ハトちゃんが、ちょうど就職してから7年目にあたる年、1983(昭和58)年に歌「初恋」が大ヒットして、一躍有名になった、村下孝蔵(ホームページ http://www.wakuwaku.ne.jp/kozo/indexj.html)を知って、その澄んだ高音と叙情歌のメロディーに魅せられました。当初、実弟が村下さんのレコードをカセットでダビングして来て、それを借りて聴いているうちに、詩の内容や表現、メロディーがノスタルジー(郷愁)をともなって、自分の気持ちを和らげ温かくさせてくれる、今でいう「癒しの音楽」そのもので、自分の部屋で、何百回と繰り返し聞き続けていたものでした。
年代も同級生の1953年2月28日生まれで、話す雰囲気や実直な性格など、歌手というより、失礼ながらハトちゃんには朋友という感じでした。
あまり、テレビに出る機会が無かったので、余りライブのチケットを小生は買わなかったのですが、チケットぴあ で見つけては購入。地元八王子市民会館だけでなく、埼玉県まで出かけたものでした。
シンガーソングライターでもある村下孝蔵コンサートでは、ロックコンサートと違って、静かに楽曲を座って聴いて、また、村下さんの朴訥なしゃべり(純情少年という感じ)と、お地蔵さんバンド(村下さんいわく、いつも立って演奏するのと、おじさんバンドをかけて)の演奏、ハーモニーに酔いしれたものでした。
代表的な「初恋」、「踊り子」(これはハトちゃんのカラオケの定番曲、ちなみに同名曲(三浦洸一が歌う)の世代ではありませんヨ)、「歌人」、「春雨」、「約束」、「ゆうこ」、「陽だまり」など、どれも心に沁みる名曲ばかり。また、高校生で作った「挽歌」という曲も、その後のメロディーの草分け的作品で、村下さんの感性を知る上で、とても貴重な一曲です。ピアノやギターの絶妙な旋律は、耳に残る作品ばかりです。ハトちゃんが最も好きな曲は、長崎をモチーフにした「坂道から」という作品です。
コンサートでは、アコースティックギター一本での演奏、家が映画館をやっていた関係もあり、加山雄三やベンチャーズの影響を受けたとのこと、そういった曲も演奏して、楽しませてくれます。心から、歌手として尊敬し、その人柄に心酔していたのは、彼 で、その後は現れて来ていません。
「初恋」はコンサートのラストアンコール曲というパターンが多かったのですが、何度、聴いても心地よさが残りました。
一部の人は、村下作品を暗いイメージと言っていますが、小生には希望というテーマが感じられます。
ハトちゃんは、カラオケに行くと、必ず5曲は、彼の曲を歌いますが、最近はほとんど行っていないので、高音が苦しくなって出ないかも。当たり前ですネ。田舎出身の小生(茨城県生まれ)には、なぜか故郷を感じ、片思いや失恋経験が多かったこともあって、詩の内容が自分を投影化しているようで、よく理解できました。
先週の日曜から、義父の世話を自宅でやっている関係で、外出がほとんどできなくなって、家では、空き時間にブログと、村下孝蔵の曲をMDで聴いて、一瞬、青春時代にプレイバックした気分に。
東北大震災をはじめ、暗いニュースが多い中で、何か自分が若かりし頃の希望を思い出したようでした。
一時、身体をこわして、休業していましたが、復活してライブ活動を再開した時には、大変うれしくLPを買って、深夜、聴き惚れていました。
ハトちゃんが、ちょうど今から13年前に、入院していたベッドで、村下さんの訃報の新聞記事をで見て、愕然としたことを覚えています。1999(平成11)年6月24日に突然、帰らぬ人となってしまいました。
今年は、13回忌だそうですが、ちょうど関東地方も平年に比べ12日早い梅雨入り、なぜか村下節(ぶし)が聴きたくなったのは偶然でしょうか?
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