7月9日(土)は、ハトちゃんの23回目の結婚記念日。そういえば、23年前も暑い日で、出席者に「結婚式に来て行く礼服が大変」と言われ、夏の結婚式は顰蹙(ひんしゅく)ものでした。早いもので、もう23年も過ぎたのですね。今では、「旦那は空気のようだ」と妻に言われ、喜んで良いのか悪いのか、そんな存在です。
関東地方も、気象庁が「梅雨明け宣言」。これから、本当の「日本の暑~い夏」が始まりますが、今年は震災の影響で、電力需要の心配が募ります。
さて、早朝5時に起きて、前日切った芝生と雑草を袋に詰めて、45ℓ で2袋。全部は詰め切れないので、まずはこれにて終了。収集日には1個以上、連続で出していて、手帳に記帳。
その後、朝食後、体調管理のため、昼寝を30分ほど。その後は、自分の机の山盛りの郵便、書類の整理。早お昼をとって、京成「八千代台」駅前のユアエルムhttp://www.yourelm.co.jp/yachiyodai/へ、チャリンコをとばして行きました。いつも家庭で調法な粗品をいただけるサービス。月末の週末に新聞にチラシが入っていて、6月行ったばかりでした。夏のボーナス商戦だと思いますが、7月早々にもチラシが。
今回は、クールにもホットにも使える[2way pad]。 早速、冷やして避暑に利用しよう~と。毎回もらって来ると、妻が大変喜びます。
急いでいたので、買物はせずに、実花公民館へ。時間ぎりぎりだったので、席が2つ空いているほどの盛況ぶり。
ウォーキングサークルの神田先生が会長をつとめる、「実花公民館地区学習圏会議 フォーラムちえのわ」主催の「地域を知ろう講演会」で、「私たちが子どもだった頃の 東習志野開拓時代」というテーマで2人の方から、13時30分~15時20分まで、貴重なお話を伺いました。
小生は、習志野市に住んで13年。ふだん、何気なくウォーキング等でも歩いているまちですが、「習志野のいわれ」や、「習志野原の開拓」にともなう開拓入植者の方々の苦労話など、さらに東習志野への工場進出(4つの企業の土地分割)まで、図を描いたり、当時の地図や資料で説明。参加者も年配者が多い関係で、当時の経験談や思い出話に耳を傾けて、その言葉に当時の状況を知っている 方々は、頷いておられました。休憩時には、後方に当時の拡大写真もあり、歴史を感じました。
また、子ども時代を振り返って「演習場跡が子どもたちの遊びの天国だった」というお話。1954(昭和29)年9月に、習志野市の誕生。「♪祝え新生習志野市~」という歌や旗・提灯行列などが行われたことも。何枚か絵を描いて来られたので、ある程度、雰囲気も実感できました。最後には、今回の大震災に絡めて、東習志野が地盤の良さから災害に強い地域という結論も胸を打ちました。
また、受付時に『拓想』(習志野開拓60周年記念特別号「東習志野の昔は」と問われて)という小冊子をいただいたので、家で詳細に読んでみようとも思いました(最初の講演は、筆者)。
明日、実家の近くで JR駅からハイキングがあるので、友人と夕食を一緒に。チャリンコを急がせて、幕張本郷から総武線、中央線とギリギリで飛び乗り、待ち合わせの和食レストラン「とんでん」へ。
予定より早く着いたので、一番奥が、スタンド席で、車イスでも入れます。その席を確保。しばらくすると、友人が到着。必ずこの「ハトちゃんの~」ブログを見て、アドバイスをいただいている Sさん。自宅で、パソコンの仕事をしています。この9月で50歳になるのですが、童顔なので若く見えます。
1時間半ほど夕食でデザートも食べて、談笑し、明日のウォーキングを頑張るように言われ、別れて、小生は実家に。3.11の震災で壊れた玄関の壁を先週補修。まだ、クロスの接着剤の臭いが残っていました。でも、きれいになっていて、母も喜んでいました。
こうして、結婚記念日は実家に泊ることになって、妻は明日、霧降高原へハイキング。小生は箱根ヶ崎(JR八高線)ウォーキング。 別行動は、いつものパターン。今後もこれが続きます。
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