6月2日(日)は、5月3日に亡くなった叔父の三十五日法要が、茨城の高崎で行われました。ハトちゃんは、母の代理で出席。自宅から柏駅経由の常磐線で「高浜」駅へ。
いとこで喪主である長男が車で迎えに来てくれました。高浜駅から車で10分ほどの叔父の実家まで、霞ヶ浦の堤防沿いの道路を通って、霞ヶ浦を見せてくれました。岸がサイ クリングロードになっていて、湖面が眼の前に。先月来た時より、水面はなぎてい て、道路には車が数台停まっていて、鯉やバス釣りに来ている釣人が竿を垂らしています。
早めに着いたので、まず祭壇に線香をあげて、お経が始まるまで時間があったのと、部屋は弔問客 でいっぱいになりそうだったので、亡父の実家でもある屋敷周りを歩いて...30年ぶりの周囲を歩くことに。付近は様変わり。前のうなぎ屋さんの黒い塀だけは昔のまま。
戻って、お茶を飲んで間もなく、お坊さんの読経が始まりました。皆さん、座布団に正座して聞いていました。ハトちゃんは、以前、同じ場面で、足が痺れた苦い思い出があったので、途中で胡坐に変えました。
叔父の家は、田舎ではまぁまぁの名家。親戚だけでなく、近所からも大勢参列。読経後、お坊さんか ら「全国的には四十九日法要で御仏に帰すのが大半だそうですが、この地域では、慣わしで三十五日で行うようになっています。どちらかといえば、珍しい。決まりは無いので、その地域の慣習で行えば良い」との話がありました。
親戚以外は、ほとんど35人乗りのマイクロバスへ。近くの村の共同墓地裏の墓地へ。担当の男性一人がいて、穴を掘って、納骨の準備。
そういえば、小生が小学校2年の時に、おじいさんが亡くなって、ここまで来て、参列した記憶が甦りました。そのときは、まだ棺を土葬していました。
半紙を短冊状に切って、墓の前の木に、来た証拠として結ぶ風習が残っていました。また、あたりには石碑の無い家も多く、墓は、盛り土の上に、塔婆を立てて、順次、線香と手を合わせました。
その後、マイクロバスで高浜・割烹旅館いづみ荘(霞ヶ浦湖畔に建つ川魚料理が自慢の割烹旅館)
で、故人の思い出話に話が咲いて、また料理と飲み物、わっぱ飯(おはぎ)をたらふく食べて、秘伝のたれでじっくり調理した珍しい鯉の煮物(やわらかくて全然泥臭くない)、鰻の蒲焼は絶品。2時間ほどでお開きに。
帰りは、母の実家の最寄り駅で、高浜駅の一つ先の石岡駅へ、親戚の車で送ってもらうことに。
列車の待ち時間まで、駅前で開かれていたイベント「がんばろう茨城!」のうち、航空自衛隊百里基地エイサー部による沖縄舞踊を観覧。石岡駅13時30分発の普通列車で帰宅の途につきました。
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