「JR ウォーク」で 文学浪漫の街 文京区をたずねて

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「本日は、文学青年の気分で、レッツ・ゴー」...。

駅ハイ期間限定コースの「文学浪漫の街 文京区で文人たちの足跡(約12km)」を、翌日の雪予報で一日早めて1月23日(水)にたずねました。

PICT3673.JPGまず、寄ったのは「御茶ノ水」駅まで東京メトロで。その前に途中下車。息子が薬局実習に行っている「妙典」駅(市川市)に降りて、駅前商店街と江戸川散歩(9:40)。鉄橋にかかる電車と江戸川河川敷の眺望が思っていた以上に富んでいて、朝一で気分も爽やか。

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PICT3678.JPG PICT3679.JPG PICT3677.JPGその後、東京メトロを乗り継いで、「御茶ノ水」駅へ。学生が行き交う順天堂大学の前を横切って、スタート・ゴール地点の「東京都水道歴史館」http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/water/pp/rekisi/ へ (10:50)。トイレを借りて、見学者とともに館内を見学。入館料はちなみに無料です。館内には、江戸、東京の生活に欠かせない水道の歴史のパネル、模型、貴重な資料が展示・紹介されていて、近代水道に至る水道の歴史を学べます。

 

次に、ほんのちょっと春日通りを歩いて右折すると、「文京ふるさと歴史館」 PICT3684.JPGhttp://www.city.bunkyo.lg.jp/rekishikan/ に到着。ここには、文京区という地名の由来にもあたる、明治時代に有名な文人達が多数住んでいたことを物語る足跡と、江戸時代の武士、町人などの暮らしの様子をミニチュア等を使って紹介されています。

本日は、パンフレットだけもらい、先を急ぎます。

 

PICT3689.JPG続いて、炭団坂階段を下って、菊坂を左に下って行くと、右手に「旧伊勢屋質店〔近くに住んでいた樋口一葉が度々通っていた店〕の前を通る。

 

菊坂下から白山通りに抜けて、水道橋方面へ南下。春日 PICT3694.JPG町交差点前に高層の建物「文京区シビックセンター〔文京区役所があり、25階に展望ラウンジ〕へ。中間チェックポイントになっていて、1階でカードチェック。

 

PICT3695.JPG富坂下交差点を右折します。直進すると、「こんにゃくえんま前」にある源覚寺〔木造閻魔大王坐像が本尊として祀られている〕境内へ。境内は狭いが、珍しい、塩で固めた塩地蔵尊があります。眼病治癒の閻魔さまとして「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになり、人々の信仰を集めています。

 

PICT3702.JPG PICT3703.JPGDSC09735.JPG次に、傳通院までの上り坂を進んで行くと、右手にパアーと視界が開けて、広い境内と黄土色の新しく立派な山門や本殿が並ぶ傳通院 〔1415(応永22)年、開創で、徳川家康が生母 於大の方をこの地で葬ったの で、於大の法名から名前がついた〕へ。境内の裏手に、於大の方千姫徳川家ゆかりの女性の立派ながあり、墓参しました。

 

PICT3707.JPG PICT3708.JPGその後、春日通りの伝通院前を横断してT 字路まで安藤坂を下って、右手に入ると、石鳥居の先に急な階段(54段)。ウォーク途中の急階段は辛いのですが、登って牛天神 北野神社境内右手奥にあった一対の牛〔形状異なる〕を撫でて、健康・ウォークの継続と家内安全を祈願。

 

参拝後、階段を注意して下りて、首都高速の高架下の道を右折すると、目前にPICT3710.JPGッパン(株)の小石川ビル。ちょうど、昼休み時でしたが、建物内にある「印刷博物館(入館無料)へ。印刷の変遷、資料展示・ライブラリー、機器や技術情報・ワークショップなど、「かんじる」「みつける」「わかる」「つくる」という4つの姿を見学・体験できます。ハトちゃんは、広報関係の仕事を長くやっていたのでとても有意義でした。

PICT3711.JPG PICT3712.JPGコースマップの道は、意外とわかりにくかったのですが、何とか今井坂を上って、春日通りへ。途中、国際仏教学大学院大学校門前に徳川慶喜公屋敷跡の碑。また、通りにある道路標識を見ると、春日通りには、~号線となっていて、何本もあることを理解。

 

ゆるやかな下りになった播磨坂の桜並木を観ながら、「PICT3715.JPG京大学小石川植物園」の入口まで。1684(貞享元)年、江戸幕府が造った「小石 PICT3717.JPG 川御薬園」が前身。近代植物学発祥の地でもあり、現在も自然誌を中心とした植物学の教育・研究の場となっています。植物園内の植物標本は約70万点(植物標本は、東京大学総合研究博物館と一体に運営されており、全体で約170万点収蔵)。

PICT3718.JPG左手にガードレールのある細い御殿坂を上ったところに、正月の箱根駅伝で「新 山の神」柏原選手で3度総合優勝した、東洋大学のキャンパスが...。

 

そのまま直進し、白山通りを渡って、東京メト PICT3720.JPG PICT3721.JPG「白山」駅傍のポイント「白山神社〔歯痛止めの神様として信仰される〕を参拝。まだ、境内には雪が残っていました。

白山下の時差式信号を渡るとすぐに、広い本郷通りに出ました。

PICT3725.JPGここから通りを南下。一本道なので、スピードが上がります。風は冷たい。文京6中の先に、向かい側 に東京大学のキャンパスが続きます。いったん、細い道に入り、角に、「鳳明館」(登録有形文化財になっている)別館へ。ここは、明治30年代に建てられた下宿屋で、戦後、模様替えされ旅館として残った建物で、今も営業を続けていて、風格のある建物。その先に「求道会館〔浄土真宗大谷派の僧侶、近角常観が信仰の場として、1915(大正4)年に建設〕を外観のみ。

 

PICT3726.JPGPICT3729.JPG通りに戻ると、東大正門前「赤門」前へ。朱塗りの門は大名家に嫁入りした将軍家の子女に許された門の色塗りだそうで、現在は、日本で一番優秀な生徒が目指す「東京大学」の学生が、合格して入学したときなど、記念写真のスポットになっています。国の重要文化財でもあります。

 

我慢していた腹も限界に達したので、赤門近くの「日本一たい焼」で2割引の特 PICT3730.JPG典を利用して、たい焼きを二つ購入。

PICT3732.JPG近くの公園で、腹ごしらえと相成りました。皮がパリッとしていて、甘みが抑えられていて美味。「このたい焼きが日本一たい!」というのが名前の由来。

 

 

15分ほど休んで、出発。やっと、御茶ノ水界隈に入って来ました。湯島天 PICT3734.JPG満宮(湯島天神)は、「学問の神様」ということもあり、たくさんの絵馬がぶら下がり、まだ入試中ということもあり、本人ではなく、親子さんが真剣に祈願していました。

 

PICT3739.JPG本堂が大きな霊雲寺にも雪だまり。北側の道は、ぬかるんでいました。

 

「日本サッカーミュージアム」 http://www.11plus.jp/(1 PICT3740.JPG PICT3741.JPG階と地下1階は無料)にも立ち寄って、迫力のサッカー試合映像を鑑賞。係員のユニフォームとワールドカップのレプリカの前で記念写真。

 

最後は、湯島聖堂〔儒学者・林 羅山の廟殿と家塾を、徳川五 PICT3747.JPG代将軍綱吉が儒学の振興を図るため、1690(元禄3)年、湯島の地に聖堂を創建して、この地に移す。その後、およそ100年を経た1797(寛政9)年、幕府直轄として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設され、多くの学者を輩出〕へ。

 

PICT3745.JPG PICT3748.JPG PICT3744.JPG孔子像の高さは、世界最大で、他にも大成殿(本来は孔子廟)や学寮も設置されている〕へ。また、櫂(かい)の名木もあり、紹介されている。学問に関係することから、湯島天満宮(湯島天神)とともに、年間(特に受験シーズン)を通して合格祈願のために、参拝に来る受験生が多い。

 

博物館、名所・旧跡、寺社、学問関係、大学など、バラエティーに富んだ場所を歩き、約12kmのコースは3時間では、とてもまわり切れません。最後に、「水道歴史館」に戻って、ゴール(14:30)。文京区は坂が意外と多く、久しぶりに、疲れました。

 

他にも、本郷界隈には、「樋口一葉旧居跡」や、自然主義文学の巨匠「徳田 PICT3706.JPG秋声旧居」もあります。また、本郷通り→都道428号線を北上すると、北区のJR「田端」駅近辺には、田端文士村も残っていて、芥川龍之介をはじめ、多くの小説家や文士が住んでいました。これらは、以前、サークル「ゆうほ21」でウォークしました。 

 

文京区は、名前のごとく、古くから文教地区であったため、「ぶんきょう」の音を簡単な文字の「文京」としたそうです。したがって、文士や学生がこよなく愛し、現在でも、東京都の文化・教育の中心地となっています。コースには、訪れた場所もありましたが、四季折々、楽しみ方が変わって行く感じで、そんな街を、一人ゆっくりと楽しみました。

 

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