一日おきのウォーク。3月3日(土)、JR駅ハイで「坂の上の雲の時代を巡るウォーク」(9.1km)」へ。本日も晴れてウォーク日和。ハトちゃんは、運賃を安く上げるため、東京メトロを利用して神田駅へ。都内のウォークは、参加者でいっぱい。並んでのスタート(9:31)。付いて行けばマップは不要。
いつもは仕事で賑わうオフィス街も土曜でひっそり。歩いて間もなく、神田出世不動通り商店会による甘酒のサービス。歩いてすぐなので、恐縮気味に一杯ごちそうになります。それから、本郷通りを経て、最初のポイント学士 会館〔東京大学発祥の地。野球発祥の地〕へ。白山通りの東京メトロ神保町そばにあります。
ボールを握る右手の巨大な像や、東大発祥の地の記念碑が。会館内部にも入って見学。宿泊や結婚式場もあり。
次に、白山通りを進み、首都高速道ガード下を通って、皇居の平川門まで。丸紅敷地内に一橋徳川家屋敷跡が。
今度は、ジョギングなどのランナーが通り過ぎる、外堀通りの外側(皇居側でない方)を歩いて、竹橋の毎日新聞社前を通過して、しだれざくらが並ぶ先の東京国立近代美術館へ。本日は、八王子の実家へ帰る(子どもたちは先着)ため、13時に御茶ノ水駅で妻と待ち合わせのため、時間に余裕があります。入館し、「ジャクソン・ポロック展」の作品鑑賞。とくに、評価額200億円といわれる「インディアンレッドの地の壁画」をはじめ、門外不出といわれた70作品を観る幸運が重なりました。
その後、隣りの国立公文書館、そして北の丸公園端に位置する同工芸館に も立ち寄って、じっくり鑑賞。本日は、「織を極める」人間国宝 北村武資の高度な織の技術とカラフルな色彩を堪能。さらに、別の展示場で、人間国宝・巨匠による竹・ガラス・陶器・鉄器などのすばらしい作品にも触れることができました。この辺は、美術館めぐりで何度も歩いているので、よく知っています。
すっかり満足して、コースに戻り、千鳥が淵まで、土手の上から眺めていましたが、桜はだいぶ先の様子。ここはお花見にはボートもあり、絶好のスポットととして有名。
内堀通りを横断して、一番町を過ぎてすぐ右折すると、 南法眼坂を上って、行人坂を下って、真っ直ぐ進むと、見慣れた公園へ。東郷元帥記念公園〔日露戦争で活躍した東郷平八郎の邸宅があったところ〕へ。記念碑と力石があります。ここは、ハトちゃんが33年間勤務した大学の傍で、よく食事をしたところ。
続いて、市ヶ谷駅傍の靖國通りへ。一口坂を過ぎて、懐かしい最終勤務地の前を過ぎて、靖國神社境内へ。気象庁が開花宣言をする、ソメイヨシノもつぼみは膨らんでいるものの、まだ硬そう。春になると桜吹雪の下を歩いたものです。神社に寄り道しているウォーカーが、結構いました。
内堀通りとのT字路で、横断してコースに戻り、大山 巖〔 日清戦争、日露戦争の勝利で国民的英雄に、部下に乃木希典など)像前で、ガイドに話を聞きました。
ついでに、九段下駅傍の昭和館〔戦中・戦後(昭和10~30年頃)の国民生活のくらしに関わる資料や実物資料の保存・展示、映像検索・視聴、情報提供、体験コーナーなど〕に入館し、しばし、空襲や戦争の悲惨さ、戦後の経済復興を垣間見ることができました。小学生の課外授業も行われていて、後世代にも伝えています。
その後は首都高速のガード下、爼橋を渡って、神保町の神田 古書店街へ。平日でも店頭で古書をさがす人々が...。
古書店街を過ぎて、横断して路地を入ると、現 お茶の水小学校前に文豪 夏目漱石「吾が輩は猫であるの文」の石碑があり、公園内を抜けると、山の上ホテルで、御茶ノ水駅周辺の文教地区。Big Bossの先に小栗上野介〔日米修好条約批准の使節として渡米、日本の近代化を推進。横須賀造船 所を建設〕生誕の地でガイド説明。甲賀坂と観音坂を過ぎて、淡路町2丁目でコースを逆行し、万世橋駅跡〔駅の高架橋の赤レンガが現存〕に。駅員2名が立っていて、案内。
ここで、本日のポイントは終わりだったので、妻と待ち合 わせの御茶ノ水駅へ向かうことにしました 。途中に、今まで知らなかった湯島聖堂〔徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、1690(元禄3)年聖堂を創建。上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが始まり。その後、およそ100年を経た1797(寛政9)年幕府直轄学校として、「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設〕境内で、世界最大の孔子像や大成殿を見て回りました。また、合格祈願の絵馬も...。
階段を上ると、待ち合わせの駅前に通じる道路。本屋の「丸善」前では、古書市を開催。本日は、神田駅にゴールしないものの、ほぼ同距離9kmを3時間でゆっくり回る、久しぶりの汗をかかないウォークに...。
ウォークで有効活用できた半日となり、昼食後、日本の近代化の時代に思いを寄せて八王子に向かいました。
コメントする