「JR ウォーク」で 城下町 大多喜へ(2回目)

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2月13日(木)、翌日がまたも雪の予報のため、ハトちゃんは6時に起床して、城下町大多喜へ向かうことに......。天候は曇り、気温は7℃ぐらいでまずまず。千葉7時57分発外房線安房鴨川行に乗ると、茂原手前から雪景色はほとんど無くなり、県下でも降雪は少なかった模様。大原まで約1時間半。途中、いすみ鉄道ムーミン列車(ワンマンカー)に乗り換え。一両で運行。

最近、ムーミン一家のデザインは、STAP細胞の輝かしい実験成功で話題になった小保方晴子さんの研究室に貼られていたことで注目されました。

 

房総の小江戸「大多喜」は、江戸時代、房総一の十万石を治め、徳川四天王の一人本田忠勝を初代藩主とする「大多喜城」を中心に、現在まで続く城下町。

今回のコースは昨年と同コース。「大多喜」城下町をめぐる約11kmをウォーク。 DSC03566.JPG

車内は、平日の昼間ということで、出発時は6人。山間を抜けたと思うと、広い田園地帯をのどかに走ります。雪はほとんど見えません。

 

 

PICT4709.JPG電車に揺られて約30分。「城見ヶ丘」駅手前の左手に大多喜城が見えて来ました。大多喜駅構内に、 忠勝候の武者人形やムーミンの車両がある車庫も(10:09)。

 

 

駅を出て、すぐ目の前に、スタート・ゴール大多喜町 観光本陣(案内所)。武家 DSC03569.JPG屋敷の外観をした DSC03568.JPG DSC03570.JPG観光案内所。本日の駅ハイ参加者は2人。小生が本日の初参加者。手続き後、いざスタート(10:12)。

 

 

町中は、いかにも城下町らしい。標識案内が木製で字が太い文字〔歌舞伎の出演者 看板に使う字 DSC03572.JPG DSC03575.JPGのよう〕で書かれていて、歩いてすぐの所に、大手門(10:15)。大手門をくぐり、「小谷松」駅方面へ線路に沿って歩き、南郭踏切を右に横断。ちょうど道路の工事中で、歩行者専用道路を通ります。その先がメキシコ通りに。沿道沿いに「本田 DSC03578.JPG忠勝・忠朝」を大河ドラマにという紫の幟が立ち並んでいます。

 

本日は、大多喜高校の入学試験ということもあって、薬医門〔二ノ丸御殿にあったと伝えられ、城建造物唯一のもの。県指定史跡〕、大井戸〔忠勝が掘らせた大きくて深い井戸で、災害時用。県指定史跡〕には立寄らず。

 

メキシコ通りには、メキシコ国旗が掲げられて いる 記念塔があります。ゆるい上り坂を、くねくねと。 DSC03579.JPG歩道に蛙などのアートデザインが。左手眼下に御禁止川おとめがわ)の渓谷が続きます。夷隅川と同じ流れですが、お城の前は御禁止川という別名。昔禁漁区であったことに由来。

 

 

1.8kmほど歩くと、大多喜図書館天賞文庫薬草園の看板 を右折。B&G海洋センターを過ぎ DSC03586.JPG DSC03590.JPGて、左手奥、野球場の先に、城西国際大学薬草園〔1987(昭和62)年、千葉県が設立。大学薬学部が管理運営。緑に囲まれた16,000 ㎡の園内に約350種の薬用植物を集め、使用目的などにより各植物区に区分、植栽されている〕の園内を散策(10:34)。まだ雪が残っています。資料館に入館。

戻って、大多喜中央公民館の前を左に坂を下ります。DSC03596.JPG

 

間もなく、上り坂になり、天守閣を目指します。途中、県下最古の水道跡があります。門があ って、 DSC03597.JPGその先が駐車場に 。目の前に大多喜城天守閣が...。天守閣の階段を上った入館受付の横に、チェックスタンプがあり、押印(10:50)。

 

 

「大多喜城」は、本田忠勝が1590(天正18)年に築城。千葉県立博物館大多喜 DSC03602.JPG城分館として、城郭と武器、武具などを展示。1871(明治4)年の廃藩置県で城は廃城、1975(昭和50)年に本丸跡に、天守閣作りの博物館を復元。

 

本日は入館してゆっくり4階までの館内資料・ DSC03603.JPG貴重品を見学して展望するも、展望口が狭くて、眺望はいまいち。館内は小生のみの貸切状態。

大多喜城を後にして、間もなく右手に下る道路をコースどおりに進みます。下った先は田園地帯で広くあたりが一望できます。

 

のどかな田園地帯を抜けて、NTTの高い鉄塔横を通って、城下町通りへ(11:20)。大 DSC03609.JPG多喜町自動車学 DSC03615.JPG校をちょっと覗いて見ました。

コースは左折して、国道297号線に出て、その先のハーブガーデンベジタブルガーデンへとなっていますが、本日はショートカットして右折。

 

城下町通りを南下。いすみ鉄道の高架下をくぐると、町の中心街へ。

 

四ッ角公園〔城内から4番目の門があった所〕の先に、渡辺家住宅〔江戸時代末期の商屋造りの住 DSC03617.JPG DSC03620.JPG宅で、国の重要文化財〕が、コンビニの隣りにあり、外観を...(11:30)。また、通りの向かい側には、釜屋や、商い資料館などの商屋造りや土蔵造りの建物の町並みは江 戸時代からの房総の小江戸といわれるたたずまいが色濃く残っています(11:32)。

 

千葉銀行を過ぎて、右折すると銚子信用金庫があり、駅方面ですが、細い道を PICT4766.JPG真っ直ぐ進むと、左 DSC03626.JPG手に大きな夷隅川があり、橋の欄干の上に、忠勝公の威風堂々の武者姿が(11:39)。

 

 

フィッシングパーク入口の看板が。右手に曲が ると、手前に大円寺、その先に良玄寺、境内を右手奥にまわるDSC03630.JPG DSC03627.JPG本田忠勝親子」の3つの墓が並んでいます(11:43)。

 

 

 

墓参後、右手に小さいが風情のある「忠勝公園」。大屋旅 DSC03628.JPG DSC03631.JPG DSC03633.JPG〔国の登録有形文化財〕を見て(11:50)、突き当りを右手に進むと、角に十万石最中が有名な御菓子司「津知屋」、道の隣りに銘酒「大多喜城」の醸造元である豊乃鶴酒造〔国の登録有形文化財〕 も外観のみ(11:52)。

 

DSC03635.JPGPICT4780.JPG12:14発の大原行に乗るため、ゴールへと。突き当たりの大多喜小学校手前 の道を右折すると、上南郭公園大多喜町役場前を通ります(11:55)。標識やバス停にも白壁に土蔵のデザインが。この町なら DSC03636.JPGではの雰囲気。観光案内所手前にガス燈記念館があります(11:57)

 

 

ゴール〔歩行距離は約5.5km〕(12:00)して、奥のトイレで着替えて、さっぱりしてから、駅へ向かいました。すでに上り電車は止まっていて、あわてて乗車。入試を終えた受験生たちと同乗。かつて、日本のどこにでもあった懐かしい情景が、のんびりと走る「いすみ鉄道」で味わえました。

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大原駅でのJR外房線との接続は52分。時間があるので、駅前の観光案内所で周辺地図をもらい、コンビニでおにぎりを買って、「酒蔵水戸泉」を見学(13:02)。その後、駅横のベンチで昼食。

DSC03643.JPG DSC03637.JPGた、いすみ市のチラシをもらいに案内所へ( DSC03642.JPG13:25)。受付の方々と立ち話をして、駅へと戻りました。そういえば、大原駅には、2回ほど飯縄寺(波の伊八の彫刻)コースで来ていたのを車中で思い出しました。

 

 

13時35分発の千葉行に乗り、15時過ぎに自宅へ着きました。なお、翌日の積雪で14、15日は同コースは中止に。前日、思い切って歩いて正解でした!

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このページは、hatochanが2014年2月15日 22:12に書いたブログ記事です。

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