6月28日(金)、薄曇りながら蒸し暑い中、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の市内ウォーキング(約7km)。京成「大久保」駅南口ロータリー前に9時30分集合。
今回は、神田先生を含め、11名の参加で今年最低。
先生のかけ声でいよいよ出発。駅前から、大久保中央公園に向かって歩き出 します。公園内で中高年の健康体操。
このコースは、ハトちゃんが、勤労会館に筋トレで往復するコースで、大久保 のミサワホームの分譲・住宅街を抜けて、本大久保保育所横を通ります。
園児が園内で遊んでいて、手を振ってくれました。
途中、高台に小生の家が見えることもしばしば。いつも通っている道なので、庭を歩いている感じ。
屋敷小学校と習志野市立第6中学校の間の道路を「 屋敷」バス停に向か って歩いて行き、6中校庭脇の中学生がよく走っている周回道路へ。最初は舗装されて景色も明るいのですが、右手は雑木林で木が道路上空まで覆っていて、暗くなると危険な道。
女性メンバーから、「夜は歩けないわ」という声も。左手に見える中学のグラウンドの広さを実感。
斜めに上がる細い坂道を上がると、バス通り。横断して左折後、間もなく、右に曲がり幕張PAに行く 近道。今回は、集会所手前を左折して直進。
しばらくして、市の生産緑地の広大な畑が見えて来ます。
畑は、習志野市の特産品であるにんじんの収穫が終わっ て、枝豆やさつまいもの葉が少し見えるだけで、他は現在耕地のまま。
畑の手前を進み、途中、畑の中央を左折すると、2人が通れるほどの細い舗装道路、車止めを過ぎると、右手の近隣公園芝生広場では、グラウンドゴルフのプレー中。
反対側に、東部保健センター・屋敷ヘルスステーションが見えて来ました。入館して、トイレ休憩と 小休止。館内の受付の方とお話。入口の雰囲気が、ハワイアン風に模様替え。ハトちゃんは、先日、3のの湯に入った感想をおしゃべり。
そこから、建設着工前に反対運動 ・署名・カンパなどで着工が延びた、ヤオハンの大型パチンコ店の敷地前へ。すでに工事着工中。パチンコ店だけに駐車場は、777(オールセブン)台収容とは出来過ぎ。
それから、千葉パルコーポ工場前を右折して、京王線の踏切前へ。踏切で下り 電車の通過中。
渡ってから二中裏を直進すると、東金街道にぶつかります。右手に、日大生産工学部の大学・学部名と大きな赤のNや建物が見えます。コースは左に進んで、直進すると、ハミングロードにぶつかります。
そのまま、アジサイの咲くハミングロードを進んで、大久 保商店街手前の信号 を右折して、誉田八幡神社(こんだはちまん・ほんだはちまん)へ。すぐ、神社裏にサークルメンバーの中村宅があります。
八幡神社の入口は、新しい石鳥居と参道が、昨年できました。習志野の由来は習志野演習場から
で演習を総監した明治天皇が後日「習志野原」と命名し、軍の演習場になりました。大久保町は日本騎兵旅団発祥の地、神社のすぐ裏手の公園には、習志野騎兵旅団指令部がありました。
神様は、武家(あるいは源氏)の守護神と皇室の守護神としての両面があった八幡神。ということで陸軍の関係者たちに篤く信仰されていた。河内国の誉田八幡神社より勧請。
境内には、習志野市名木百選のアカガシの古木が本殿脇に聳え立って います。ま た、紀元二千六百年記念参道敷石之碑として、栗林忠道(大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将)の記名がありました。
〔大久保(おおくぼ)の名前の由来は、
浜田川の支流の奥に窪地があることから名付けられたとも、あるいは江戸時代の初めに、近隣の鷺沼などの領主であった旗本の大久保氏の名から付けたともいわれています。江戸時代の新田開発によって生まれた村なので、大久保新田といわれていました。
また、本大久保(もとおおくぼ)
大久保新田を拓く前に、関西からの移住者たちが帰農したところといわれています〕
その後、境内を抜けて、東邦大学附属中・高校前を見て、十字路手前の市民プラザ大久保〔2012年1月開所;市民の異世代間、異分野間にわたる文化交流を推進す ると ともに生涯学習活動、福祉活動、情報交換等の振興を図ることにより、市民生活の質の向上、健康の増進及び地域社会の活性化に資するために、習志野郵便局旧局舎跡地を利用。市民、地元大学、行政が一体となりワークショップを開催し策定し、ギャラリーやスタジオ、交流スペースがある施設〕へ。
その後、日大生産工学部前を通過し、東邦大学キャンパス内へ。
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」で有名な秋山好古にゆかりの地を辿る史跡があります。
先生の案内と解説で、第一騎兵連隊騎兵第13連隊跡の記念碑、また、傍に司馬遼太郎の文学碑が建立され、冒頭の筆者肉筆の碑を見学しました。遼太郎の独特な筆のタッチが見られて、感激しました。さらに戦前から残る貴重な建物。
また、薬草園横に、明治44年に皇太子〔後の大正天皇〕の騎兵 隊 教練台覧之処碑と、横に質素、信義、礼節など6項目の教訓を書いた石碑もありました。
最後に、大久保商店街を駅方面に戻ります。商店街には、秋山好古にちなんだ資料、写真、展示品が並ぶ「文化交流ギャラリー(通称;お休み処)」もありますが、今回は立ち寄らず。ギャラリーと反 対側に、馬の上半身に「秋山好古大将」の顕彰碑(薬師寺隣り)の傍を通過。
ゴールは、駅前の「ブックオフ」前で11時30分に解散となりました。
息子(東邦大学6年)に、キャンパス内の記念碑を聞いたところ、知ってはいましたが関心を示さず。歴史には興味が無いようです。理科系なので、仕方ないかも?
日露戦争で勇敢に戦った、戦士たちの記念碑を観ると、明治期における海外列強に対する日本の富国強兵策を垣間見ることができて、明治期のロマンに浸れます。地元に住んでいても、由緒ある場所を知らない人も多いと思います。先生に案内されて、有意義でした。
自宅から徒歩で15分あたりの場所に、深い歴史があるなんて、思っても見ませんでした。
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