7月8日(火)、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の市外ウォークで、「目黒不動から林試の森公園を歩き洗足池へ」をウォーキング。
「船橋西武」前に9時30分に集まった、神田先生を含む16名は、JR横須賀・総武線快速で品川駅に出て、山手線外回りで「目黒」駅に到着。意外と所要時間はかかりません。
駅前スタートは10時27分。
まずは、結婚式場などで知られる広い敷地の目黒雅叙園横の急な勾配坂を下ります。江戸時代の明和の大火の火元になった大円寺〔1624(寛永元)年、創建 の天台宗寺院〕へ。江戸と目黒を結ぶ交通の要衝でもあり、富士見の名所としても知られています。
境内には、大火の犠牲者を供養する五百羅漢がありました。
参拝後、行人坂を下って、真っ直ぐ進むと、交通量の多い山手通りへ。歩道橋を横断して、細い道に 入ります。瀧泉寺(目黒不動)墓地内に、蘭学者で甘藷栽培で有名になった青木昆陽(1698~1769)の墓があり、案内役の先生から説明があり、習志野近くの京成線京成幕張駅近くには、功績を讃えた昆陽神社が建っていることを思い出しました。
だいぶ蒸し暑いので、水分補給とトイレ休憩のために、不動公園で小休止。
その後、墓地側の裏手の道から境内へと。
前に駅ハイでハトちゃんが歩いたのは、不動前駅通り商店街を抜けて、かむろ坂通りを進み、左折して表参道から。裏 から境内に入ると、また趣きがだいぶ違います。大日如来を初めて見ました。
瀧泉寺目黒不動〔目黒区下目黒にある、天台宗 の寺院。808(大同3)年、慈覚大師円仁が開山したといわれる。江戸五色不動の 一つ〕
なお、江戸五色不動とは、色で地域・場所を表していて、ちなみに目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動(2ヵ所)の5 種6ヵ所の不動尊の総称。
本堂は由緒がある構えで、みんなで参拝後、石段を降ります。降りた右手に、独鈷の滝(池があり、 二体の龍の口から水が吐き出されている〕があり、メンバーは、水かけ不動に柄杓で水かけをしたり...。なお、滝で修験者が修行の鍛錬を今でも行っています。また、本居長世〔「十五夜お月さん」の作曲者〕の石碑がありました。北一輝の顕彰碑も。
不動尊から300mほどで、都立林試の森公園〔明治33年に「目黒試験田圃」と して開設。その後、林野庁の「林業試験場」となり、1989(平成元)年に都立公園として開園〕へ。
園内には、国内外の珍しい木々が植えられていて、都会の喧騒を忘れさせてく れる緑と水の多い空間の場所で、都内とは思えない多くの自然が残っています。さすが「林試の森」と言うにふさわしい。
ヒンヤリした中を歩いて行くと、林業試験場石碑や各種広場、遊具があり、せせらぎ橋付近に は水生池もあり、ここで昼食タイム。森林の間の広場のベンチで思い思いの弁当を頬張ります。近くの遊具で遊ぶ家族連れ。大木(クヌギ)の樹液に集まる多くの虫たち。子どもたちの格好の遊び場となっています。
お腹も満たされてゆっくりしようとすると、本日は昼休みもいつもより短い。午後からの雨予報もあり、先を急ぎます。木にかかっている名前を確認しながら、森の中を進みます。根元から二股に分かれているスズカケの木など。
北門から公園を出て、住宅街を抜けて、通りを横断して左折して直進。一つ目の角を右に曲がって、 あとは直進。目黒本町の交差点横の清水池公園へ。多くの釣人が竿を垂らしていました。
間もなく左折して案内役の先生に付いて歩 いて行くと、碑文谷2丁目にある円融寺〔853(仁寿3)年円仁が創建した天台宗の寺院〕東 門へ。
境内には、都区内最古の木造建築といわれる、室町時代に建てられた釈迦堂は、圧巻。また山門前から望む境内の配置は、ビューポイントになっています。
続いて、マップに沿って歩いて行くと、サレジオ教会〔カトリック碑文谷教会は、カトリック東京教区の 教会ならびにその聖堂。「江戸のサンタ・マリア聖堂」として1954年にサレジオ会によって建立され、その後運営を受託。サレジオ教会として親しまれている〕は、外観のみ。小学生の頃、中目黒に住んでいたので、このあたりは校外授業で来たことがあり、懐かしく感じました。
その先は、大きな桜並木通りを進んで行き、すずめのお宿緑地公園〔昭和のはじめまで目黒でも有数の竹林で、良いタケノコがと れました。竹林にはすずめが住みつき、夕方に群れをなして帰ってくることから、いつしか「すずめのお宿」と呼ぶようになった。この土地の所有者、角田セイさんは、長年ここで一人暮らしをしていましたが、「土地は自分の死後お国に返したい」といって大事にして、角田さんの没後、目黒区が国からこれを借り受けて公園を造った〕へ。
住宅街の中の狭い公園内には、都会としては珍しい見事な竹林と年寄り役を代々つとめた栗山家の母屋、古民家もあります。「タケノコをとらないで」という看板あり。
公園内を抜けて、桜の名所である碑文谷八幡宮〔創建年代は不詳。鎌倉時代に源頼朝の家臣、畠 山重忠の守護神をその家臣筋で当地に住んでいた宮野左近という人物が祀ったのが始まりであるといわれている。社殿に梵字で刻まれた碑文石があり、碑文谷という地名の由来になった〕へ。
その後、大型トラックや車がスピードをあげる騒音が聞こえて来ました。環七通りを 横断して、清水窪弁財天へ。境内に湧水池があり、武蔵野台地の南端に湧き出た 清水窪湧水は、洗足池に繋がっていて、東京湧水57選の看板が。
大岡山北口商店街の賑やかな通りを過ぎて、東急目黒線の大 岡山駅前へ。ここで、ショートカットするのを期待していた一部は、先生がどんどん先に進むので、残念がる場面も。
駅から、また600mほど歩いて、洗足池の周囲を半周。鎌倉時代までは千束の大池と呼ばれていたが、日蓮上人が、この池で亡くなるまで足を洗ったという伝説から、洗足池と名 づけられたそうです。周囲は、木が植えられ、公園になっていて、散歩などを楽しむ憩いの場所となっています。江戸時代には、灌漑用水としても利用されました。 池畔の風景は優れ、 安藤広重の 浮世絵「名所江戸百景」に描かれるなど、江戸近郊における景勝地として知られていました。
公園の池の北側には水生植物園があり 、木橋を渡りながら育成されている水生植物を見ることが
できます。池の東側には、この池を愛した勝海舟夫妻の墓、勝海舟が尊敬した西郷隆盛の死を悼んで建てた留魂詩碑があります。 公園を出たところに妙福寺があり、1282( 弘安5)年、日蓮上人が、 身延山から常陸国(茨城県)に湯治に向かう途中、 ここ千束池で休息し傍らの松に袈裟を掛け、 池の水で足を洗ったとの伝えられ
る 「袈裟掛けの松」と称される松が境内にあります。
洗足池図書館横を通って、中原街道前の歩道橋を渡ると、東急池上線「洗足池」駅 (13:54)。
帰りは、ほとんどのメンバーが行きと同じルートで帰途につきました。ただし、京成船橋駅で下車した先生と有志は、一杯引っかけて帰ったそうです。
蒸し暑かったのですが、寺社、公園内などでは涼しいウォーキングになりましたが、先生のハイペースで、ゴールは市外ウォークで相当早い14時前でした。歩行距離は7km以上はあったように感じました。
それでも東京の山の手の寺社、公園めぐりを通して、歴史・文化 遊歩を楽しんだ一日となりました。
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