「ゆうほ21」で 富岡八幡宮から江戸の下町を歩く

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10月9日(火)、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の市外ウォークで、「富岡八幡宮から江戸の下町」をウォーキングしました。

「船橋西武」前に集まった、神田先生を含む17名は、JR中央・総武線と東京メトロ東西線で「門前仲町」駅に到着。その間、1名が遅刻し、2名が乗り過ごすハプニング。それでも、先生やメンバーは暖かく出迎えてくれる仲の良さ。

 

駅前スタートは10時15分。

まずは永代通りから富岡八幡宮〔1627(寛永4)年、江戸時代はじめに建てられた神社。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」。3年に一度の本祭りは盛大〕。山王祭、神田祭と並ぶ「江戸三大祭」の一つ。

P1000792.JPG P1000795.JPG境内入口右には、大石燈楼、右側に伊能忠敬の銅像があります。境内には、大関力士碑、巨人力士身長〔等身大〕の石碑が目に入ります。その巨人力士を想像してしまいます。その先に、横綱力士の石碑があり、裏に初代明石志賀之助から白鵬までが刻まれています。場所が始まれば、先場所横綱になった日馬富士も名を連ねるとのこと。

それに、「横綱力士碑」の文字の彫りが深くて P1000798.JPG、力強いのが印象的。

碑があるのは、以前、このあたりに神社相撲が行われ、相撲部屋が多かったことで祀っているとのこと。また、「超五十連勝力士碑」があり、双葉山や千代の富士の名前が...。白鵬も63連勝で資格はあるものの現役のため名前がありません。また、日本最大の神輿が飾られていて、輝きと大きさにビックリ。

 

P1000801.JPG次に、すぐ傍にある深川不動尊〔1703(元禄16)年の出張開帳が始まりで成田山新勝寺の東京別院。将軍綱吉の母桂昌院が成田山の 不動明王を江戸で参拝したいと希望し、それが実現したという説もある〕へ。

そこで、神田先生が前日と前々日で成田山新勝寺から深川不動尊(別院)まで約75kmを歩いた話を聞き、あらためて先生の健脚にビックリ。

本堂の重厚で立派な建て構えは壮観。境内に出世稲荷、龍神他、左手に内仏殿が...。内仏殿内には空海関連の資料や仏像画、日本最大級の天井画「大日如来蓮池図」などを見学。

 

先生の案内で、ハトちゃんをはじめメンバーは、護摩祈祷を観るために宝蔵大日堂で座って待っていました。11時から祈祷が始まると、鐘の音に続き、太鼓の勇壮な音が腹に響き渡ります。経文を読みながら、途中で不動明王の倍ぐらい火が上がります。圧巻です。清浄を希望する人は、並んで自分の愛する物や遺品、カバンなどを持ち込む。火にかざして当人に返して清浄が終わります。

30分ほどの護摩祈祷が終わり、講話をもって終了となります。初体験だったので、儀式や講話に心が洗われる思いと、異様な雰囲気に、ウォークを忘れてしまうほどの世界。なお、体験したい人は、http://fukagawafudou.gr.jp/ogoma.html を参照してください。

 

その後、首都高速3号線の高架下を歩いて、右折して法乗院深川ゑんま堂へ。境内は狭いが、ガラス越しに真っ赤な顔にカッと見開いた眼と吊り上った眉、黒くて太い髭、開けた口など、迫力ある風貌。いかにも地獄の大王閻魔という感じが出ています。ご開帳は、毎月1日と16日。

 

ゑんま堂を観た後は、清澄通りを北上して、深川江戸資料館へ。祝日の翌日のため定休日で、外観のみ。すぐ傍の霊巖寺へ。境内に、松平定信の墓 〔国の史跡、陸奥白河藩の第3代藩主で、寛政の改革を行った。霊巌寺周辺の地名である白河は、定信に由来する〕

と、江戸六地蔵の第5番〔1717(享保2)年に造られた、銅造地蔵 200px-Reigan-ji_Koto_02[1].jpg菩薩坐像 - 東京都指定有形文化財。江戸の出入り口となる六つの街道筋に安置したのが江戸六地蔵〕を見学。地蔵は、笠をかぶり、赤い前掛けと柔和な顔が印象的。

 

通りを回り込むようにして、清澄庭園〔紀伊国屋文左衛門の屋敷跡といわれた土地を三菱の創始者 Kiyosumiteien[1].jpg岩崎弥太郎が買って造園し、東京都に寄贈された都立庭園〕へ。全国から名石が集まった庭園で、大正記念館前で昼食に。昼食を回遊式林泉の池や手入れの行き届いた松などを観賞して、和気藹々で飲食と話がはずみます。

 

 

昼食後は、園内を一周。珍しい白い彼岸花が咲いていました。池には鯉の他、 P1000803.JPG亀がうようよ。磯渡りや築山、奥に「古池や かわづ飛び込む 水の音」の松尾芭蕉の句碑がありました。

 

庭園正門を出て角に中村学園中・高校、その手前を右折して芭蕉記念館へ。ここも定休日で、外観のみ。

 

そこから、隅田川に沿って、護岸道を萬年橋方面へ。東京スカイツリーが後方に望めます。いったん、橋のたもとにある、芭蕉庵史跡展望庭園(休園)へ。一段高いところから、右側の新大橋(オレンジ色)と清洲橋(青)のコントラストが美しい。ここからの眺めは、通称、ケルンの眺めといわれて、ライン川の吊り橋に似ているそうです。

P1000804.JPGどんよりした空に、幅広の隅田川、行き交う船、そしてスカイツリーと、東京でも絶景スポットに入るすばらしい眺め。隅田川大橋まで川沿いの遊歩道は真っ直ぐで、途中に、仙台掘川水門と、以前の台風浸水時の川面の高さを記した壁もあり昔話も...。橋桁3mを水上バスが通過し、遠方にスカイツリー...。

 

隅田川大橋で階段を上がって、広い通りへ。

ここからは、日本橋人形町方面に向かって、ひたすら直線を歩きます。箱崎ジャンクションの高架下には、東京シティエアターミナルがあり、リムジンバスの発着が見られます。

 

300m先右手に、駄菓子屋の階段を上がると、水天宮〔1818(文政元)年、 P1000806.JPG P1000811.JPG三田赤羽の藩邸に、殿様が久留米水天宮の分社を建てたのが創め。安産子授けの神様として信仰される〕へ。腹帯も販売。トイレ休憩。

 

最後に、人形町二丁目のの甘酒横丁を途中まで行って戻り、?通りに戻ると、メンバーはお土産の老舗人形焼店に。後から買いに来たサラリーマンの男性は並んだのが不運、前にオバちゃんがいっぱいで困った様子。

 

ゴールは、日本橋駅(14:50)まで歩いて、都営浅草線経由京成線で京成津田沼まで。

 

京成津田沼駅で下車した先生と有志は、一杯引っかけて帰ったそうです。

小生と女性3人は、京成大久保駅まで来て、早めに解散。

雲は多かったものの涼しいウォーキング日和だったことと、東京の下町の寺社めぐり、絶景の川岸遊歩を楽しんだ一日となりました。

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このページは、hatochanが2012年10月24日 21:26に書いたブログ記事です。

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