平成24年度スポーツ講演会に参加

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本日(1/26)は、「平成24年度市民スポーツ講演会(習志野市)」が10時~11時30分まで消防本部5階講堂で開催され、指導員のハトちゃんも、もちろん参加。、習志野市出身で、屋敷小、六中、習志野高校出身の元プロ野球選手(捕手) 野口寿浩氏の講演。一般を含め100名を超える市民が集まりました。「一市民、一文化、一スポーツ、一ボランティア」をキャッチフレーズに掲げる市の街づくりをめざして。

以下、講演の要約です。

『テーマは、「私が目指す指導者像~名監督から学んだこと」

まず、ヤクルトに1989年入団しての、野村監督の考える「ID野球」徹底的 PICT3810.JPGに叩き込まれる。古田捕手の控え。今までの野球に対する姿勢に変化。ベンチで、ぼやきを聞きながら納得。勉強会で理論と戦術を学ぶ。1992セ・リーグ優勝、93と97は日本一に。

次に、1998年日本ハムへ。上田監督は阪急の黄金時代を築いた人で、必要最小限の言葉で指導。次の大島監督は、兄貴・親分肌で話し込むタイプ。野球と関係ない話をし過ぎて、コーチに注意される場面も。二人とも試合では、熱くなる方々。

2003年に阪神へ移籍。2003と2005にセ・リーグ優勝。星野監督の下、最初に中日の監督をしていた頃の「鉄拳制裁」のイメージがあるので、ベンチ内の選手はピリピリ。7人の中では、一番怖い。しかし、腹の中は選手思い。優勝を経験。

「迷ったら一歩前へ出ろ」は、何事にも通じる名言。

一度、選手起用で、自分の失敗を選手の前で謝罪。人間的に好きになり、ついて行こうと思う。

岡田監督―天才肌。先読みが鋭く、試合経過や配給も見抜く。JFK(クローザー)を確立し、標語を作った。大相撲 武蔵丸の親友で、話に熱中し過ぎて、試合経過を見落とすことも。

2009年、フリーエージェントで横浜へ移籍

大矢監督は温厚な方。自分も自信があったが、肩の故障で戦線離脱。連敗が続き、最下位の成績不振で、途中、解任。

監督を一人やめさせてしまった責任を感じ、会ったら謝りたいと。

次の田代監督代行は2軍監督から昇格。選手思い。

次年度の尾花監督も最下位で負け続けたが、その原因を選手とコミュニケーションをとらず、ひいきのコーチ、選手を使い続けて、選手間に不満も。何も監督からは、伝わらない感じ。

7人の監督の下、一人を除いて、野球についての知識は身についた。

阪神時代に、3人のピッチャーを育てる

1.井川投手(現 オリックス)には実績があり、左のエースであったが、不振の時、投球フォームを改造するのではな く、プレート板の踏む位置で修正し成功

2.上園投手(現 楽天)に自信をつけさせて、登板後の反省会で原因を話せるまでに持っていった。その結果、新人王に輝く。

3.岩田投手(現 阪神)は当時、臆病な気持ちが強かった。「武器がある」と。高速のスラーダーは、特殊球。その他に、直球が左右に必ず曲がってしまい、補球が難しいので、打者にも打ちづらいことを教えて押さえた。

現在は、大久保中央公園で、少年野球を指導中。今後は、プロ・アマの境界も雪どけて来たので、野球指導者の道(高校野球やプロに戻れれば?)を目指したい。そのときに、先輩や監督にも「頑張っているな」と、言われる立派な指導者になっていきたい。

 

今回は、野球についての講演で、興味があったり、少年野球の指導者には参考になったが、あまりにも話のテンポが単調で、内容も人物評。約1時間が長く感じられました。もう少し、メリハリのある講演にしてほしかったのと、スポーツ全般や日常生活へも通ずるテーマで、次回以降お願いしたい。また、余談ですが、女性司会者が花束贈呈で、講演者の苗字を呼び間違えたのは何ともお粗末で講演者に失礼、場がしらけました。

それでも、自宅前の学校の卒業生が、プロになり、、それも長年活躍したことを誇りに思います。

ハトちゃんは、今年もプロ野球は千葉ロッテを応援し続けたいと思います。

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