前日、八王子の実家に泊まっての11月23日(祝日)ウォークで、五日市線終点の「武蔵五日市」駅から冷たい雨の中、9時3分前にスタート。
駅前を五日市街道に沿って、東に進んで五日市市場前の信号横に正光寺〔秋川流域で唯一、浄土宗の流れをくむ時宗の寺院。1305(嘉元3)年、二祖他阿真教上人が当地に巡化の際開創されたものと伝えられている・弁財天〕へ。
街道を横切り左折して、15分ほどで大悲願寺〔1400年の昔、聖徳太子が全国行脚の際この地に一宇の草堂を建てたのが起源とされる。その後1991(建久2)年に源頼朝の命により、京都醍醐寺澄秀僧正を開山として平山季重が建立した・大黒天)へ。
途中で元来た道を駅方面に戻って、駅前で左折。間もなく、東町信号前に下町地蔵堂〔子育地蔵尊は、その台石と思われる自然石に刻まれた碑文よれば、「五日市村下町女人27人」によって「元禄12己卯(つちのとう)年1699年2月26日」に造立されたとある・弁財天〕へ。案内人がいなければ、通り過ぎてしまいそうな小さな堂。
檜原街道をひたすら進み、上町の信号で坂を下って横道へ。坂を下ったところに上町地蔵堂〔本尊の延命地蔵尊にまつわる文書によると、昭和の初め、現在よりやや西側の坂の途中に安置されていた地蔵尊を玉林寺境内に移したところ疫病が流行したいう。慌てて現在の場所に安置しなおし、地域民に手厚く祀られ疫病もおさまったとの言い伝えがある・毘沙門天〕へ。
5分ほどで玉林寺〔1347(貞和3)年、明叟斉哲禅師により開山。本尊は釈迦牟如来座像、脇侍に加葉・阿難の立像を配する。山門をくぐると綺麗に整備された境内と1847(弘化5)年に建てられた本堂が目に美しい・福禄寿〕へ。山門脇の二体の石の立像は迫力があります。
マップでは、佳月橋方面でしたが、墓の中を通って、民家の間の細い坂道を上って、街道への近道。横断して左折し東小中野の信号へ。松村精肉店前で「枡屋」の饅頭と茶のサービス。すでに、5人のグループがいて、サービスだけ受けて駅へ戻るとのこと。悪天候ではショートカットもやむなし。
ハトちゃんは、先を急ぎました。
黒茶屋の前にあるもみじは真っ赤に色づいていて感動。昔、キャンプや水遊びでよく来た沢戸橋へ。風景に見覚えがありましたが、秋に来たことが無く、橋の上から眺める秋川の清流と、渓谷の紅葉はすばらしい。
沢戸橋を過ぎて、戸倉小学校への道は、ゆるやかな上り。だいぶ汗ばんで来ました。戸倉給水所下から光巖寺〔1574(天正2)年、室町幕府初代将軍・足利尊氏が開基の禅寺。尊氏が擁立した後光厳天皇がまだ弥仁親王のとき、南朝方に追われて五年ほど隠れ住んだ旧跡といわれる。門前斜面地右側の推定樹齢400年ヤマザクラは、幹囲り5.3m、枝張り東西25m、南北18m、樹高17.3mもあり都内の三大巨樹の一つ・布袋尊)へは急登。戸倉城跡の案内板がある境内に着いて、水分補給と上着を一枚脱ぎました。大きな布袋尊も参拝。
その後、坂を下って、給水所前を左折すると、間もなく三島神社の急階段と鳥居が...。道なりに進んで、檜原街道を越えて、戸倉新道も横断して、戸倉キャンプ場川原が見える星竹橋へ。
橋を渡って、せせらぎ通りという山間の道を進みます。人通りが無く、あたりも少しうす暗いので、通るのが不安でしたが、一本道なので先へ...。
少し幅広の星竹通りに出て、川のせせらぎを聞きながら森林浴を楽しみます。
2キロ近く歩いて、やっと舗装道路の分岐(落合橋手前)に出ました。
そこから右折して、最後の七福神である徳雲院〔戦国時代に光厳寺21世雲英台東堂和尚が開山したとされる・寿老人〕へ。
矢印に従い、街道の左へ下りて院正面から境内へと。当院は秋川の支流・養沢川の畔にあり、梅の樹や四季折々の木々が楽しめます。
やっと七福神めぐりも終えて、ホッとして、そこからはゆっくりしたペースで。
元来た道を戻って、左側の歩道を進むと、バス停「十里木」。そこで、案内人から街道左手の車の往来のない道を教えてもらいました。帰りのバスの時刻を確認。
すぐに、右手に下りる土の道があり、右手前方に秋川にかかる長い吊り橋(石舟橋)が観えて来ます。遠景からの眺めは最高。夫婦やアベック、団体客などが手前の 見事な紅葉をバックに写真や観賞したり...。
ハトちゃんも絶景に浸りながら、ゆっくりと紅葉狩りを楽しみました。妻と娘が同日、京都・嵐山に紅葉狩りに行ったので、デジカメを貸してしまい、今回は眼に焼き付けて置くのみ。一家に2台はデジカメは必要ですネ。
ゴール「秋川渓谷瀬音の湯」受付でもらった缶バッチ1個は、いつものより貴重で、達成感に溢れたウォークとなりました【歩行距離約10km】
バス停で声をかけてくれた係員は、前回、大月で会った人で、小生を覚えていてくれました。また、どこかでお世話になることでしょう。十里木(11:16のバス)で武蔵五日市駅へ。
紅葉だけでなく、清流・渓谷美を満喫できたことは、この時季に来た甲斐が大いにありました。
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