のための廠舎が建っていたとのこと。当時の住民千人に対し、日露戦争時のロシア将兵1万4千人、第一次世界大戦時にはドイツ兵捕虜5~6千人がいて、音楽会などをやっていたそうです。太平洋戦争での日本の捕虜の取り扱いとは、だいぶ違って交流があったようです。

東部体育館脇を通って、まず左手に旧陸軍の厨房棟で煙出しの付いている建物(11:00)が残っていました。マラソン道路に出る少し手前に、支那囲壁砲台のある民家(4丁目国吉家)(11:09)に寄りまDSC02988.JPGした(国の登録有形文化財に指定)。3月のウォークでは、外観だけを見ましたが、今回は DSC02989.JPG御好意で特別に中に入らせていただきました。1934(昭9)年に工兵37名で旧日本軍の中国大陸進攻の演習用に建てられたもので、壁に銃眼、壁の内側の高いところに「囲壁」の文字が刻まれていて、目を見張りました。参加者のだれも、市内にこんな貴重な場所があることの新発見に、驚いていました。

ほんの少し先には、住宅横からしか見えないのですが、小高い丘が見えました。御野立所跡(11:23)で、戦後、昭和天皇が御巡幸で、外地からの引揚者や開拓者を励ました場所がありました。

かなり暑くなってきて、汗がにじんで来ましたが、日立製作所と八千代市との境の広い道路から、松の木立ちの中に入り、ひんやりした感じ。緑濃い実花緑地公園(11:30)です。道路に沿って少し下がっているので見落としがちですが避暑にはもってこいです。

「イトーヨーカドー」を左折すると、通称、買い物道路。今日のコースではありませんが、直進すると市立習志野高校野球部グラウンド(前日、今春の関東大会で優勝。夏の全国大会千葉県代表に期待がかかります)。右手には開発後の工場誘致で、日鐵工業や鈴木金属工業などの工場が立ち並びます。約400mほど歩いて、鈴木金属工業敷地内の道路際に号砲台跡(号砲は別名ドンという。土曜の半ドンは正午の号砲から由来)(11:45)。              

DSC02994.JPG最後に、「イオン・Mr.Max」を通り過ぎて右折し200mほどで、スタート・ゴール地点の公民館前にちょうど12時に到着。水分補給後、集合し足の整理ストレッチをしました。

今回がウォーキング講座での初の実践ウォーキングだったので、途中、前に追いつくため、斜め横断があった点だけは、先生から安全のため、次回からはしないように注意されました。

次回からはもっと気楽に交流しながら歩けると思います。6月16日(木)が今から楽しみです。

昨18日(水)、前日の不安定な曇りから雨を避けて、実家に植木の剪定作業に行って来ました。3日前の日曜、ウォーキングイベント(立川→西武ドーム)に参加のため、朝の1時間だけやりましたが、刈り終えていなかったのです。

昨日、JR中央線に乗った際、珍事に遭いました。というのも、一駅で線路内に人が入ったとの車内アナウンスがあり、すぐにまた別の駅で人の侵入があり、またも電車が停止になり、9分ほど遅延しました。二度も線路内に人が入ったのです。正直、その程度の遅れで済んで良かったです。

予定より遅れて実家に到着。午前中、1時間のみの作業。母のためにヘルパーさん(週5日、別の方)が来ています。ちょうど、脚立の上で作業をしていたところ、担当時間を終えて帰る際に声をかけられました。

というのも、小生の「中学時代の同級生Fさんが、ハトちゃんのことを知っているとのこと」。最初に、名前で言われたので判らなかったのですが、旧姓を聞き、思い出しました。中学、高校と一緒だった女の子です。

旦那さんは、もっと知っていて、同じクラスでハトちゃんも当時背が高いほうで、後ろから3番目くらいでした。彼とは朝礼時にも一緒にいて、勉強の成績や学級委員、他体育祭のリレーや100m走でいつもライバルとして、かなり意識した存在でした。勉強については、いつも負けていましたが、2年生のとき体育祭で、100m走でハトちゃんが彼に勝ったとき、クラス対抗リレーで、リレーのメンバーを譲ってくれた思い出があります。当時、彼は陸上部の長距離をやっていて、そんな彼に勝つために、先行逃げ切りのスタート練習を、体育祭前に一人黙々とやった記憶が蘇って来ました。

彼女も成績優秀で、背が高くてきれいなタイプでしたが、風のたよりに地元の八王子で二人が結婚したことを聞いていました。

まさか、本日、ヘルパーさんから同級生の話題を聞けるとは思っても見ませんでした。

午後3時過ぎに剪定・草取りを終えて帰り支度をしていたところ、玄関で「ピンポーン」と言う音が。近所のⅠさんが久しぶりに母を訪ねて来ました。こちらも、中学時代の同級生(男子)のお母さん。挨拶して、息子さんの近況を聞きました。自分もウォーキング等で元気にやっていると話し、しばし歓談。

何と、本日は、中学時代の同級生の話題が続くことか?

 

懐かしさもあって、いつか会ってみたい気がしました。お互いに年をとりましたが、中学時代の純真な時代のできごとも思い出してみたくなりました。

こんな気持ちになるのも、定年退職して、自分の人生を振り返る余裕ができて来たのかも。年をとると同窓会に出てみたいという心境が、この頃、よくわかります。

仕事に追われて、友人関係、学校関係をご無沙汰していた自分の、青春の一ページにもう一度触れられればと思った次第です。

前日、八王子の実家に泊って、5月15日(日)に中央線で15分ほどのJR中央線、立川駅に9時15分に到着。リックを背負ったウォーカーたちが、受付を済ませて次々と出発。ハトちゃんも後に続いてスタート。

立川駅北口から歩道橋の上を歩いて、右手に多摩モノレールの駅を初めて眺めて進むと、階段を下りて間もなく、昭和記念公園あけぼの口前(9:18)を通過。モノレールと平行した広い道路を直進。15分ほどで左に立派な自治大学(9:27)の建物。休日なので、 DSC02896.JPG学生の姿は見えません。東京地方裁判所前を左折し、3分ほどで立川市役所の建物、駐車場に。昔、友達の家に行った頃の面影は無く、都市計画事業でかなり整備されていて、景色も一変していました。

その横を通って、砂川五差路(9:45)で信号待ち。信号を渡り右折後、直進。砂川五番あたりから道幅が狭くなって来ました。コンビ二横を通る頃には、少し歩くスピードも速くなって、軽快な速度(約6km)で、進みます。気温が上がり、汗でビッショリ。何やら前方に緑の木立が見えて来て、千手小橋(9:55)で川のせせらぎが。

やっと玉川上水にぶつかり、約600mほど上水緑道を歩きます。木漏れ日の中、緑道はひんやりと DSC02898.JPG涼しく感じられ、一服の清涼剤に。土の道には、あちこちで木の根っこもあり、油断するとつまづきます。道幅が狭く、参加者が多いので、横の道から、ハトちゃんは先を急ぎました。

金比羅橋で緑道とはお別れ。右折し西武拝島線踏切で電車の通過待ちに。踏切を渡ってから、東航通りを進み、突き当りを右に曲がると道が急に細くなり、車の往来に注意しながら湖南菖蒲園前へ。

間もなく武蔵村山市の大南公園(10:25)(遊具で遊ぶ家族連れや、野球グラウンドやテニスコートでスポーツを楽しむ姿も)の中を歩いて道路に戻ると、そこからはかなり強い日差しの中、約1kmほど、直進。右側には畑の田園風景も少し見られました。

DSC02908.JPG東大和警察署の前を通過し新青梅街道を横切ると、道が狭くなり、上砂橋で、ハトちゃんの前を歩く、速いウォーカー(30代の若者)がリュックに5、60個の缶バッチを付けていました。それを感心しながら眺めて、10分ほど付い DSC02910.JPGて歩きましたが、芋窪あたりで、さすがに若いので、追い付けなくなりました。

前の小高い丘の上に豊鹿島神社(10:47)があり、3分休憩し、水分補給とシューズのヒモを締め直します。裏手の階段を上ってほんの少しで下りの階段になり、降りるといきなり展望が開けて DSC02911.JPGきます。村山上ダムで、下の広場の道からは満々と水を蓄えている多摩湖(村山下貯水池が右前方に)の眺望が。遠くに、西武遊園地の観覧車も見えます。

DSC02913.JPG湖の景色を眺めてデジカメを撮っていると、何やら前方から、大きな声が。近づいて階段を上がると、「第13回国際バラとガーデニングショウhttp://www.bara21.jp/index.html の来訪者の駐車場満車のアナウンス。

ゴールは間近です。車の横を歩道に沿って下っていくと、ゴールが変更されて、道の反対側になっていました(11:15)。12.5kmの長丁場でしたが、2時間弱でゴール。受付で、記念の缶バッチと資料をもらい、さらに、前から一度来て見たかったことと、ウォーカーのみの特典で「国際バラ展」の入場料が当日2,000円のところ500円で入場できるというラッキーが重なり、早速、バラ展に向かいました。

会場の西武ドームに来たのも初めてでしたが、たくさんの人が来場し、色とりどりと形状の趣きがある DSC02923.JPG DSC02924.JPG DSC02937.JPG魅惑のバラのすばらしさと何種類もの臭い、花いっぱいで工夫されたガーデニングに魅了されてしまいました。綺麗なバラに囲まれた庭をうらやましく思いました。

イベントやコンテスト、ガーデニングの実体験(トトロの森)やテーマガーデンにはカメラの撮影および黒 DSC02949.JPG DSC02957.JPG山の人が集まり、かなりの混雑ぶりでした。今回の入場者数は、21万9千人を超えたそうです。小生も人を掻き分けて、写真をたくさん DSC02935.JPG撮りました。

習志野まで帰らなければならないので、名残り惜しかったのですが、花の観賞を1時間ほどで切り上げて、バラの芳しい香りと約100万輪のバラを観れたことに感謝して、家路を急ぎました。

来年も、この企画ウォークには、ぜひ参加しようと思っています。本当に、有意義な一石二鳥のウォーキングで大満足でした。

日曜は、今年度に入っての初のJRウォーク。この模様は、次回に報告いたします。

本日(5/16)は、昨年9月上旬~10月上旬の1ヵ月、胆のうの手術で入院していた病院の草取りに行って来ました。

入院時にも散歩していた際、ハトちゃんも気がついていたのですが、前々から院内の周囲にあるツツジの下に、ツタがびっしり生えていて、結構、うっそうとしていて美観を損ねていました。

それで、その病院の友の会に、「退院したら植木の剪定や草取りをやらせてほしい」と話していました。妻が看護師で、その病院に長年勤務(現在は、地元の訪問看護ステーション)していた関係で、今でもハトちゃんは、通院しています。

20年来、医師や看護師他、事務や友の会の方ともいろいろな場で、お世話になっています。年に2回ほどの「さわやか健康ウォーク」も2回ほど参加させていただき、大変、楽しい語らい・交流を続けています。

先週の金曜日に、突然、事務の女性から、別の件で電話があって近況を話しているとき、ここ2,3日家で芝生の草取りをしていると話すと、たまたま16日の月曜に病院で草取りを実施するとのことを聞き、ぜひボランティアをしたいと。喜んで、引き受けた次第です。

9時30分に病院に行くと、花クラブの方々が、花壇の雑草取りや花を束ねていました。今日はそれかと思いきや、事務局に着いて、聞いてみると、別件で10時からの開始で、ハトちゃんが以前気にしていた箇所でした。

道具と軍手、マスクをして、12~3名で各自持ち場について、一斉に開始。ツタは何年も放置していたので、なかなか抜けずに、途中で根を切りきり、悪戦苦闘。ゴミの空き缶や紙くず、果ては消火器まで出てくる始末。見えないところに、つい、ポイ捨ての心理が働くんですネ。

汗を拭きふき、土まみれになりながら、進みます。ツタの量は半端じゃありません。あっという間に大きな70ℓ のゴミ袋がたまっていきます。やっと、1時間ほどで、冷たいお茶で休憩。

5分後、再開され、だんだん要領を覚えて来たので、作業ピッチが上がります。今度は応援部隊も加わり、植え込みの中は、見る見るうちに綺麗になっていきました。

ちょうど12時前で作業は終了。ゴミ袋は全部で20個を超え、道具と軍手などをはずして片付けに入りました。自分の場所は見ていましたが、みんなでやったのは2時間足らず。改めて見ると、全体の DSC02966.JPG植え込みの美観は見違え、やり終えた皆さんも満足顔で、病院のイメージアップに一役買いました。

昼食を食べながらの反省会では、木枝を結わくヒモをもらいに行った時に、近所の人が、「大変綺麗になって良かったですね」と言ってくれたそうです。

まだやれていない場所があるそうなので、次回にも声をかけてもらうようにお願いしてきました。なお、昼食の席上、花クラブの月1回の活動に誘われて、ハトちゃんは、昨日、西武ドームで美しいバラを観て来たこともあり、ご一緒することにしました。

また、楽しみが一つ増えました!

先日の東北大震災の影響で、一時、食料品や飲料の買い占めがあり、現在は収まって来ていますが、節電は続いています。今夏の電力不足には、危機感さえ漂っています。しかし、電車などの車内照明、構内のエスカレータの制限・停止は、電力不足のためには、我慢できる範囲です。諸外国に比べても夜の町並みは明る過ぎるとも言われてきました。小生は同じような経験をして来たので、省エネは当たり前だと思います。資源には限度があるので、リサイクルは進んで実行しています。

というのも、小生が大学2年の1973(昭和48)年、第一次オイルショックがあって、テレビの深夜放送の打切りや、トイレットペーパー、洗剤の買占め、デパートのエスカレーター運転停止、ネオンサインの早期消灯などの社会現象がありました。その時は、中東の原油価格の高騰により、日本は多大な影響を受けてしまい、総需要抑制政策に基づいて省エネルギー技術の研究開発への促進の契機となりました。

中東の石油に極端に依存していることが明白となり、中東以外での新しい油田開発、調査が積極的に行われるようになりました。原子力風力太陽光など非石油エネルギーの活用の模索が始まりました。その後、日本はエネルギー対策として、皮肉にも原子力開発を推進する結果となりました。

前から、原発の安全性には多くの疑問がありましたが、コストが安価なことから、各電力会社と国の政策として、次々と原発を建設し、稼動して来ました。現在は、電力全体の約30%を占めています。

 

わが国は地震国であることを軽んじて来た結果、今回の東北大震災で、福島第一原発事故。想定外の規模と関係者は言わていますが、その地域の多くの人々が、震災2カ月後でも、まだ避難所から帰れずじまい。一部の村民の帰宅も防護服着用でわずか2時間、一袋の持ち帰りのみというのは、何のための一時帰宅か、筆舌に尽くしがたい状況です。

原発があったことだけで、何の関係も無い人々が避難所で今も苦労して生活している現実は、本当に一日でも早く収束させなければ、可愛そうだと思います。

今日の夕刊では、またも「水位の低下で、1号機の燃料棒全露出か―」という記事があり、今後の収束への見通しに、暗雲が漂って来ます。現場では懸命な作業で、最善策を講じているのでしょうが、あまりにも事故が複雑すぎて、新たな事実が発覚し、素人から見て、何か事故対策に抜けがあるような気がしてなりません。

補償問題も大事でしょうが、早くふるさと、自宅に帰れて、復興、生活できるように東電はもちろん、国が先頭になって、全力をあげてもらいたい。また、今後のエネルギー政策は、原発の安全性を厳密に検証して、事故を防ぐ手段を講じても安全ではないこと、事故が起こった時の多大な被災が深刻なことを考慮して別のエネルギーを模索すべきです。

5月10日(火)蒸し暑い中を午後からの雨の予報を気にしながら「ゆうほ(友歩・遊歩)21」では、定例の市外ウォーク(6km)。今回は、天候の心配もありましたが、短い歩行距離。京成船橋駅構内に9時30分集合。今回は、神田先生を含め16名で出発。「京成船橋」駅から京成線。珍しいことに一番後ろが行商専用車と乗り合わせ「関谷」で乗り換え、歩いてすぐの東武伊勢崎線「牛田」から「草加」駅まで約1時間。思っていた以上に、早く到着しました(10:30)。

駅ビルでトイレをすませて待つ間、食料品街のフロアーには、草加の特産品「せんべい」やうまいものを販売中。10時40分のスタートで、まず駅前広場に「おせんさんの像」(せんべいを焼く女性のブロンズ像)が目を惹き、草加市のシンボルとなっています。団体行動で、先を急ぐので、買うまでは無理でした。外に出て、300mほど歩いて先生の先導で右折し200mほどで、旧日光街道に出ました。また、市役所裏には草加宿の入口、浅古屋の地蔵堂がありました。 DSC02816.JPGここから、車(それほど多くない)に注意し、道の左側を進みました。何やら、黒光りして趣きのある浅古正三家の建物、その先に藤城家など、江戸時代の旅籠を DSC02820.JPG中心に、栄えた宿場町の名残りが見られます。

街道からいったん分かれて、鉄道沿いに「草加市立歴史博物館」が。建物 は、県下初の鉄筋コンクリート造りの、草加小学校校舎を改修。 DSC02833.JPG耐震・耐火を採用し国の登録文化財になっています。今回の地震でも耐震性が証明されたそうです。館内は2階まで展示室になっていて、草加市の郷土から出土された土器・舟、せんべいの製造具、神楽の面、大川(中)家のゆかりの品、松尾芭蕉の紹介コーナー、2階では「五月人形と吊し飾り」特別展が開催されていました。短時間にもかかわらず、館内を案内し DSC02839.JPGていただき、熱心な説明を受けました(11:10~30)。本当にありがとうございました。

街道に戻ると、源兵衛せんベいに立ち寄って、焼き たての DSC02845.JPGせんべいをお土産に。店内は、せんべいの香ばしい臭いが漂う。焼きたてのせんべいを試食。まだ暖かくて、醤油の味付けは、それほどしょっぱくはありません。

草加宿の開祖・大川図書が創設し、僧賢宥が開山されたという東福寺(11:45)。ここでは鐘楼が情緒がありました。参拝後、街道に戻って角におせん公 DSC02847.JPGへ。せんべい発祥の 地の記念碑があり、「おせん公園」の文字を刻んだ御影石があります。広い道路を渡ると、前に東屋が。札場河岸公園に到着。ちょうど12時になったので、昼食タイム(12:00~20)。やっと、腹ごしらえができ、少し元気が戻ってきました。

公園内から河岸にかけては、草加の松林が続きます。また、望楼からは、綾瀬川が目の前にゆったりと流れています。先生から「草加」の名前の由来(湿地帯を埋め立て、草を加えて開墾)を聞き、感心しきり。

かつて舟運で隆盛を極めた綾瀬川、札場河岸。現在は舟着き場の石段を復元した公園として整備され、五角形の望楼のほか、この地を訪れた芭蕉の像(顔の向きは江戸へ DSC02859.JPG向いている)や正岡子規の句碑なども建てられています。

「その日やうやう草加といふ宿にたどり着きにけり」と『おくのほそ道』に記した松尾芭蕉。 この旧日光街道沿いの「草加松原」、ここから綾瀬川河岸に沿っての DSC02869.JPG遊歩道を一直線に進みます。この遊歩道は。「日本の道百選」にも選ばれているほど、景色がすばらしく新緑がまぶしい。そして「矢立橋」の太鼓橋を登って下る DSC02864.JPGと、何か江戸時代の大名行列の感じが。しばらくして、小さなハーブ(楽器)の形を橋の欄干に据えられたハーブ橋に。対岸には綾瀬川左岸広場が続きます。さらに進む DSC02873.JPGと、また、同じ太鼓型の橋が見えてきます。「百代橋」(12:45)で、名前の由来は、芭蕉の「おくの細道」にちなんでいるとか。

せせらぎゾーン(じゃぶじゃぶ池、せせらぎがある)を越えて、高速道路ガード下をいつの間にかすり抜け、旭町1丁目の1.5kmの松原の並木道も終点。最後のスポットの藤助河岸・一里塚へ。当時の河岸場が復元されていて、また、蒲 DSC02881.JPG生愛宕神社の現存する日光街道一里塚を見学。蒲生大橋(13:15)を渡って、信号待ちの長かった歩道を横切り、新田ふれあいロード商店街へ。そして「新田」駅に到着(13:30)。心配された雨にも降られず、早めの終了となりました。

今回は、東武伊勢崎線の「草加」駅から二つ先の「新田」駅への代表的なウォーキングコースでしたが、歴史と文化の町、草加には、まだまだ綾瀬川エリア、谷塚エリア、葛西用水エリア、柿木そうか公園エリアなど、楽しみなコースもあります。とても1回では、満喫できません。習志野からも比較的近いので、別の機会に「草加」 DSC02867.JPGを散策したいと思います。

帰りも同じ経路で地元習志野まで戻ってきたのですが、先生も含め、有志の皆さんは寄り道して一杯やるというので、途中で別れました。何時まで反省会をしたのかは、定かではありません。

今回も、新たな参加者が増えましたが、みんな明るく、あまり時間に捉われずに、個性的な関係が続けられていて、次のウォーキングがつい楽しみになって来ています。

ゴールデンウィーク最終日の5月8日(日)は、絶好の行楽日和。初めての北総線に乗って、第25回北総ウォークに参加しました。今回のコースは、西白井駅をスタートして、千葉ニュータウンを抜け、七福神菖蒲まつりが開催される来迎寺・折立菖蒲園や歴史ある神社仏閣と白井市の梨畑・田んぼのある自然を歩き、白井市文化センターまでの約12kmです。

受付時間は9時からでしたが、15分前に西白井駅北口ロータリーに到着。すると、すでに受付を待つ人たちで、ロータリーの半周ほどの長い列。受付5分前にはロータリー1周 DSC02760.JPGになるほどの長蛇の列。何でも、毎回1500人を超えるほどの盛況ぶり。運賃が高いので有名な北総鉄道も、この盛況ぶりにホクホク顔でしょう。ちょうど9時のスタート。久しぶりに、多人数で歩き始めました。

最初は、公園脇を通って、新緑のまぶしい木立の中をレンガ敷きの道をゆっくりと進みます。とても歩きやすい感じ。10人以上の団体や家族連れ、夫婦など、参加者はバラエティーに溢れています。周りの景色を見ながら、ここに住んでいる人たちの散歩コースをうらやましく思う。ジョギングや散歩をしている人とすれ違いました。

右手に七次川調整池(9:05)が見えてきました。テニスコートもあって練習中の光景も。そこからは同じような木立ちの中を日差しを避けながら、ほぼ同じペースで人の後に付いて行きました。横断歩 DSC02763.JPG道では、北総の社員の方でしょうか、同じユニフォームの方が交通整理。

15分ほど歩いたところで、七次第二公園にぶつかり、そこを右折すると、愛宕神社に。境内をちょっと参拝。神社を過ぎると、下り坂になり、 DSC02769.JPG神崎川に沿って野口橋から所沢小橋まで進むと、 間もなく左手に 鷲神社(9:32)。石段の下に市内で二番目に古い石造の鳥居があり、境内には入らず、そこから写真をパチリ。

道幅の広い国道16号に出ると、車の往来が多くなりました。歩道が無い左側にそって車に注意して進む。信号三つ目を右に入ると、県道280号に。 DSC02781.JPG左右に梨園(県下一の生産量)が続く。7,8分歩くと、何やら太鼓の音色とにぎやかな声が。左側に来迎寺(9:48~)(しろい七福神:布袋尊)。イチョウの DSC02787.JPG巨木が目を惹きました。「しろい七福神まつり」が開催されていて、境内の前両側で、歌謡ショーや飲食物や、地元の野菜、特産品などの販売などが行われ、小生はポケットティシュをいただきました。道の反対側の折立菖蒲園では、見頃を迎えた紫色の菖蒲が咲き誇り、 DSC02783.JPGカメラで撮る人や観賞する人でにぎわっていました。

ひと通り、菖蒲を観賞した後は、林のそばを通って、白井ののどかな里山・田園風景(田んぼ・畑)が続き、途中に馬が餌を食む 姿にも出会いました。神崎川の折立橋 DSC02772.JPG(10:07)を渡って、また川沿いに延々と歩いて行きました。約4km田んぼ・神崎川の土手を歩いた後、右折、左折を繰り返すと秋本寺(10:38)(七福神:毘沙門天)。距離にして、スタートから8.8km。結構、足が DSC02797.JPGれて来ました。トイレ休憩をし ました。

境内を見た後、県道189号の押し信号を横切る際、係員から「あと少しですから、頑張ってください」の掛け声。滴る汗を拭いながら、力がみなぎります。

国道16号のガード下をくぐり、熊野神社(10:55)を経て、佛法寺(11:00)(七福神:寿老人)へ。あと1kmに差し掛かって、ラストの踏ん張り。

ゴールの白井市役所の建物が正面に見えて来てからは、足取りも軽くなり、右折すると、前方からゴールした人とすれ違い、間もなく白井市文化センターでゴール。 DSC02811.JPG完歩証(B6判)や、その他、記念品と飲み物、菖蒲の種をもらいました。

初の北総ウォークは、暑さと距離の長さと人の多さにビックリしました。白井駅まで15分ほど歩いて、結局、合せて13kmを歩きました。交通整理や受付のスタッフの皆様の心遣いが印象的。お疲れ様でした。とても良かったので次回も参加したいと考えています。

5月8日の日曜は、ハトちゃんは「北総鉄道のほくそうウォーク」に参加しました(次回のブログで紹介)。何しろ、今年一番の気温で暑かったです。

約13kmを歩いて、午後1時前に帰宅し、その後いつも行く東部体育館(習志野市)の筋トレでストレッチを中心に1時間、筋肉をほぐしてあげました。Tシャツに汗をひとしきりかいて、かえってすがすがしい気分になりました。不思議なもので、歩いた直後には、ふくらはぎや足先が張って、だいぶ痛かったのですが、帰る頃には、ランニングマシーンでゆっくり目に歩いたのも良くなりました。

また、筋トレ最中に、勤労会館で以前、その人にあった運動を勧めた初老の男性に声をかけられました。その後の練習成果を尋ね、この筋トレ室でも体力チェックができることを教えてあげました。歩くことに真剣な彼氏は、短期間の体力の向上の方法を聞いてきました。ハトちゃんは「継続は力なり」という精神を強調し、できるだけ都合をつけて、続けて筋トレに来ることを話して、自分の筋トレを先に終えました。

 

当日は、妻が一人で、前日の小雨模様を避けて、日光の鳴虫山にヤシオツツジを観に、登山に行っていました。19時過ぎに、携帯から電話で、「いま最寄り駅に着いて、これから帰ります」という電話がありました。いつもは一人で自宅まで10分ほどで歩いて帰るのですが、「そういえば本日は母の日である」ことを思い出し、少し遅れて黙って家を出て、チャリンコに乗って迎えに行きました。駅方向から歩いて来る人は4,5人と少ない状況。しばらく時間が過ぎ、とっくに会っても良いのに、なかなか来ません。

外はまだ薄暗いのですが、顔の判別ができるほどで街灯も結構あります。駅近くの十字路まで行ってから、「そういえば今日はチャリンコで出かけていた」ことを思い出し、別の道で帰って来るかも知れないと思い、急遽、家に戻った次第です。

家に帰ると、案の定、妻と息子が帰って来ていて、「お父さん、何してるの?迎えに来たの?」と言われ、不思議な様子でこちらを見ています。

息子から、「チャリンコですれ違ったのに、お父さんは素知らぬ顔で、通り過ぎて行ったとのこと。それもハトちゃんは左側走行で、息子は右側走行。正面で出くわしたのに。息子は間違い無いと思ったけれど、夜で、人違いだとまずいので声をかけなかったとのこと。

もっと、ひどいのは、妻は家から400mのすぐの所で遭ったはずなのに、それも見送り。妻からは、迎えに来るはずがないので、わからなかったとのこと。

小生は、端(はな)から「歩いて帰って来るという先入観」に捕らわれていて、歩いている人だけを眼で追っていました。それも近眼のメガネをかけて良く見えていたはずなのに、結局、徒労に終わってしまったのでした。

家族みんなに笑われる結果になってしまい、せっかくの気遣いもパー。ふだん、やらないことをやると、あまり上手くいかないですね。

とんだ母の日になってしまいました。

23歳でH大学の事務職員となってから、仕事以外では、就職1年目は近所の息子さんの受験勉強の手伝い(無報酬)、2年目はタバコの臭いも何のその、パチンコ店通い、3~6年目は映画鑑賞(月平均15本で洋画が大部分で、試写会にも応募ハガキで当選)に明け暮れ、その後、土・日曜は東京の町・名所・旧跡、公園などを散策して、ガイドマップを片手に探索・発見を続けていました。

また、学生時代に社会福祉・社会保障のゼミに所属していた関係で、大学2年(19歳)から、地元、八王子で障害者ボランティアを16年ほど携わっていたこともありました。

当時は、まだ、駅でも昇降エレベーターやエスカレーターも無い時代で、車椅子で外出する際にも、歩道の段差や車いす用トイレもまだ少なくて、移動・外出時に苦労した思い出があります。障害者の社会進出もなかなか難しい時代でした。

ハトちゃんは、若いころは、「へたの横好き」で結構、好奇心が多かったので、いろいろなことにチャレンジ。

今でこそ韓流時代劇とウォーキングにどっぷり浸かっていますが、1987(昭和52)年、35歳の時、初めて同じ職場の先輩女性に声をかけられて、宝塚を観に行きました。

新入社員で就職した時に、広報部で「社内報」「月刊誌」「入学広報誌」などの作成をその方に教えていただき、初の角川春樹氏の映画「犬神家の一族」を観に連れて行ってくれました。10年後、別の職場で一緒に仕事をするようになり、たまたま話をしていたら、宝塚の大ファンで、毎回、チケットを購入して、同公演に3回も行くとのことを聞き、とりあえず一度だけ、何の知識も無く入場しました。

宝塚は、女性だけの出演者で、当時は4組(月・花・星・雪組、後に宙組が追加)で、最初に観たのが月組のトップスター、剣 幸、こだま 愛 主演の「ミー・アンド・マイガール」でした。華やかな世界で、きりっとした男役を演じる格好良さと、可愛い娘役の可憐さにうっとりして感動しました。ただし、観客の95%は女性で、観客席では男性はほとんどいません。正直、別世界という感じでしたが、なぜか小生はあまり気にならなかったのです。

〔ロンドンの下町・ランベスで育った名門貴族の御落胤を、跡継ぎとして一人前の紳士に仕立てる物語。イギリスのミュージックホールの音楽をベースにしたテンポの良い音楽、小気味よいタップダンス、出演者が客席で歌い踊る場面などが楽しい、全年齢層向けの娯楽作品〕 ウィキメディアより

前半の演劇に続き、後半は歌や踊りの祭典で、スターたちの歌や踊りに酔いしれて、一度目からはまってしまいました。最後のフィナーレまでの時間が長く感じられず、終わった後の「楽しく幸せ気分に浸れた」感じで、また観たくなりました。

この公演では、娘役のこだま 愛の可愛さと、男役の涼風 真世の歌のうまさに夢中になってしまい、宝塚ファンの心理がわかったような気になりました。結局、この公演は、2回観に行きました。

本当に、1回目ではまり「隠れ宝塚ファン」として、その後、何年間もいつも東京での公演は、観に行くようになり、またいつもその方に良い席をとっていただき、身近で観られて、テレビ番組のビデオを撮ったりもしました。

ハトちゃんが「隠れ宝塚ファン」になって、そのうち大学の中にも、宝塚ファンが数人いることがわかって、その方たちとも一緒に観にいったりして、いつも会うと「あれこれ」スターの動向や公演での演技・歌、アドリブまで話すようになり、楽しくお付き合いさせていただきました。

妻とも、結婚前に一か八かで、宝塚を誘ってみると、何と「宝塚が観たかった」とのことで、一度、同行して、それが結果オーライだったことを思うと、宝塚と、最初に宝塚に連れて行ってくれた先輩に足を向けては眠れませんネ。

         今年は、何年かぶりに、宝塚を観に行く余裕を持ちたいですネ!

5月はじめてのブログになります。

今日でゴールデンウィークも終わり(人によっては本日休みで日曜までの10連休も)、やっと平穏な日々に戻ったという感じでしょうか。

ハトちゃんは、3、4日と妻の実家に妻と息子の3人で泊りに行きました。東関道は渋滞も無く、いつもの交通量でスイスイと到着。3月からは妻の義父母が家を留守にしているため戸締り中。雨戸や窓を開けてから家の掃除、畑や庭の草取り、そして野菜への水遣りなど。それからたけのこ掘り、野菜の収穫と、結構、重労働でした。小生は、元々、家事を一昨年の4月からやっているので、それほど苦にはなりませんが、田舎は土地が広いので、やる量が大変です。帰宅後、腰が痛くなりました。

大学生の息子を、久しぶりに手伝いとして連れて行ったのですが、草食系男子の典型で、体の割には、ほとんど力にはなりませんでした。というのも、少し働くと、すぐに「疲れた~」を連発して、休んでしまいます。それほど、当てにしていなかったので、まぁ、仕方の無いところですか?

作業をするのは、妻と二人で行い、もっぱら運び役を任せることに。今年の4月に、22歳を過ぎたので、そろそろ自立してもらいたいのですが、学校があと3年あるのと、家からチャリンコ通学で、今でも朝は起こしてもらう習慣がついているので、何とも情けない感じが、父親からは見えます。

裏の山で、今年初めてのたけのこ掘りに妻と息子が挑戦。今年は草取りが大変なので、それを小生が担当。昨年まで一緒に掘りに行ったときに、妻は農家育ちなので、土から、数cmの先が見えるものでもすばやく見つけて、上手にたけのこを傷つけずに取ります。小さいものは、中が柔らかで美味です。今年も15本ほど掘って、後日、八王子の母の家や、弟、知人にも分けて喜ばれました。

わが家では、たけのこを昨年もいろいろな調理で、連続20日間ぐらい、食べ続けて、最初の頃は珍しくておいしいのですが、だんだん飽きてしまった記憶があります。まぁ、旬のものなので、この時期には、いつも筍(たけのこ)づくしはやむを得ませんが...。

5日(木)は、当初の予定には無かったのですが、とり立てのたけのこを実家等に持っていったので八王子に行き、そこで30年来の友人である、佐藤さんと久しぶりに1時間超のダベリング。

写真.JPGたまたま、彼からⅰPhoneの便利なアプリを、いろいろと見せてもらい感激。店を出たときに、道路際に咲いた満開のつつじの前で、それでパチリ。

途中の立川近くの「国営昭和記念公園」の色とりどりのポピーのニュースを見たくなったので、今度彼とそこへ行くことにしました。

今年のゴールデンウィークは、地震のせいか、特に行楽地に行くことも無く、近場での家事、たけのこ掘り、そして友人との語らいであっという間に終わってしまいました。