リフレッシュウォーク "袖ヶ浦から秋津・香澄公園を歩く"

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DSC03308.JPG第3回となる、実花公民館主催のリフレッシュウォークは、曇り空で、京成津田沼・サンロード5Fのステップならしの(男女共同参画センター)&市民協働インフォメーションルーム(市民協働推進課)の施設内に集合(9:30)。ハトちゃんは、こちらの事務所には、初めて訪れ DSC03254.JPGましたが、男女共同参画や地域活動の情報収集・提供や活動の窓口になっていて、研修室の借用もできるそうです。。

参加者は、受講者28名が参加。今回のウォーキングコースは、資料では、鷺沼城址公園が最初の順路でしたが、指導されている神田先生から変更を言われ、まず、駅から近い、JA購買センターを左折したところの津田沼五丁目公園内に、1907(明治40)年創立の津田沼尋常高等小学校(現 津田沼小学校)記念碑(市内で最も古い学校)を見に行きました DSC03258.JPG(9:30)。参加者の中に、女性1名、卒業生がいてビックリ。

次に、大通りを横切り、久々田公園へ(9:42)。 DSC03259.JPG「津田沼」という地名の由来は、「谷、久々、鷺」の下の文字を採用したとのこと。この公園は、地域住民がいつも清掃をしているので、芝生にゴミが落ちていません。ここで、先生を囲んで準備運動のストレッチ。先生から『汗をかくことが健康』という話が。また、ウォーク終了時には『老年になったら、息を大きく吸い、大きく吐くことが大事』という、大変、参考になる話が。

公園から国道14号に向かいましたが、このあたりは、昔の漁師町で、細い路地を静かにウォーク。

道幅の広い14号道路に出ると、横断して、ふれあい橋方面に向かいます。袖ヶ浦地区は昭和39年に埋立てが始まり、昭和42年に大規模な団地に生まれ変わりました。現在、約5千世帯が居住して DSC03265.JPGいますが、老朽化と、世代交代で、入居者が減っている状況です。

ふれあい橋手前左側には袖ヶ浦運動公園が。同行した公民館の鈴木さんは、第三中学校の元校長先生で、創立時の三中の話やこの地区の埋立てについて話してくれました。「1977(昭和52)年に沿岸部の第二次埋め立てにより誕生した香澄(春)、芝園(夏)、秋津(秋)、茜浜(冬)、の4地区には、四季を表す地名が付けられた」話も初めて知りました。

橋の手前で団地内に右折し、京葉道路の防音壁に沿って、涼しい木立の中、松林の遊歩道を進みます。それほどではありませんが、少しずつ、東北大震災の液状化現象跡も。14号線から海側の袖ヶ浦、香澄地区は被害が甚大でした。袖ヶ浦二丁目から、袖ヶ浦近隣公園を右に、高速道路を下に見る緑道橋(自転車・歩行者通行のみ)(10:19)を渡ると、菊田川堰そばの水面から悪臭が漂って来ました。気温が上がってきて、ヘドロの腐敗が進んでいるせいかも。

渡り切って、ハミングロード進むと、秋津小学校・幼稚園(習志野市では併設されているケースが多い)が。秋津緑地1号道路を過ぎて、総合福祉センター(社会福祉協議会・秋津ヘルスステーション)(10:32)で小休止。秋津HSでウォーキングスタンプを押してもらいました。

次に、習志野緩衝緑地(東関道と住宅公団の間の緑地という意味)の秋津運動公園(10:45)内を散策。野球グラウンド、サッカー場、多目的広場を通ると、同じく散歩や練習に来ている学生たちとすれ違います。他にテニスコートもあります。数日前に、夏の全国高等学校千葉大会の組み合わせが発表されましたが、市立習志野高校は、春の関東大会でも優勝して、Aシード。2年連続の準決勝敗退をリベンジして、ぜひ今年こそ甲子園の切符を勝ち取って欲しいものです。

公園出入口に、平和の広場があり、1988(昭和63)年に設立された当時の各界の地元関連人、た DSC03297.JPGとえば「鈴木大地」などの手形があります。だいぶ汚れて見えにくくなっていました。習志野市は、平和宣言都市で記念碑があり、毎年、8月6日に平和記念行事が行われています。

左折してガードをくぐると、間もなくJR「新習志野」駅に行きますが、今回はそのまま直進し、横断歩道を渡って、東京湾岸道路(国道357号)脇から、薄暗い細い道に。中に入ると、ヒンヤリ。気温が3度くらい低くなり、夏は避暑に持って来いの場所。

緑多く自然の残る、香澄公園(11:00)。ここは、秋津公園以上に細長くて、千葉市幕張町まで続いています。公園内には多種類の樹木のほか、遊具施設、バーベキュー場、ジャブジャブ DSC03275.JPG池(震災の影響で、立入禁止)もあり、市民の憩いの場となっています。

紫陽花が色とりどりに見事に咲いていて、一同、感激。今日のウォーキング DSC03281.JPGは、これだけでも大成功です。

香澄公園を出て、香澄小学校を左に見ながら、香澄近隣公園へ。ここ香澄二、三丁目は市内では、液状化被害の激しい地区で、溝は海水を含んだ砂で埋まったり段差や、地面にひび割れが。公園を出て電柱を見ると、未だに傾いた DSC03287.JPGままのものも。

袖ヶ浦六丁目の京葉道路下のガードは、1.5m以下の車両でないと通行できないほど低くて、車の往来は少ない。ガードをくぐると、すぐに右手に公園。公園入 DSC03300.JPG口に、伊藤飛行機研究所滑走路跡の記念碑(11:40)が。民間航空機の歴史を知ることができました。鷺沼の DSC03301.JPG飛行場を卒業した女流飛行士には、NHKのテレビ小説「雲のじゅうたん」の主人公、小野間(稲葉)真琴もいたそうです。

公園から少し歩くと、国道14号線。横断すると、目の前に廃墟工場の屋根が飛行場格納庫跡の名残りが。横の細い坂を上がると、田園風景。畑の真ん中に、山縣豊太郎飛行士殉空の地碑(11:53)が。伊藤音次郎の弟子で、民間 DSC03290.JPG初の宙返り飛行に成功した飛行士で、練習中に墜落した場所に石碑が建っています。

そこから、京成津田沼駅方面に戻ります。『健康なまち歩きマップ』の⑦田園風景コースの道を進みました。

八剣神社(12:05)では、習志野の名木100選「スダジイ」の巨木、本堂の裏手に上り竜、下り竜の見事な彫刻が。地元でも、なかなか知ってい DSC03293.JPGる人は少なくて、今回初めての人は、貴重な文化遺産に感激。

その後、細い路を抜けて、観音寺→慈眼寺→こどもセンターを経て、鷺沼城址公園へ。標高約18mの八剣台と呼ばれる台地上の鷺沼城址公園内には、前方後円墳のA号墳、隣接するB号墳の石棺が保存されていました。 このあたりが6世紀後半頃~6世紀末頃まで、古墳群があったところで、鷺沼古墳といわれています。埴輪のレプリカもありました。広場で、ウォーキングあとの整理ストレッチ。

菊田遊歩道に出る道は、急な階段を下ります。雨で滑りやすくなっていたので、注意して降りました。遊歩道は、昨年整備されて歩きやすくなりました。盛夏には、緑が多いので涼しいのですが、セミの鳴く声でうるさいほどです。

遊歩道の先は、市役所前で、ハミングロードのアーケードがあり、そこで解散(12:30)となりました。予定の歩行距離は約8kmでしたが、もう少し歩いた気がします。次回の谷津干潟散策コースが楽しみになりました。

ハトちゃんは、チャリンコをすぐ傍の「習志野第一病院」に駐輪していましたが、時間に余裕があったので、小雨の中、ウォークマップの正確なコース確認と、デジカメの容量不足で撮れなかった場所を撮影するため、太鼓型のふれあい橋をチャリンコでえっちらと上って下り、秋津公園の出入口まで戻りました。

そこから、ゆっくりチャリンコでサイクリング。香澄公園内の花菖蒲をもう一度観賞しながらお弁当を食べて、その後、コースマップで道を再確認しながら午後2時に帰宅しました。

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